小学四年の葵はある日の帰り道、道端で奇妙な消しゴムを拾った。真っ白で、少し甘い匂いがした。
家で試しに、漢字の小テストに赤ペンで書かれた「直しましょう」の「し」をこすってみた。
すると紙を傷つけることなくインクだけが消え「直ましょう」に変わった。
意味はおかしくなったけど、赤ペンまで消えた。葵は目を丸くした。
どうやらその消しゴムは、鉛筆だけではなくどんな文字でも一文字だけ消せるらしい。
葵は面白くなった。
お母さんがテレビ横に貼った「ゲームは一日一時間」の「一」を消した。
「ゲームは日一時間、って書いてあるもん」
そう言い張ると、お母さんはあきれた顔をした。
予定表の歯医者から歯を消したこともある。ただの医者なら、少しは怖くない気がした。
⋯⋯もちろん虫歯の治療はちゃんとあった。
そんなある日、お母さんが風邪をひいた。
パートから帰ってきたお母さんはいつもより顔が赤く、夕ごはんのあと早めに寝室へ行った。
テーブルの上には葵へのメモがあった。
『お弁当は冷蔵庫です。お母さんはだいじょうぶだから心配しないで』
葵は、その字をじっと見た。
だいじょうぶ。
いつものお母さんの字なのに、少しだけふるえている気がした。
葵はポケットから消しゴムを出した。どうしてそうしたのか、自分でも分からなかった。
「だいじょうぶ」の「う」を、そっとこすった。
文字が消えた。
『お母さんはだいじょぶだから』
たった一文字なくなっただけなのに、その言葉は急に無理をして笑っているみたいに見えた。
消しゴムのかすが机の上にぽろりと落ちた。
よく見ると、それはただの白いかすではなかった。小さな「う」の形をしていた。
葵は胸がきゅっとした。
お母さんは、だいじょうぶじゃないのかもしれない。
そう思ったらさっきまで魔法の道具に見えていた消しゴムが、少しだけこわくなった。文字を消していたのではない。言葉の中にかくれた、本当の気持ちを見せていたのだ。
葵は消しゴムを引き出しにしまった。
それから冷蔵庫を開け、氷水を作った。タオルもぬらした。
寝室の戸を少しだけ開けると、お母さんが目を開けた。
「葵? だいじょうぶよ」
葵は首を横に振った。
「今日は、だいじょうぶって言わなくていいよ」
お母さんは少し驚いて、それからふっと力の抜けた顔をした。
葵はタオルを差し出した。
消しゴムは、もう使わなかった。
家で試しに、漢字の小テストに赤ペンで書かれた「直しましょう」の「し」をこすってみた。
すると紙を傷つけることなくインクだけが消え「直ましょう」に変わった。
意味はおかしくなったけど、赤ペンまで消えた。葵は目を丸くした。
どうやらその消しゴムは、鉛筆だけではなくどんな文字でも一文字だけ消せるらしい。
葵は面白くなった。
お母さんがテレビ横に貼った「ゲームは一日一時間」の「一」を消した。
「ゲームは日一時間、って書いてあるもん」
そう言い張ると、お母さんはあきれた顔をした。
予定表の歯医者から歯を消したこともある。ただの医者なら、少しは怖くない気がした。
⋯⋯もちろん虫歯の治療はちゃんとあった。
そんなある日、お母さんが風邪をひいた。
パートから帰ってきたお母さんはいつもより顔が赤く、夕ごはんのあと早めに寝室へ行った。
テーブルの上には葵へのメモがあった。
『お弁当は冷蔵庫です。お母さんはだいじょうぶだから心配しないで』
葵は、その字をじっと見た。
だいじょうぶ。
いつものお母さんの字なのに、少しだけふるえている気がした。
葵はポケットから消しゴムを出した。どうしてそうしたのか、自分でも分からなかった。
「だいじょうぶ」の「う」を、そっとこすった。
文字が消えた。
『お母さんはだいじょぶだから』
たった一文字なくなっただけなのに、その言葉は急に無理をして笑っているみたいに見えた。
消しゴムのかすが机の上にぽろりと落ちた。
よく見ると、それはただの白いかすではなかった。小さな「う」の形をしていた。
葵は胸がきゅっとした。
お母さんは、だいじょうぶじゃないのかもしれない。
そう思ったらさっきまで魔法の道具に見えていた消しゴムが、少しだけこわくなった。文字を消していたのではない。言葉の中にかくれた、本当の気持ちを見せていたのだ。
葵は消しゴムを引き出しにしまった。
それから冷蔵庫を開け、氷水を作った。タオルもぬらした。
寝室の戸を少しだけ開けると、お母さんが目を開けた。
「葵? だいじょうぶよ」
葵は首を横に振った。
「今日は、だいじょうぶって言わなくていいよ」
お母さんは少し驚いて、それからふっと力の抜けた顔をした。
葵はタオルを差し出した。
消しゴムは、もう使わなかった。



