「ぶっ!?」
危うく変な声が出た。
ちょ、待て待て。
おびちゃんが?
あの、ふわっとした病弱美形皇子が?
あたしを?
(いやいやいや)
ないない。
だってあたし、中身元ヤン……じゃない、極道一家育ちだし。
オラつくし。
言葉悪いし。
写経中に寝るし。
姫として、たぶんいろいろ雑。
そんなことを考えていると、房前《ふささき》が静かに口を開いた。
「首皇子《おびとおうじ》は、穏やかな方です」
その声は落ち着いていた。
「だが、優しすぎる」
一瞬、場の空気が変わる。
「自分を後回しにするところがおありだ」
武智麻呂《むちまろ》が腕を組む。
「……宮中は甘くない」
低い声だった。
「特に、これから先はな」
父・不比等《ふひと》も黙って頷いている。
分かってる。
ここから先。
宮中はもっと荒れる。
権力争い。
疫病。
飢え。
そして――。
(長屋王事件)
知っている未来が、頭をよぎった。
だけど。
だからこそ。
誰かが支えなきゃいけない。
優しい人ほど、折れてしまう。
前世で、たくさん見た。
ブラック企業で心を壊した人。
家庭で無理して笑ってた人。
優しい人ほど、無理をする。
(おびちゃんも……そういうタイプだ)
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
母・橘三千代《たちばなのみちよ》が、そっと微笑む。
「光明《こうみょう》」
優しい声。
「お前が無理に笑う必要はありません」
胸が、じんとする。
「困った時は、家族を頼りなさい」
武智麻呂が咳払いした。
「兄は四人いる」
宇合が笑う。
「殴り込みなら任せろ」
「やめて」
即ツッコミした。
房前が少しだけ口元を緩める。
「まあ、相談くらいには乗る」
末の麻呂《まろ》はもうキラキラしていた。
「姉上、おめでとうございます! 俺、絶対お祝いします!」
……ああ。
なんだろ。
ちょっと泣きそう。
前世では。
こんなふうに、背中を押してもらったことなんて――。
なかった。
だから。
あたしは、深く息を吸った。
「……分かった」
父を見る。
母を見る。
兄たちを見る。
そして。
「逃げません」
声は、不思議なくらい落ち着いていた。
「楽な道じゃないのは分かってる」
父の目が、少しだけ細くなる。
「でも――」
拳を、ぎゅっと握る。
「守りたい人がいるなら、あたしは逃げない」
沈黙。
次の瞬間。
父・不比等が、ふっと笑った。
「……それでこそ、我が娘だ」
母が目を細める。
兄たちも、それぞれ頷いた。
すると父が静かに言った。
「では――明日」
ん?
「首皇子と話す場を設けよう」
…………。
え。
明日!?
(ちょっと待てぇぇぇ!!)
心の準備ゼロなんだけど!?
その夜。
あたしは――。
まったく眠れなかった。



