追われる能天気姫と不愛想な騎士の巻き込まれ逃避行 〜偽りの王女は、初恋の騎士も王位も捨てて自由になりたい〜

――同日、十七時半。

ベッドに寝転がり、
枕元に置いたパンジーのしおりを
じっと見つめていた。

「アレス様……」

ポツリと呟いたとき。

ぐぅ~。

お腹の鳴る音が、無情にも部屋に響き渡る。

そういえば今日は失恋のショックで、
おやつを食べていなかった。
扉をドンドン叩く音と、メイドたちの
「おやつをお持ちしました」という訴えを
無視して泣き続けたのだ。

「……こんなに辛く悲しいことがあっても、
お腹が減るのね」

今では失恋の胸の痛みより、
空腹感が勝っていた。

うう、我慢よ。
もうそろそろ食事の時間が来るはずだから……。

アレス様がくれたしおりから
壁時計に視線を移し、じっとその時を待つ。

やがて――

ボーン
ボーン
ボーン。

十八時を告げる鐘の音が鳴り響いた。

「ついにきたわ!」

ベッドから飛び降りると同時に
扉がノックされた。

『サラ王女様、お食事の……』

「今行くわ!」

扉に駆け寄り、勢いよく開け放つ。
するとメイドが悲鳴を上げた。

「キャア! 王女様!
い、一体そのお姿はどうなさったのです!?」

「え?  姿?  何のこと?」

「あ、悪魔……いえ。お顔がパンパンに
腫れ上がっております!」

「そんなことより食事よ!
今夜、お肉は出るの!?」

「え、ええ。サラ王女様の大好きな
七面鳥の丸焼きが、メインディッシュで
用意されております」

コクコク頷くメイド。
七面鳥……なんて素敵な響きなのだろう。
もはや私の脳内は、
肉汁滴る七面鳥のことで埋め尽くされていた。

「それじゃ、すぐに
ダイニングルームへ行かないとね!」

駆け出したい気持ちを抑え込み、
急ぎ足でダイニングルームへ向かった。

そうだ。
お腹が満たされれば、また失恋の痛みが
蘇ってくるはず。

この何とも言えない高揚感は、
一過性のものなのだから――!


****

 ダイニングルームに到着すると、
既にお父様の姿があった。
けれど、肝心のララお姉様の姿が見えない。

お父様は私を見ると、笑顔で手招きした。

「おお、可愛いサラや。
今夜はお前の大好きな七面鳥を用意させた。
さ、座りなさい」

テーブルの上には既に豪華な料理が並べられ、
中央の皿にはこんがり焼けて
湯気の立つ七面鳥が鎮座している。

「はい、お父様」

静々と近づき、給仕のフットマンに
椅子を引かれると素早く座る。

目の前にはこんがりと黄金色に焼けた七面鳥。
そしてその奥には、愛しの(肉の)提供者であるお父様。

うぅ~……早く食べたい。

「さぁ、サラ王女。お取り分けいたします」

手慣れた給仕のフットマンが、
銀のナイフを手にスッと横に立った。

普段なら王女らしく「胸肉を少し……」
なんてお淑やかに言うところだけれど、
今の私にそんな余裕はない。

「その一番大きな腿のところを!
皮がパリッパリになっているところをお願い!」

「は、はい! ……失礼いたします」

私の気迫におされたのか、
フットマンのナイフを持つ手が
小刻みに震えている。

けれど彼はプロだった。
一切の無駄のない動きで、
肉汁を滴らせる最高の一切れを私の皿へと運ぶ。

「……ふふ、ふふふふ……」

気づけばナイフとフォークを手に、
不気味な笑みが漏れていた。

「いただきます!」

迷わず一口、大きな塊を口に入れる。
パリッとした皮の食感、
そして噛みしめるたびに溢れ出す
ジューシーな肉の旨味。

(……美味しい!  美味しすぎるわ、七面鳥!
あなたは私を裏切らないものね!)

「サラ、そう焦らんでも肉は逃げんよ。
ははは、本当に旨そうに食べるな」

向かいの席でお父様が愉快そうに笑っている。

「はい!  お父様!」

そうよ。
アレス様に振られたくらいで
私の人生が終わるわけじゃない。
こんなに甘いお父様がいて、
美味しいお肉があるんだもの――!


 ある程度胃袋が満たされたところで、
ララお姉様の所在が気になりだした。

「そういえばお父様、
ララお姉様はどうされたのですか?」

「また魔術室に籠もって、
新しい攻撃魔法の実験をしているよ。
今夜は没頭したいからと、
食事もあちらで済ませるそうだ」

「まあ、また実験ですか?
本当にお姉様は熱心ですね」

お姉様は私と違って勉強やピアノ、
ダンスも何でもこなせてしまう。
やっぱりアレス様にお似合いなのは、
チンチクリンな私より、
知力も美貌も兼ね備えた
ララお姉様の方なのだ。

それにアレス様が好きな人は、お姉様。

私にはその辺の花を摘んで作ったしおり。
お姉様には一本一本棘を抜いたバラの花束。

身を引くべきなのは、最初から私だったのだ。

飢えが満たされてくると
今度はチクチクと胸の痛みが蘇ってくる。

七面鳥の向こうでは、
ワインで顔を真っ赤にさせたお父様が
食事を口に運んでいる。

……きっと平静を装っているけれど、
かなり酔っぱらっているに違いない。

(よし、決めた。明日の朝、
お父様にアレス様との婚約を
破棄してもらうようにお願いしよう。
これからはアレス様の義理の妹として
可愛がってもらうんだから!)

論点をすり替え、
無理に自分の心に言い聞かせた――