今日はオッサンという哀しみについて見てみよう。
見るのだ。嫌でも見なくてはならない。その生きる苦しさその醜さを。
「記憶してください。私はこんな風にして生きて来たのです」こころ
では前言を翻し見るのは私ではなくこの四十代半ばの王様。
彼も十年前ぐらいはよく自嘲していたものだ。俺もオッサンになったなぁ、と。これは余裕があったからである。
自嘲は余裕があるからできるのだ。
俺もおじさんになったなぁのあと心の中では「とはいえまだまだ若いけどさ」と思っている。そうでないとこの言葉は使えない。
まだ自分の中には若さが残っているからの余裕。そもそも「なったなぁ」だからベースは若者なはず。
俺もおじさんになったなぁのあと心の中で「実際におじさんだしね」とか思うはずがない。
もうなっているじゃあないか。
自嘲が自嘲で終わっても仕方がない。痩せている人の最近太ったアピールと同様でシャレにならんデブはそんなこと言わない。
こんなに不必要な言葉もない。今日もいい天気だなという独り言と同レベルだ。
またはこれは周りへのアピールである。
おじさんだと自認していないおじさんは見苦しいと思っているからこそのアピール。
それはまた若い子に向けてのアピールである。自分は他のバカなオッサンに比べて弁えていますということを伝えたいという欲望。
何とも複雑な男心。
よって年齢を重ねると男は老若について自嘲はあまりしなくなる。楽しくないし。
次のフィールドは体の不調アピールをして健康・不健康についておじさん同士でマウントを取り合いじゃれついて仲良くしていくが……この王様の場合は状況が違う。
若い女と付き合っているのだ。しかも美のイデアの結晶みたいな女とである。
妬ましいにもほどがある! さぞかし王は毎日が最高に幸せ過ぎることだろうに。
王様、幸せですよね? と尋ねてみるとしよう。すると彼はちょっと引きつった笑顔で答えてくれる。
もっもちろん幸せだよアイムファインサンキューと。その表情筋のぎこちなさをヒントに追撃をする。
でも、なにか不安でもあるんじゃないんですか? と再度尋ねると王は頷いた。
そっそうなんだよ、俺は幸せ者だけど……不安で不安でしょうがないんだ!
ではそんな王の心の闇に踏み込んでみよう。
どうやら王は若い嫁の心が怖くて怖くて仕方が無いようである。
なんです? あんな顔をして実は性悪なのですか? 良いですなぁと問うと、それは違うとんでもないとのこと。
こんな性格の善い女は生まれてはじめてだし、とても尽くしてくれているまさに女神だ。
なんです惚気ですか? だったら何が不安なのですか? えっ? 心変わりが起こるのが不安でたまらないと? なんでそう思うのですか?
それはね……「俺がおじさんだからだよ!」
まるで自分が魔王だったのだよ! と言わんばかりの告白だが、そんな迫力で言われても困ります。
それってそんなに関係あるのですか?
「有るに決まっているだろ! どれだけ金があっても地位と名誉があっても権力があっても、自分はおじさんということで無に帰してしまう。
付き合うまでは俺の地位や名誉に魅力を感じてくれて嫁になってくれたんだ。だけど一緒になって見ればそういうのは半ば自分のものになるし魅力ではなくなってしまう。
すると残されたものは男としての魅力だけとなるが、俺はもう若くはない。これがもし同い年ぐらいの女といるのなら感じないが二十近く年下の女といたら顕著に分かってしまうんだ。
己の老いとその惨めさや汚らしさを嫌でも思い知ってしまうんだよ! そしてある日こう言われてしまうんだ」
なにを言われてしまうのですか?
「決まっているだろ! それはな……だってあなたはおじさんじゃないの、だ! うわあああああ!」
王は自分の妄想に発狂寸前であるがしばらく放置おこう。自家中毒患者はしばらく放置でよろしい。ほおっておけば勝手に治る。
この四十半ば男は自分の若妻にこれを言われたくない一心でその一日は過ぎていく。
もしもいきなりそんなことを言われたらどうしようどうしようどうしよう……そんな恐怖を抱いて毎日を過ごすのだ。
中年男の醜い妄想である。
これは別にこの姉が言いそうだからではなく王の劣等感がその可能性を想像しているだけなのだ。
いわば自傷行為でありこの姉を逆さまにひっくり返して振るってみてもそんな言葉の一片も落ちてこない。
言うはずがないのだ。姉は今の境遇に満足して日々明るく楽しく過ごしているだけなのにどういうタイミングでこんなことを言うのだ?
彼女は天女よろしく足るを知る者は富むの実践者。
布団が半分しかなくて二人で一緒に使っても「温かいね」と言って満足するし、ふかふかの羽毛布団にくるまっても「温かいね」と言って満足する。
ものが問題なのではなく自分の心の持ちようが何よりも重要だとして日々を過ごす心の大富豪でもあるのだ。
そんな人がある日突然に「あなたおじさんだから嫌い」と言うわけがない。高次元的存在な猫はそんなことは言わない。
これに対して王は俺の息子と出会った後に言うかもしれないじゃないか! が疑問と答えである。
だから会わせたくないんだ! 若い女は若い男が好きなんだよ! 若い男も若い女が好きなんだから仕方がないんだ! よって俺は息子に嫁を……NTRれる!
人は事実よりも自らの妄想によって恐怖する。
自らの劣等感を他者に託して自分を攻撃するその人間の複雑怪奇さ。
だがこれは一種の甘えである。自分の中の罪悪感を人に託する行為は寄りかかりであり甘えである。
自分の口では言い難いことを他人の口で言って貰いたいことを願うことは甘ったれ以外のなにものでもない。
王は初老の自分がこんな若くて美人な女を独り占めしていることに罪悪感を抱いている。
かつてそういった老人を軽蔑していた若かりし頃の記憶もそれに拍車をかけている。
老人を嫌うのは若者の頃だけとは限らない。いやむしろ老人は老人を軽蔑している。
おじさんはおじさんを嫌っているのだ。老人の醜悪さを嫌うことは自分が若かった頃にやった娯楽でありそれを卒業できていないのだ。
老成が、足りない。年老いたガキということ。一貫性があるといえようが成長していないとも言える。
繰り返すが姉はそんな言葉を口にする可能性はほぼ0であるが、王はその可能性に怯えているためにあらゆることに全面譲歩している。
あっ発狂して地べたをのたうち回っていた王が立ち上がったのでインタビューを再開します。
また次回もこんな哀しい話が続きをば。



