「ここをこうして…。うーん、でもちょっと違うのかな?」
私は独り言を言いながら、台本を読み込んでいた。
練習開始から1週間。
その短い期間で上達してきた私を気に入ったようで、監督に自主練室の開放をお願いすると快く頷いてくれた。
そして、その自主練は今日から始まった。
大きな部屋ではあるが、別に大きくても大胆に演技ができるからちょうどいい。
「あー、だーめだ。一旦休憩にしよ」
横に置いておいた水筒の中身もカラになってしまったし、私は休憩がてら水を入れてくることにした。
自分の決められた役が脇役でも、意外に登場シーンは多いし絶対に妥協なんてしたくない。
私は水筒を持って自主練室のドアを閉めた。
まっすぐ歩いたところに、水道があるのでそこで水を入れよう。
そうして水道まで歩いてきて、無事に水を入れられたので自主練室に戻ろうとした。
その時、見知った声が聞こえた。
この声、朱莉と帆乃華ちゃんだ。
私はせっかくなので声をかけようと思って、ふたりの姿を探した。
そうして見つけ出して、私は声をかけようとしたところで動きを止めた。
声をかけなくてよかったと思う。
その理由は——。
「朱莉くん、明日の練習から由衣さんがくるね」
由衣さん?誰?
私の知らない人が出てきて、動きを止めてしまったのだ。
その名前で一緒にドラマに出た人で思いつくのは、右京由衣さんだけ。
当時大学1年生で大人びた人だったのは覚えている。
だけど、私が会ったのは顔合わせの時だけであまり話したことがない。
「まだ好きなの?由衣さんのこと」
帆乃華ちゃんの言葉に、私の心臓がドクンッと大きく音を立てた。
朱莉には、好きな人がいたの?
ずっと一緒にいたのに、そんなこと知らなかった。
「別に好きじゃない。今も昔も」
「へー?あの時は、ふたりで楽しそうに練習してたのにね?」
そんなことも知らない。
朱莉のことで知らないことがあったなんて。
そんなドロドロとした感情が出てくる。
今は、どうしてか朱莉の言葉が信じられない。
「だからって、好きってわけじゃないよ」
朱莉はそう言ってるけど、本音はどうかわからない。
私にはずっと心配してることがあった。
それは、“朱莉に特別な人ができたら、私が捨てられるのかな?”ってことだった。
朱莉に捨てられたら、私には何も価値がなくなる。
いてもたってもいられなくて、私は駆け出した。
その“由衣さん”が明日から来るんだ。
私はとうとう、朱莉にも見放されるのかな?
そう考えたら胸が張り裂けそうだった。
***
自主練室の使用時間が終わってしまって、私は部屋に戻るしかなくなった。
顔がぐちゃぐちゃだったのはどうにかしたし、泣いていたのはきっとバレない。
でも、普通には振る舞えないよ。
「夢叶お疲れ様、一緒に帰ろ」
ドアからひょこっと顔を出して、朱莉が来てしまった。
いつもなら笑顔で頷くところだが、私は視線をそらして言った。
「あ、ごめん。今からちょっと監督のところに行こうと思って。だから、先に帰ってていいよ」
「あ、オッケー。じゃあ先に帰ってるね」
朱莉は疑う様子もなく、私を信じた。
朱莉は悪くないのに、こうやってさけている自分がますます嫌いになった。
そして朱莉が部屋を出ていって、出くわさないよう少し時間をおいて私も部屋を出た。
スタジオから出て、私は夜の街を歩いた。
ここは東京だから周りの光が強く、星なんかちっぽけに見える。
私みたいだ。
朱莉や帆乃華ちゃんみたいな実力のある人の中に、ポツンと実力のない私がいる。
対して目立ってない。
ああ、なんか嫌だな。
私は一筋だけ涙を流して、また歩き出した。
***
今日も練習の時間がやってきた。
今日からいよいよ中盤部分に入り、新キャラがだんだんと増えてくる。
その新キャラ役のひとりとして、右京さんもくるのだ。
朱莉は今のところ、変わった様子はない。
と、朱莉を気にかけていると、ドアが開いた。
入ってきたのは藍色の髪をハーフポニーにしていて、瞳の色は宝石みたいなうすい水色、肩出しのかわいらしい黒いワンピースを着ている人だった。
間違いない。
この人が、右京さんだ。
「待ってましたよ右京さん。とりあえず、挨拶をお願いします」
監督にそう言われて、右京さんは微笑みながら言った。
「大学1年生の、右京由衣です。黒幕のアジュールを務めます。よろしくね」
右京さんは朱莉と同じように、実力と容姿で人気を集める俳優。
私も負けてられない。
心の中でそんなことを考えているうちに、練習スタートの時間になった。
あ、そういえば私がなに役かって?
ヒロインの親友でありライバル役だよ。
だから、意外と出てくるシーンは多くて、練習は毎回いるような形になってる。
そして練習が始まった。
今回のシーンは、黒幕アジュール嬢がめげずにヒロインをおとしいれるところから始まる。
つまり、最初から右京さんが出てくる。
朱莉は一旦舞台外。
私の隣に来るものだから、自然に一緒に練習を見ることになった。
練習で思ったこと。
それは、やっぱり右京さんの演技が上手いってこと。
その役になりきっている。
憑依型と言う噂もあったけど、間違ってないのかも。
朱莉はどう思っているのか気になって、私は隣に視線を向けた。
——見なきゃよかった。
私はすぐに後悔した。
朱莉の目には、右京さんしかうつっていなかった。
それほど朱莉の心は右京さんに向いていたんだ。
私は見たくなくなって、下を向いた。
嫌だ…嫌だっ…!
私はやっぱり、朱莉に見放されるんだ。
***
「カット!夢叶、大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
「え…?あ…。い、いえ大丈夫です…」
「そうか。とりあえず、休憩にしよう」
「はい…」
監督に心配されてしまった。
全然大丈夫なんかじゃないけど、大丈夫と言ってしまった。
朱莉も心配そうに見てくる。
朱莉に声をかけられたくなくてはじの方に移動すると、右京さんに話しかけられた。
「大丈夫?」
「は、はい」
なぜか隣に座る右京さん。
朱莉とも話したくないけど、右京さんとも話したくないんだよね。
でも、そんなことは言えないので黙っておく。
すると、右京さんが話しだした。
「ねえ、夢叶ちゃん…だっけ。……朱莉くんのこと好きなの?」
「えっ?えっと、朱莉とは家族みたいなものなので、普通に好きですよ?」
内心心臓バクバクだったけど、私は平然とそう答えた。
すると、右京さんはニコッと笑って言った。
「じゃあ問題ないね。私がもらっても」
「え?」
「朱莉くんね、私に憧れて俳優になってくれたんだって。今日も練習中私のことずっと見てたし。可能性ありそうじゃない?夢叶ちゃんがいいなら、狙っちゃおうかなって」
ニコニコ笑ってるから、悪意は感じられない。
だけど、私は右京さんになにか歌があるんじゃないかって思っちゃう。
この話を聞いてると、本当に朱莉は右京さんが好きなんじゃないの?
そう思ったらやっぱり苦しかった
***
あれから一週間経って、私と朱莉の関係は悪くなった。
理由は、私が一方的にさけてしまっているから。
そのかわり右京さんとの関係はよくなっているみたいで、本当に付き合っちゃうんじゃないかって思うくらい。
でも、私にはなにも言う権利がない。
そうして今日も練習が終わって、私は部屋に戻った。
部屋は朱莉と一緒でいつも顔を合わせなきゃいけないから、時々帰りたくないなって思っちゃう。
でも、今日は朱莉は監督に呼ばれて帰りが遅い。
そのことに、少しホッとしていた。
と、そんな時玄関のドアが開いた音がした。
まさか、もう朱莉が帰ってきたの?
い、いや…普通にしよう。
私はそう決めて、平然とリビングでお茶を飲み出した。
「夢叶」
いつもより少しだけ低い声が聞こえて、私はゆっくりと朱莉の方を見た。
私は普通に朱莉に返事をした。
「どうしたの?なにかあった?」
そう言うと、朱莉は真剣な顔で近づいてきた。
いつもと雰囲気が違って、私は固まってしまった。
「夢叶、どうして俺をさけるの?俺、なにかした?」
私はその質問には答えられなかった。
はぐらかすようにして、私はコップを持って立ち上がった。
「近いよ朱莉。……別に、なにもないよ」
お茶をいれなおそうと思い、キッチンに向かったところで止められた。
コップを奪われ、私は朱莉に壁まで追い詰められた。
コト、とコップを置いた音がした後、朱莉は私を見つめて言った。
「言うまで逃がさないから。だから、言って」
こんな朱莉は初めて見るから、少し怖くて視線をそらした。
「別になにもないってば。私なんか気にするより、右京さんを気にしたら?」
「…由衣?」
私はハッとした。
口がすべってしまった。
こんなの、さけてる理由が右京さんにあるって言っているようなもの。
「夢叶。ちゃんと答えて」
今度は甘くささやかれて、私は言ってしまった。
「っ…!帆乃華ちゃんとの会話、聞いてたの…!!朱莉が右京さんが好きだったって。右京さんも、朱莉は右京さんに憧れて俳優になったって言ってたもん!」
どんなこと言われるのか怖くて、私は朱莉を見ないようにギュッと目をつぶった。
これでもし、「由衣のことが好き」とか言われたら…。
そして、朱莉はゆっくり口を開いた。
「たしかに俺は、由衣に憧れて俳優になったよ。この人みたいに、俺もなりたいって思ったからさ」
やっぱり、本当なんだ。
だけど——。
「でも、別に好きってわけじゃない。だって俺が好きなのは、夢叶だから」
「え…?」
私はパッと顔をあげた。
嘘はついてない。
いつも嘘つく時は一瞬視線をずらすけど、今の朱莉は私をまっすぐに見つめている。
「す、好きっていうのは…」
「もちろん恋愛的な意味で。気がついてなかった?」
私はコクコクと頷いた。
そんなの、気がつくはずがない。
そんな素ぶりは一切見せていなかったから。
「そっか。ごめんね。隠してたから、夢叶のこと不安にさせたよな」
そう言って私の頬をなでた後、キュッと抱きしめられた。
「夢叶、好きだ。俺の気持ちに応えてほしいなんて言わないから、だから……見捨てないでくれ……」
そっか…一緒なんだ、朱莉も。
自分の気持ちを伝えたら、この関係が終わってしまうって思った。
一度捨てられた悲しみから、どうしたってそんな可能性を考えてしまう。
ただ、一緒にいてほしい。
その一心だったんだ。
私は朱莉を抱きしめ返した。
「うん。絶対見捨てない。ごめんね、朱莉のことさけてて。私、朱莉に大切な人ができたら見捨てられるんじゃないかって思って。それで悩んじゃったんだ」
「そう…だったんだ」
朱莉は抱きしめていた腕を戻して、私に向き直った。
真っ直ぐに私を見つめていた。
「俺は絶対夢叶を見捨てない。だって夢叶は、俺のたったひとりの家族だから」
私たちはもう一度強く抱きしめ合った。
傷ついた心が治ることはないけど。
だけど、朱莉がいるから大丈夫。
朱莉がいないと、私の世界はなにも始まらない。
私は独り言を言いながら、台本を読み込んでいた。
練習開始から1週間。
その短い期間で上達してきた私を気に入ったようで、監督に自主練室の開放をお願いすると快く頷いてくれた。
そして、その自主練は今日から始まった。
大きな部屋ではあるが、別に大きくても大胆に演技ができるからちょうどいい。
「あー、だーめだ。一旦休憩にしよ」
横に置いておいた水筒の中身もカラになってしまったし、私は休憩がてら水を入れてくることにした。
自分の決められた役が脇役でも、意外に登場シーンは多いし絶対に妥協なんてしたくない。
私は水筒を持って自主練室のドアを閉めた。
まっすぐ歩いたところに、水道があるのでそこで水を入れよう。
そうして水道まで歩いてきて、無事に水を入れられたので自主練室に戻ろうとした。
その時、見知った声が聞こえた。
この声、朱莉と帆乃華ちゃんだ。
私はせっかくなので声をかけようと思って、ふたりの姿を探した。
そうして見つけ出して、私は声をかけようとしたところで動きを止めた。
声をかけなくてよかったと思う。
その理由は——。
「朱莉くん、明日の練習から由衣さんがくるね」
由衣さん?誰?
私の知らない人が出てきて、動きを止めてしまったのだ。
その名前で一緒にドラマに出た人で思いつくのは、右京由衣さんだけ。
当時大学1年生で大人びた人だったのは覚えている。
だけど、私が会ったのは顔合わせの時だけであまり話したことがない。
「まだ好きなの?由衣さんのこと」
帆乃華ちゃんの言葉に、私の心臓がドクンッと大きく音を立てた。
朱莉には、好きな人がいたの?
ずっと一緒にいたのに、そんなこと知らなかった。
「別に好きじゃない。今も昔も」
「へー?あの時は、ふたりで楽しそうに練習してたのにね?」
そんなことも知らない。
朱莉のことで知らないことがあったなんて。
そんなドロドロとした感情が出てくる。
今は、どうしてか朱莉の言葉が信じられない。
「だからって、好きってわけじゃないよ」
朱莉はそう言ってるけど、本音はどうかわからない。
私にはずっと心配してることがあった。
それは、“朱莉に特別な人ができたら、私が捨てられるのかな?”ってことだった。
朱莉に捨てられたら、私には何も価値がなくなる。
いてもたってもいられなくて、私は駆け出した。
その“由衣さん”が明日から来るんだ。
私はとうとう、朱莉にも見放されるのかな?
そう考えたら胸が張り裂けそうだった。
***
自主練室の使用時間が終わってしまって、私は部屋に戻るしかなくなった。
顔がぐちゃぐちゃだったのはどうにかしたし、泣いていたのはきっとバレない。
でも、普通には振る舞えないよ。
「夢叶お疲れ様、一緒に帰ろ」
ドアからひょこっと顔を出して、朱莉が来てしまった。
いつもなら笑顔で頷くところだが、私は視線をそらして言った。
「あ、ごめん。今からちょっと監督のところに行こうと思って。だから、先に帰ってていいよ」
「あ、オッケー。じゃあ先に帰ってるね」
朱莉は疑う様子もなく、私を信じた。
朱莉は悪くないのに、こうやってさけている自分がますます嫌いになった。
そして朱莉が部屋を出ていって、出くわさないよう少し時間をおいて私も部屋を出た。
スタジオから出て、私は夜の街を歩いた。
ここは東京だから周りの光が強く、星なんかちっぽけに見える。
私みたいだ。
朱莉や帆乃華ちゃんみたいな実力のある人の中に、ポツンと実力のない私がいる。
対して目立ってない。
ああ、なんか嫌だな。
私は一筋だけ涙を流して、また歩き出した。
***
今日も練習の時間がやってきた。
今日からいよいよ中盤部分に入り、新キャラがだんだんと増えてくる。
その新キャラ役のひとりとして、右京さんもくるのだ。
朱莉は今のところ、変わった様子はない。
と、朱莉を気にかけていると、ドアが開いた。
入ってきたのは藍色の髪をハーフポニーにしていて、瞳の色は宝石みたいなうすい水色、肩出しのかわいらしい黒いワンピースを着ている人だった。
間違いない。
この人が、右京さんだ。
「待ってましたよ右京さん。とりあえず、挨拶をお願いします」
監督にそう言われて、右京さんは微笑みながら言った。
「大学1年生の、右京由衣です。黒幕のアジュールを務めます。よろしくね」
右京さんは朱莉と同じように、実力と容姿で人気を集める俳優。
私も負けてられない。
心の中でそんなことを考えているうちに、練習スタートの時間になった。
あ、そういえば私がなに役かって?
ヒロインの親友でありライバル役だよ。
だから、意外と出てくるシーンは多くて、練習は毎回いるような形になってる。
そして練習が始まった。
今回のシーンは、黒幕アジュール嬢がめげずにヒロインをおとしいれるところから始まる。
つまり、最初から右京さんが出てくる。
朱莉は一旦舞台外。
私の隣に来るものだから、自然に一緒に練習を見ることになった。
練習で思ったこと。
それは、やっぱり右京さんの演技が上手いってこと。
その役になりきっている。
憑依型と言う噂もあったけど、間違ってないのかも。
朱莉はどう思っているのか気になって、私は隣に視線を向けた。
——見なきゃよかった。
私はすぐに後悔した。
朱莉の目には、右京さんしかうつっていなかった。
それほど朱莉の心は右京さんに向いていたんだ。
私は見たくなくなって、下を向いた。
嫌だ…嫌だっ…!
私はやっぱり、朱莉に見放されるんだ。
***
「カット!夢叶、大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
「え…?あ…。い、いえ大丈夫です…」
「そうか。とりあえず、休憩にしよう」
「はい…」
監督に心配されてしまった。
全然大丈夫なんかじゃないけど、大丈夫と言ってしまった。
朱莉も心配そうに見てくる。
朱莉に声をかけられたくなくてはじの方に移動すると、右京さんに話しかけられた。
「大丈夫?」
「は、はい」
なぜか隣に座る右京さん。
朱莉とも話したくないけど、右京さんとも話したくないんだよね。
でも、そんなことは言えないので黙っておく。
すると、右京さんが話しだした。
「ねえ、夢叶ちゃん…だっけ。……朱莉くんのこと好きなの?」
「えっ?えっと、朱莉とは家族みたいなものなので、普通に好きですよ?」
内心心臓バクバクだったけど、私は平然とそう答えた。
すると、右京さんはニコッと笑って言った。
「じゃあ問題ないね。私がもらっても」
「え?」
「朱莉くんね、私に憧れて俳優になってくれたんだって。今日も練習中私のことずっと見てたし。可能性ありそうじゃない?夢叶ちゃんがいいなら、狙っちゃおうかなって」
ニコニコ笑ってるから、悪意は感じられない。
だけど、私は右京さんになにか歌があるんじゃないかって思っちゃう。
この話を聞いてると、本当に朱莉は右京さんが好きなんじゃないの?
そう思ったらやっぱり苦しかった
***
あれから一週間経って、私と朱莉の関係は悪くなった。
理由は、私が一方的にさけてしまっているから。
そのかわり右京さんとの関係はよくなっているみたいで、本当に付き合っちゃうんじゃないかって思うくらい。
でも、私にはなにも言う権利がない。
そうして今日も練習が終わって、私は部屋に戻った。
部屋は朱莉と一緒でいつも顔を合わせなきゃいけないから、時々帰りたくないなって思っちゃう。
でも、今日は朱莉は監督に呼ばれて帰りが遅い。
そのことに、少しホッとしていた。
と、そんな時玄関のドアが開いた音がした。
まさか、もう朱莉が帰ってきたの?
い、いや…普通にしよう。
私はそう決めて、平然とリビングでお茶を飲み出した。
「夢叶」
いつもより少しだけ低い声が聞こえて、私はゆっくりと朱莉の方を見た。
私は普通に朱莉に返事をした。
「どうしたの?なにかあった?」
そう言うと、朱莉は真剣な顔で近づいてきた。
いつもと雰囲気が違って、私は固まってしまった。
「夢叶、どうして俺をさけるの?俺、なにかした?」
私はその質問には答えられなかった。
はぐらかすようにして、私はコップを持って立ち上がった。
「近いよ朱莉。……別に、なにもないよ」
お茶をいれなおそうと思い、キッチンに向かったところで止められた。
コップを奪われ、私は朱莉に壁まで追い詰められた。
コト、とコップを置いた音がした後、朱莉は私を見つめて言った。
「言うまで逃がさないから。だから、言って」
こんな朱莉は初めて見るから、少し怖くて視線をそらした。
「別になにもないってば。私なんか気にするより、右京さんを気にしたら?」
「…由衣?」
私はハッとした。
口がすべってしまった。
こんなの、さけてる理由が右京さんにあるって言っているようなもの。
「夢叶。ちゃんと答えて」
今度は甘くささやかれて、私は言ってしまった。
「っ…!帆乃華ちゃんとの会話、聞いてたの…!!朱莉が右京さんが好きだったって。右京さんも、朱莉は右京さんに憧れて俳優になったって言ってたもん!」
どんなこと言われるのか怖くて、私は朱莉を見ないようにギュッと目をつぶった。
これでもし、「由衣のことが好き」とか言われたら…。
そして、朱莉はゆっくり口を開いた。
「たしかに俺は、由衣に憧れて俳優になったよ。この人みたいに、俺もなりたいって思ったからさ」
やっぱり、本当なんだ。
だけど——。
「でも、別に好きってわけじゃない。だって俺が好きなのは、夢叶だから」
「え…?」
私はパッと顔をあげた。
嘘はついてない。
いつも嘘つく時は一瞬視線をずらすけど、今の朱莉は私をまっすぐに見つめている。
「す、好きっていうのは…」
「もちろん恋愛的な意味で。気がついてなかった?」
私はコクコクと頷いた。
そんなの、気がつくはずがない。
そんな素ぶりは一切見せていなかったから。
「そっか。ごめんね。隠してたから、夢叶のこと不安にさせたよな」
そう言って私の頬をなでた後、キュッと抱きしめられた。
「夢叶、好きだ。俺の気持ちに応えてほしいなんて言わないから、だから……見捨てないでくれ……」
そっか…一緒なんだ、朱莉も。
自分の気持ちを伝えたら、この関係が終わってしまうって思った。
一度捨てられた悲しみから、どうしたってそんな可能性を考えてしまう。
ただ、一緒にいてほしい。
その一心だったんだ。
私は朱莉を抱きしめ返した。
「うん。絶対見捨てない。ごめんね、朱莉のことさけてて。私、朱莉に大切な人ができたら見捨てられるんじゃないかって思って。それで悩んじゃったんだ」
「そう…だったんだ」
朱莉は抱きしめていた腕を戻して、私に向き直った。
真っ直ぐに私を見つめていた。
「俺は絶対夢叶を見捨てない。だって夢叶は、俺のたったひとりの家族だから」
私たちはもう一度強く抱きしめ合った。
傷ついた心が治ることはないけど。
だけど、朱莉がいるから大丈夫。
朱莉がいないと、私の世界はなにも始まらない。



