静かに走る車の中で、芽依子は運転席を見る。
見慣れたはずの遥希の横顔は、芽依子の目には兄としてではない。
自分が“欲しい”と願ってしまう男の人にしか見えない。
遥希に伝える決心をしてから、いつもならリラックスできるフィトンチッドの香りも落ち着かない。
遥希も「帰ろか」と言ったきり、沈黙したまま。
けれど、二人の間には、気恥ずかしさはあるものの、気まずさはどこにもなかった。
遥希のマンションの駐車場に着くと、芽依子は遥希の手を握る。
「……めい?」
「……早く帰ろ?」
遥希の体温にふれた瞬間、身体中の熱が上がっていく。
どちらともなく絡まる指先は、離れることなく玄関ドアの前まで帰ってきた。
「「ただいま」」
重なる声に、二人が小さく笑う。
そして向かい合って「ただいま」と言った。
「めい、お腹空いてへん?」
「うん、花島さん家で軽く食べたよ」
「まじで……?女子会みたいやな……」
「はる兄は?」
「ん、俺は大丈夫。ほな、いつもの作るな」
夏の蒸し暑い夜だけど、部屋の中はクーラーが効いていて涼しい。
湯気に誘われて漂う甘い香りに、芽依子の顔が綻ぶ。
そう、遥希が言ったいつものは――はちみつ紅茶。
(はる兄のこういうとこ、ほんとに好き……)
待ちきれなくなって、キッチンへ覗きに行くと、頭の上にマグカップを置かれた。
「あわてんぼうさんめ」
「ちがうからっ……」
「ほら、行くで」
結局、二つのマグカップを持った遥希がソファに座る。
ポンと叩いて隣を促し、芽依子は自分の意志でそこへ座った。
淹れてもらったはちみつ紅茶に、勇気と落ち着きを分けてもらう。
そして、芽依子はゆっくり言葉を紡ぎ始める。
「あたしにとって、はる兄はずっと特別だったの」
実家の向かいに池田家が越してきたのは、芽依子が三歳で、遥希が九歳の頃。
どちらも一人っ子で、母親同士が同じ年齢というのもあり、両家の仲が良くなるのにそう時間はかからなかった。
「気付いたら”お兄ちゃん”がいて、すごい嬉しかった……」
「うん。俺も……毎日めいがチョロチョロついてくるん、可愛くてしゃあなかったわ」
遥希は遠い目をして、愛おしそうに目を細める。
「はる兄が隣にいてくれて、ずっとそれが当たり前だったから、あの日……終業式の日、はる兄の部屋に花島さんが来てたの……知ってるの」
両手で持つマグカップが、少しだけ揺れた。
芽依子は一度、目を伏せて呼吸を整える。
胸の中に閉じ込めていた黒い感情を、ゆっくり吐き出していく。
「……見ちゃった。はる兄が……キスしてるの……」
「……っ……あの日のことか」
「うん。……はる兄が知らない人に見えたのと……キスされたの、ショックだった」
「めい……」
間接照明の仄かな灯りに揺れる芽依子の瞳。
遥希の視線を感じつつも、まだ手元を見つめたまま。
「彼女いたことすっごく嫌で、でもはる兄のこと好きだし……もうぐちゃぐちゃで……だから逃げたの……」
「……せやったんか……」
「逃げたのに、はる兄が消防士になったこととか、救急救命士として頑張ってるって、はるママから聞いて……やっぱり会いたくなったこともあって」
「帰省してるの知って、こっそり窓から見たこともあったの」
「だから、ほんとは再会できて嬉しかった……はる兄が当たり前に優しくて……だから妹みたいなままでもいいかなって思った……」
ぽろり、と耐えきれなくなった涙が一滴、スカートに染みを作る。
「花島さんが最初、職場に来たときは分からなかった……でも、はる兄が『妹やと思ったこと、一回もないから』って言ってたのに、彼女と会うって……」
「あの部屋で見た女の人……花島さんでしょ?」
「……せやな」
遥希は苦々しげに頷いた。
芽依子はその顔を、両手でそっと包み、視線を重ねる。
「今もね、嫉妬してる。花島さんは仕事もスキルが高くて、キレイでかっこ良くて……はる兄の隣に立つのお似合いだなぁって……」
「めいっ……俺はめいが――」
「うん、わかってるよ。あたしだって、はる兄を譲るつもりはない。だからね、あたしも守られるだけは嫌。試験も頑張りたい」
「はる兄の……ううん、遥希の隣に立ちたい」
見慣れたはずの遥希の横顔は、芽依子の目には兄としてではない。
自分が“欲しい”と願ってしまう男の人にしか見えない。
遥希に伝える決心をしてから、いつもならリラックスできるフィトンチッドの香りも落ち着かない。
遥希も「帰ろか」と言ったきり、沈黙したまま。
けれど、二人の間には、気恥ずかしさはあるものの、気まずさはどこにもなかった。
遥希のマンションの駐車場に着くと、芽依子は遥希の手を握る。
「……めい?」
「……早く帰ろ?」
遥希の体温にふれた瞬間、身体中の熱が上がっていく。
どちらともなく絡まる指先は、離れることなく玄関ドアの前まで帰ってきた。
「「ただいま」」
重なる声に、二人が小さく笑う。
そして向かい合って「ただいま」と言った。
「めい、お腹空いてへん?」
「うん、花島さん家で軽く食べたよ」
「まじで……?女子会みたいやな……」
「はる兄は?」
「ん、俺は大丈夫。ほな、いつもの作るな」
夏の蒸し暑い夜だけど、部屋の中はクーラーが効いていて涼しい。
湯気に誘われて漂う甘い香りに、芽依子の顔が綻ぶ。
そう、遥希が言ったいつものは――はちみつ紅茶。
(はる兄のこういうとこ、ほんとに好き……)
待ちきれなくなって、キッチンへ覗きに行くと、頭の上にマグカップを置かれた。
「あわてんぼうさんめ」
「ちがうからっ……」
「ほら、行くで」
結局、二つのマグカップを持った遥希がソファに座る。
ポンと叩いて隣を促し、芽依子は自分の意志でそこへ座った。
淹れてもらったはちみつ紅茶に、勇気と落ち着きを分けてもらう。
そして、芽依子はゆっくり言葉を紡ぎ始める。
「あたしにとって、はる兄はずっと特別だったの」
実家の向かいに池田家が越してきたのは、芽依子が三歳で、遥希が九歳の頃。
どちらも一人っ子で、母親同士が同じ年齢というのもあり、両家の仲が良くなるのにそう時間はかからなかった。
「気付いたら”お兄ちゃん”がいて、すごい嬉しかった……」
「うん。俺も……毎日めいがチョロチョロついてくるん、可愛くてしゃあなかったわ」
遥希は遠い目をして、愛おしそうに目を細める。
「はる兄が隣にいてくれて、ずっとそれが当たり前だったから、あの日……終業式の日、はる兄の部屋に花島さんが来てたの……知ってるの」
両手で持つマグカップが、少しだけ揺れた。
芽依子は一度、目を伏せて呼吸を整える。
胸の中に閉じ込めていた黒い感情を、ゆっくり吐き出していく。
「……見ちゃった。はる兄が……キスしてるの……」
「……っ……あの日のことか」
「うん。……はる兄が知らない人に見えたのと……キスされたの、ショックだった」
「めい……」
間接照明の仄かな灯りに揺れる芽依子の瞳。
遥希の視線を感じつつも、まだ手元を見つめたまま。
「彼女いたことすっごく嫌で、でもはる兄のこと好きだし……もうぐちゃぐちゃで……だから逃げたの……」
「……せやったんか……」
「逃げたのに、はる兄が消防士になったこととか、救急救命士として頑張ってるって、はるママから聞いて……やっぱり会いたくなったこともあって」
「帰省してるの知って、こっそり窓から見たこともあったの」
「だから、ほんとは再会できて嬉しかった……はる兄が当たり前に優しくて……だから妹みたいなままでもいいかなって思った……」
ぽろり、と耐えきれなくなった涙が一滴、スカートに染みを作る。
「花島さんが最初、職場に来たときは分からなかった……でも、はる兄が『妹やと思ったこと、一回もないから』って言ってたのに、彼女と会うって……」
「あの部屋で見た女の人……花島さんでしょ?」
「……せやな」
遥希は苦々しげに頷いた。
芽依子はその顔を、両手でそっと包み、視線を重ねる。
「今もね、嫉妬してる。花島さんは仕事もスキルが高くて、キレイでかっこ良くて……はる兄の隣に立つのお似合いだなぁって……」
「めいっ……俺はめいが――」
「うん、わかってるよ。あたしだって、はる兄を譲るつもりはない。だからね、あたしも守られるだけは嫌。試験も頑張りたい」
「はる兄の……ううん、遥希の隣に立ちたい」



