齋藤さんのデスクに行く前に、一度だけ足を止める。
……言えるかな。
そんなことを考えている時点で、まだ慣れてない。
そしてたぶん、返り討ちにあってしまうんじゃないかと思って、踏み出すのが怖いのかもしれない。
「…齋藤さん、今ちょっといいですか?」
意を決して声をかけると、齋藤さんがパソコンの画面から視線を外してこちらを見た。
「ん?どうした?」
帰ってきた声は軽い調子で、私がこれから言うことなんて予想もしてないような顔をしている。
そのまま「武蔵小金井の件なんですけど」と、さっきの資料を差し出す。
「開発に確認したら、この仕様だと他の機能に影響出る可能性があるみたいで」
自分でも分かるくらい、少しだけ声が硬い。
緊張しているのが相手にばれているのも、よく分かる。
「このまま進めるのは、ちょっと難しそうです」
言い切ったあと、ほんの少しだけ間が空いた。
この絶妙な沈黙が、今は痛い。
齋藤さんは資料を受け取って、イスにもたれてぱらぱらとめくる。
「……あー、そっかー」
思ったより、あっさりした反応だった。
まるでこうなることが分かっていたみたいな。
「まあ、開発はそう言うよね」
軽く流されたかと思ったけれど、「でも」と続けられた。
「これ、先方けっこう乗り気でさ」
やっぱり、そう来るんじゃないかと踏んでいた。
「ここ変えたら、話がちょっとややこしくなるんだよなぁ」
資料を見ながら、ため息混じりにそう言う。
齋藤さんは私がどう反応するのかを確かめるみたいに、ちらりとこちらを見た。
鋭くも冷たくもない温度の、試すような視線。
いつもなら、ここで終わっていた。
「じゃあそのまま進めますね」って、何も考えずに引き受けていたと思う。
でも、今日はそれじゃいけない。
小さく声を出した。
「……あの、一度仕様を整理した上で、説明し直した方がいいと思います」
喉の奥が少しだけ詰まる。
それでも、やめるわけにはいかなかった。
「このまま進めて、後から問題出る方が大変になると思うので。慎重にいきましょう」
言いながら、心臓の音がうるさい。
齋藤さんは一瞬だけ、目を見開いて私を見た。
その反応がいいのか悪いのか、まだ分からない。
そこまで口を出すなと言われるかもしれない。
どうして今日に限って、とか。そういうことも考えているかもしれない。
まだ心臓が響いている中で、彼はふっと笑った。
「……珍しいね。穂村さんがそういうこと言うの」
からかうわけでもなく、ただ事実を言われたみたいな口調だった。
「……すみません」
反射的に謝りそうになるのを、ぐっと飲み込む。
────違う。謝ることじゃない。
「いえ」と急いで言い直した。
「そうした方がいいと思います」
さっきよりも、少しだけちゃんとした声で。
齋藤さんはしばらく資料を見ていたけれど、やがて小さく息を吐いた。
「……分かった」
ぽつりとそう言って、吹っ切れたような表情を浮かべて資料を閉じる。
「じゃあ一回、開発と詰める方向でいこうか。先方と話すのはそれからにするよ」
その一言で、肩の力が抜けた。
「ありがとうございます!」
まだ緊張だけは抜けきらなくて、勢いよく頭を下げる。
次の瞬間には、齋藤さんは私の必死であろう顔を見て笑っていた。
「いいよ。こっちこそありがとう。またよろしく」
デスクに戻る途中で、ようやく深く息をついた。
────言えた。
ほんの少しだけど、踏み込めた気がする。
他の人からすれば、微々たる変化かもしれない。
それでも、確かに。
ちゃんと変わった気がした。
••┈┈┈┈••
……言えるかな。
そんなことを考えている時点で、まだ慣れてない。
そしてたぶん、返り討ちにあってしまうんじゃないかと思って、踏み出すのが怖いのかもしれない。
「…齋藤さん、今ちょっといいですか?」
意を決して声をかけると、齋藤さんがパソコンの画面から視線を外してこちらを見た。
「ん?どうした?」
帰ってきた声は軽い調子で、私がこれから言うことなんて予想もしてないような顔をしている。
そのまま「武蔵小金井の件なんですけど」と、さっきの資料を差し出す。
「開発に確認したら、この仕様だと他の機能に影響出る可能性があるみたいで」
自分でも分かるくらい、少しだけ声が硬い。
緊張しているのが相手にばれているのも、よく分かる。
「このまま進めるのは、ちょっと難しそうです」
言い切ったあと、ほんの少しだけ間が空いた。
この絶妙な沈黙が、今は痛い。
齋藤さんは資料を受け取って、イスにもたれてぱらぱらとめくる。
「……あー、そっかー」
思ったより、あっさりした反応だった。
まるでこうなることが分かっていたみたいな。
「まあ、開発はそう言うよね」
軽く流されたかと思ったけれど、「でも」と続けられた。
「これ、先方けっこう乗り気でさ」
やっぱり、そう来るんじゃないかと踏んでいた。
「ここ変えたら、話がちょっとややこしくなるんだよなぁ」
資料を見ながら、ため息混じりにそう言う。
齋藤さんは私がどう反応するのかを確かめるみたいに、ちらりとこちらを見た。
鋭くも冷たくもない温度の、試すような視線。
いつもなら、ここで終わっていた。
「じゃあそのまま進めますね」って、何も考えずに引き受けていたと思う。
でも、今日はそれじゃいけない。
小さく声を出した。
「……あの、一度仕様を整理した上で、説明し直した方がいいと思います」
喉の奥が少しだけ詰まる。
それでも、やめるわけにはいかなかった。
「このまま進めて、後から問題出る方が大変になると思うので。慎重にいきましょう」
言いながら、心臓の音がうるさい。
齋藤さんは一瞬だけ、目を見開いて私を見た。
その反応がいいのか悪いのか、まだ分からない。
そこまで口を出すなと言われるかもしれない。
どうして今日に限って、とか。そういうことも考えているかもしれない。
まだ心臓が響いている中で、彼はふっと笑った。
「……珍しいね。穂村さんがそういうこと言うの」
からかうわけでもなく、ただ事実を言われたみたいな口調だった。
「……すみません」
反射的に謝りそうになるのを、ぐっと飲み込む。
────違う。謝ることじゃない。
「いえ」と急いで言い直した。
「そうした方がいいと思います」
さっきよりも、少しだけちゃんとした声で。
齋藤さんはしばらく資料を見ていたけれど、やがて小さく息を吐いた。
「……分かった」
ぽつりとそう言って、吹っ切れたような表情を浮かべて資料を閉じる。
「じゃあ一回、開発と詰める方向でいこうか。先方と話すのはそれからにするよ」
その一言で、肩の力が抜けた。
「ありがとうございます!」
まだ緊張だけは抜けきらなくて、勢いよく頭を下げる。
次の瞬間には、齋藤さんは私の必死であろう顔を見て笑っていた。
「いいよ。こっちこそありがとう。またよろしく」
デスクに戻る途中で、ようやく深く息をついた。
────言えた。
ほんの少しだけど、踏み込めた気がする。
他の人からすれば、微々たる変化かもしれない。
それでも、確かに。
ちゃんと変わった気がした。
••┈┈┈┈••



