実家に寄ると、カレーが香るダイニングで清子と芙美が談笑していた。
どうやら、両方の夫不在で夕飯を食べていたようだ。
「……げっ……」
「何が「げっ」やねん。……あれ?めいちゃんは?」
「……こっち来てへん?」
「来てへんよ。何、あんた……めいちゃん泣かせたんちゃうやろな」
清子の迫力ある美貌が、無言の圧を放つ。
その迫力に、少したじろぐ遥希。
芙美は苦笑しながらも、遥希に優しい眼差しで尋ねる。
「喧嘩でもした?あの子、昔からはる君には甘えてばっかりだから……」
「……別にそんなんちゃうねん。……めいは悪ない」
「別にちゃうゆう顔してへんやろ……ほんま図体だけ、でかなってからに」
「……うるさいなぁ……」
三十路近いと言っても、二人の前では子どもなわけで。
遥希は両手で顔を覆って、深い息を吐く。
「ねぇ、はる君。はる君はいつも芽依子のこと、大切に想ってくれてるの知ってるわよ」
「だから――芽依子の話、ちゃんと聞いたげてね。あの子、大丈夫だから」
「……芙美ちゃん」
その言葉が、遥希の胸を深く抉る。
守ることばかりを考えて、芽依子の意思や想いを、無視していたのだろうか――。
芙美は険しい顔の遥希をそっと撫でる。
まるで幼い子どもをあやすみたいに。
程なくして、遥希のスマホに新着メッセージが届いた。
逸る気持ちを抑え、確認するも期待とは違う名前。
流し見していた遥希の瞳が見開かれる。
【和可子 めいちゃん、うちにいる。
今日はちゃんと一人にしてあげて。】
メッセージと共に添付されていたのは、花島に肩を組まれ、芽依子が少し笑っている写真だった。
嫌な音で喉が鳴る。
(和可子の家って……どういうことやねん)
「ちょっと、迎えに行ってくるわ」
「二人でちゃんと、腹割って話しや」
清子の言葉を背に、蒸し暑いままの車に乗り込む。
芽依子と花島の接点が見えないまま、苛立った足で遥希はアクセルを踏み込んだ。
***
「あいつ、たぶん今頃半狂乱よ」
キッチンに立っていた花島が、スマホを見ながら楽しそうに目を細める。
(はる兄がそこまで取り乱すのかな……)
半信半疑な芽依子は、淹れてもらった玄米茶を啜る。
「普段は余裕ぶって優しい顔してるくせに、"めいちゃん"が絡むと怖いのよ」
「はる兄が?……」
「そもそも、今、私たちが同じ職場で働いてるのも知らないでしょうしね。……うわっ……遥希もう着くって。早すぎ」
「えっ…!もう?!」
想定外のスピードに、芽依子の声が裏返った。
そんな芽依子の緊張を見透かしたように、花島はまっすぐな視線を投げかける。
「決心はついた?」
「はい……」
遥希のスマホに花島から送られてきた住所は、実家から近かった。
十分程で到着し、来客用スペースに駐車する。
「しんどいわ……一日で限界や」
閉じた瞼の裏に、自分を呼ぶ芽依子の姿が浮かぶ。
もっと長く会えなかった時期もあったはずなのに――。
(思春期の男子かよ……)
逸る吐息は、エンジン音にかき消される。
遥希は意を決して、エントランスに向かった。
オートロックを解除してもらい、玄関ドアの横にあるインターホンを押す。
「うわっ……ほんとに来た」
花島の呆れた声とシリンダーの回る金属音を聞いた瞬間、遥希は玄関のドアを叩きつけるような勢いで開いた。
「……めいっ……おるんやろ!」
「家主に挨拶くらいないの?」
「めいっ――」
花島の皮肉を完全に無視して、遥希は肩で荒い息を吐きながら、室内に向かって叫んだ。
その気迫に圧され、おずおずと芽依子が荷物を持って出てくる。
「……はる兄」
「めいっ!!!」
遥希は名前を呼ぶ声と同時に、なりふり構わず強い力で抱きしめる。
肌に触れる衣服には、夏の湿気と、彼自身の焦燥の熱が滲んでいた。
「……苦しっ」
「うん、ごめん……ごめん、めい」
遥希はハッと我に返ったように腕の力を緩めた。それでも芽依子の両肩を掴んだ手だけは、二度と離さないと言わんばかりに強固に震えていた。
その様子を、和可子が爪を眺めながら冷ややかに遮る。
「あのー、私のこと忘れてない?」
「せや!めい、なんで和可子……花島の家に――ちゃうな」
花島を睨みつけようとした遥希だったが、その視線を無理やり引き剥がし、再び芽依子へと向けた。
そして、一度ゆっくり呼吸を整え、落ち着かせる。
「めいの話、ちゃんと聞きたい」
「一緒に帰ろ……?」
懇願ともとれる声。
いつも芽依子の逃げ道を塞いでいた完璧な「はる兄」の姿はどこにもない。
ただ、等身大の一人の男が、そこにいる。
もどかしい二人に、花島がわざとらしく、鋭い言葉を投げかけた。
「……だってさ。水谷さん、また逃げる?」
「いいえ、逃げません。ちゃんと、はる兄を選びます」
遥希は小さく息を飲む。
強張った遥希の手を、芽依子はちゃんと自分の手で包み込んだ。
花島はそれを聞くと、つまらなそうに、けれどどこか満足げに肩をすくめた。
「そ。じゃ、とっとと帰って。観たいドラマあるから」
「和可子……」
「ひと泡吹かせたかったのよ……いい気味ね、遥希」
「花島さんっ……ありがとうございました」
芽依子が深く頭を下げると、花島は返事の代わりに、昔と変わらない少し意地悪で綺麗な笑みを浮かべる。
そして、二人を追い出すように玄関のドアを閉めた。
廊下に残された、生温かい夜の空気。
遥希はまだ、夢でも見ているかのように芽依子の手を見つめている。
「……どうする?実家に行く?」
「ううん、はる兄の家に帰る。……話を聞いてほしいから」
「わかった……」
遥希の中の恐怖はまだ消えていない。
けれど、今度こそ離さない。
ただしそれは、閉じ込めるためじゃない。
芽依子の心ごと、隣にいてもらうために。
確かな覚悟が、遥希の胸の奥で静かに脈打っていた。
どうやら、両方の夫不在で夕飯を食べていたようだ。
「……げっ……」
「何が「げっ」やねん。……あれ?めいちゃんは?」
「……こっち来てへん?」
「来てへんよ。何、あんた……めいちゃん泣かせたんちゃうやろな」
清子の迫力ある美貌が、無言の圧を放つ。
その迫力に、少したじろぐ遥希。
芙美は苦笑しながらも、遥希に優しい眼差しで尋ねる。
「喧嘩でもした?あの子、昔からはる君には甘えてばっかりだから……」
「……別にそんなんちゃうねん。……めいは悪ない」
「別にちゃうゆう顔してへんやろ……ほんま図体だけ、でかなってからに」
「……うるさいなぁ……」
三十路近いと言っても、二人の前では子どもなわけで。
遥希は両手で顔を覆って、深い息を吐く。
「ねぇ、はる君。はる君はいつも芽依子のこと、大切に想ってくれてるの知ってるわよ」
「だから――芽依子の話、ちゃんと聞いたげてね。あの子、大丈夫だから」
「……芙美ちゃん」
その言葉が、遥希の胸を深く抉る。
守ることばかりを考えて、芽依子の意思や想いを、無視していたのだろうか――。
芙美は険しい顔の遥希をそっと撫でる。
まるで幼い子どもをあやすみたいに。
程なくして、遥希のスマホに新着メッセージが届いた。
逸る気持ちを抑え、確認するも期待とは違う名前。
流し見していた遥希の瞳が見開かれる。
【和可子 めいちゃん、うちにいる。
今日はちゃんと一人にしてあげて。】
メッセージと共に添付されていたのは、花島に肩を組まれ、芽依子が少し笑っている写真だった。
嫌な音で喉が鳴る。
(和可子の家って……どういうことやねん)
「ちょっと、迎えに行ってくるわ」
「二人でちゃんと、腹割って話しや」
清子の言葉を背に、蒸し暑いままの車に乗り込む。
芽依子と花島の接点が見えないまま、苛立った足で遥希はアクセルを踏み込んだ。
***
「あいつ、たぶん今頃半狂乱よ」
キッチンに立っていた花島が、スマホを見ながら楽しそうに目を細める。
(はる兄がそこまで取り乱すのかな……)
半信半疑な芽依子は、淹れてもらった玄米茶を啜る。
「普段は余裕ぶって優しい顔してるくせに、"めいちゃん"が絡むと怖いのよ」
「はる兄が?……」
「そもそも、今、私たちが同じ職場で働いてるのも知らないでしょうしね。……うわっ……遥希もう着くって。早すぎ」
「えっ…!もう?!」
想定外のスピードに、芽依子の声が裏返った。
そんな芽依子の緊張を見透かしたように、花島はまっすぐな視線を投げかける。
「決心はついた?」
「はい……」
遥希のスマホに花島から送られてきた住所は、実家から近かった。
十分程で到着し、来客用スペースに駐車する。
「しんどいわ……一日で限界や」
閉じた瞼の裏に、自分を呼ぶ芽依子の姿が浮かぶ。
もっと長く会えなかった時期もあったはずなのに――。
(思春期の男子かよ……)
逸る吐息は、エンジン音にかき消される。
遥希は意を決して、エントランスに向かった。
オートロックを解除してもらい、玄関ドアの横にあるインターホンを押す。
「うわっ……ほんとに来た」
花島の呆れた声とシリンダーの回る金属音を聞いた瞬間、遥希は玄関のドアを叩きつけるような勢いで開いた。
「……めいっ……おるんやろ!」
「家主に挨拶くらいないの?」
「めいっ――」
花島の皮肉を完全に無視して、遥希は肩で荒い息を吐きながら、室内に向かって叫んだ。
その気迫に圧され、おずおずと芽依子が荷物を持って出てくる。
「……はる兄」
「めいっ!!!」
遥希は名前を呼ぶ声と同時に、なりふり構わず強い力で抱きしめる。
肌に触れる衣服には、夏の湿気と、彼自身の焦燥の熱が滲んでいた。
「……苦しっ」
「うん、ごめん……ごめん、めい」
遥希はハッと我に返ったように腕の力を緩めた。それでも芽依子の両肩を掴んだ手だけは、二度と離さないと言わんばかりに強固に震えていた。
その様子を、和可子が爪を眺めながら冷ややかに遮る。
「あのー、私のこと忘れてない?」
「せや!めい、なんで和可子……花島の家に――ちゃうな」
花島を睨みつけようとした遥希だったが、その視線を無理やり引き剥がし、再び芽依子へと向けた。
そして、一度ゆっくり呼吸を整え、落ち着かせる。
「めいの話、ちゃんと聞きたい」
「一緒に帰ろ……?」
懇願ともとれる声。
いつも芽依子の逃げ道を塞いでいた完璧な「はる兄」の姿はどこにもない。
ただ、等身大の一人の男が、そこにいる。
もどかしい二人に、花島がわざとらしく、鋭い言葉を投げかけた。
「……だってさ。水谷さん、また逃げる?」
「いいえ、逃げません。ちゃんと、はる兄を選びます」
遥希は小さく息を飲む。
強張った遥希の手を、芽依子はちゃんと自分の手で包み込んだ。
花島はそれを聞くと、つまらなそうに、けれどどこか満足げに肩をすくめた。
「そ。じゃ、とっとと帰って。観たいドラマあるから」
「和可子……」
「ひと泡吹かせたかったのよ……いい気味ね、遥希」
「花島さんっ……ありがとうございました」
芽依子が深く頭を下げると、花島は返事の代わりに、昔と変わらない少し意地悪で綺麗な笑みを浮かべる。
そして、二人を追い出すように玄関のドアを閉めた。
廊下に残された、生温かい夜の空気。
遥希はまだ、夢でも見ているかのように芽依子の手を見つめている。
「……どうする?実家に行く?」
「ううん、はる兄の家に帰る。……話を聞いてほしいから」
「わかった……」
遥希の中の恐怖はまだ消えていない。
けれど、今度こそ離さない。
ただしそれは、閉じ込めるためじゃない。
芽依子の心ごと、隣にいてもらうために。
確かな覚悟が、遥希の胸の奥で静かに脈打っていた。



