研修期間も終え、花島は戦力として十二分に発揮しており、芽依子も小田もスキルの高さを感じていた。
バーゲンに御中元に催事にと、百貨店内も賑わいを見せている。
売り場の巡回から戻った芽依子は、小休憩のコーヒーに誘われた。
(花島さんと二人……なんだか緊張する)
正直、芽依子は仕事以外の花島に少しだけ身構えてしまう。
遥希の名前だけでなく、彼女の存在自体が、なぜか芽依子の猜疑心を刺激してくる。
小さく深呼吸して、カフェラテを一口飲む。
「どうですか?業務に慣れましたか?」
「はい、水谷さんや小田さんの指導のおかげです」
同じカフェラテの紙カップなのに、持つ仕草ひとつ取っても、花島は妙に絵になった。
その自信の表れは、もちろん仕事にも反映されていて、彼女の評価はすこぶる高い。
(……なんでこんなに、自分と比べてしまうんだろう)
すると、くすっと小さく笑う花島が、まっすぐに芽依子を捉える。
「初恋ヒーローって、遥希でしょ?」
「……えっ?」
「あいつ高校の頃から、料理してたよね。ああみえて世話好きだし」
「高校・・・・・・花島さん、知ってるんですか?」
心臓が、嫌な音を立てる。
芽依子が一度逃げ出したせいで、知らないまま空白になってしまった遥希の時間。
花島は、その中にいた。
その問いには答えずに、花島は話を続ける。
「それに、本当に消防士になるとかちゃんと夢叶えてるもんね」
(やっぱり・・・・・・はる兄のことだよね)
「昔、私が就職やめようとした時も、『俺がおるやろ』って言ってた」
「遥希って昔から、好きな子には過保護だったよね」
「花島さんは、はる兄・・・・・・遥希さんのこと・・・・・・」
絞り出すような芽依子の声を、花島は柔らかな、でも煙にまいた微笑で遮る。
「あ、知らないんだ」
それだけ言うと、凜とした姿勢でそのまま出口に向かって歩いていった。
取り残された芽依子の手の中には、ぬるくなったカフェラテだけが残っている。
ナイフのように尖った言葉と、コーヒーの苦味が舌先に重くのし掛かった。
***
帰りの電車に揺られながら、芽依子は車窓に目を向ける。
窓を打つ雨音が、花島の言葉に被さって響く。
『俺がおるやろ』
『好きな子には過保護だったよね』
『あ、知らないんだ』
同じ言葉なのに、違う意味に聞こえてしまう。
(不安になることなんて、何もないはずなのに……)
改札を出ると、壁に寄りかかりながら、誰かを探している素振りの男性。
通り往く人々が一度は魅入る、容姿端麗な彼が、自分を見つけて笑みを浮かべた。
芽依子だけに向けられた――。
「めい、おかえり」
「ただいま……はる兄」
(うん……大丈夫)
誰にあてたわけでもない、返事をする。
芽依子は、不安を払拭するように、遥希の裾を掴んだ。
気づいた遥希が、芽依子の手にそっとふれる。
「雨濡れるから、帰ってからな」
掴んだ手を離され、代わりに傘を握らせる。
「めい?」
「なんでもないよ、ありがとう」
当たり前の優しい気づかいも、今はひどく沈んでしまう。
それもこの雨のせいだ、そう思いながら傘を広げた。
「はよ帰ってご飯にしよ」
「うん……はる兄は……」
「花島さんって知ってる?」と聞きたいのに、聞けない。
結局、他愛ない会話をしつつ、濡れたアスファルトを歩いていく。
「めい、ほんまは違うんやろ?」
「え?」
遥希が空いた手で、芽依子の頭をぽんと叩く。
すべてを見透かしているような、けれどどこまでも優しい眼差し。
「聞きたいこと、あるんちゃう?」
(やっぱり、隠し事できないなぁ……)
これ以上黙っていたら、胸の奥に溜まった澱に飲み込まれてしまいそうだった。
それに、遥希が本音に気付くのも時間の問題だ。
芽依子は傘の柄を握り直し、震える声を絞り出す。
「………………高校生のはる兄って、どんなんだった?」
遥希は少しだけ意外そうに眉を上げたが、すぐに懐かしむように目を細めた。
「高校?……んー、普通やったで?めい、文化祭来たことあったやろ?」
「あっ……」
「お化け屋敷の迷路で、入った途端、俺にビッタリくっついて動かれへんくて……めっちゃびびってたやん?」
「…………忘れた」
(うそ……しっかり覚えてる……)
あまりの恐怖に歩けなくなった芽依子を、遥希がお姫様抱っこで出口まで運んだのだ。
「あんときの半泣きのめい、可愛かったわ~」
「……それはっ忘れて!」
茶化すような笑い声が、傘の間に混じって響く。
芽依子は遥希の横顔に、高校時代の面影を重ねて思い返す。
その記憶の中に、和可子の姿はなかった。
「どしたん、急に高校とか……」
「ちょっと気になっただけ」
「実家に行ったら、卒アルあるから見てみる?」
「……そうだね」
あいまいに頷きながら、視線を足元に移す。
雨に濡れたアスファルトの匂いと、街灯の光が鈍く反射している。
結局、どこかにあるはずの花島の影を、芽依子はまだ掴めずにいた。
バーゲンに御中元に催事にと、百貨店内も賑わいを見せている。
売り場の巡回から戻った芽依子は、小休憩のコーヒーに誘われた。
(花島さんと二人……なんだか緊張する)
正直、芽依子は仕事以外の花島に少しだけ身構えてしまう。
遥希の名前だけでなく、彼女の存在自体が、なぜか芽依子の猜疑心を刺激してくる。
小さく深呼吸して、カフェラテを一口飲む。
「どうですか?業務に慣れましたか?」
「はい、水谷さんや小田さんの指導のおかげです」
同じカフェラテの紙カップなのに、持つ仕草ひとつ取っても、花島は妙に絵になった。
その自信の表れは、もちろん仕事にも反映されていて、彼女の評価はすこぶる高い。
(……なんでこんなに、自分と比べてしまうんだろう)
すると、くすっと小さく笑う花島が、まっすぐに芽依子を捉える。
「初恋ヒーローって、遥希でしょ?」
「……えっ?」
「あいつ高校の頃から、料理してたよね。ああみえて世話好きだし」
「高校・・・・・・花島さん、知ってるんですか?」
心臓が、嫌な音を立てる。
芽依子が一度逃げ出したせいで、知らないまま空白になってしまった遥希の時間。
花島は、その中にいた。
その問いには答えずに、花島は話を続ける。
「それに、本当に消防士になるとかちゃんと夢叶えてるもんね」
(やっぱり・・・・・・はる兄のことだよね)
「昔、私が就職やめようとした時も、『俺がおるやろ』って言ってた」
「遥希って昔から、好きな子には過保護だったよね」
「花島さんは、はる兄・・・・・・遥希さんのこと・・・・・・」
絞り出すような芽依子の声を、花島は柔らかな、でも煙にまいた微笑で遮る。
「あ、知らないんだ」
それだけ言うと、凜とした姿勢でそのまま出口に向かって歩いていった。
取り残された芽依子の手の中には、ぬるくなったカフェラテだけが残っている。
ナイフのように尖った言葉と、コーヒーの苦味が舌先に重くのし掛かった。
***
帰りの電車に揺られながら、芽依子は車窓に目を向ける。
窓を打つ雨音が、花島の言葉に被さって響く。
『俺がおるやろ』
『好きな子には過保護だったよね』
『あ、知らないんだ』
同じ言葉なのに、違う意味に聞こえてしまう。
(不安になることなんて、何もないはずなのに……)
改札を出ると、壁に寄りかかりながら、誰かを探している素振りの男性。
通り往く人々が一度は魅入る、容姿端麗な彼が、自分を見つけて笑みを浮かべた。
芽依子だけに向けられた――。
「めい、おかえり」
「ただいま……はる兄」
(うん……大丈夫)
誰にあてたわけでもない、返事をする。
芽依子は、不安を払拭するように、遥希の裾を掴んだ。
気づいた遥希が、芽依子の手にそっとふれる。
「雨濡れるから、帰ってからな」
掴んだ手を離され、代わりに傘を握らせる。
「めい?」
「なんでもないよ、ありがとう」
当たり前の優しい気づかいも、今はひどく沈んでしまう。
それもこの雨のせいだ、そう思いながら傘を広げた。
「はよ帰ってご飯にしよ」
「うん……はる兄は……」
「花島さんって知ってる?」と聞きたいのに、聞けない。
結局、他愛ない会話をしつつ、濡れたアスファルトを歩いていく。
「めい、ほんまは違うんやろ?」
「え?」
遥希が空いた手で、芽依子の頭をぽんと叩く。
すべてを見透かしているような、けれどどこまでも優しい眼差し。
「聞きたいこと、あるんちゃう?」
(やっぱり、隠し事できないなぁ……)
これ以上黙っていたら、胸の奥に溜まった澱に飲み込まれてしまいそうだった。
それに、遥希が本音に気付くのも時間の問題だ。
芽依子は傘の柄を握り直し、震える声を絞り出す。
「………………高校生のはる兄って、どんなんだった?」
遥希は少しだけ意外そうに眉を上げたが、すぐに懐かしむように目を細めた。
「高校?……んー、普通やったで?めい、文化祭来たことあったやろ?」
「あっ……」
「お化け屋敷の迷路で、入った途端、俺にビッタリくっついて動かれへんくて……めっちゃびびってたやん?」
「…………忘れた」
(うそ……しっかり覚えてる……)
あまりの恐怖に歩けなくなった芽依子を、遥希がお姫様抱っこで出口まで運んだのだ。
「あんときの半泣きのめい、可愛かったわ~」
「……それはっ忘れて!」
茶化すような笑い声が、傘の間に混じって響く。
芽依子は遥希の横顔に、高校時代の面影を重ねて思い返す。
その記憶の中に、和可子の姿はなかった。
「どしたん、急に高校とか……」
「ちょっと気になっただけ」
「実家に行ったら、卒アルあるから見てみる?」
「……そうだね」
あいまいに頷きながら、視線を足元に移す。
雨に濡れたアスファルトの匂いと、街灯の光が鈍く反射している。
結局、どこかにあるはずの花島の影を、芽依子はまだ掴めずにいた。



