ミッドナイト・ヴェノム




〈 春野 怜悧 side 〉




「ただいま、怜悧」



「おかえり、七夏」



「あー疲れた。お風呂入ってくる」




仕事から帰ってきた七夏は、俺に声をかけるとすぐシャワールームに向かっていった。



どうせまた腰を掴まれて気持ち悪かったとか、肌に触れられて汚いからとか、そんな理由だろう。



だが、パソコンのデータに送られてきた情報は全て完璧だ。



ということは、今回も触れられる不快さをその雅な仕草に押し込め、甘い言葉を囁いてきたのだろう。




「……妬けるなあ」




いつも俺たちだって、好きだよ、とか。七夏だけ、怜悧だけ、とか。



そういう言葉を言い合っては来たけれど。



それはもはや俺たちの中ではただの「形」。



おそらく七夏は、俺の囁く言葉を空虚な嘘としか思っていないんだろう。



俺だって、本当の気持ちを隠して、嘘を言っているふりをして好きと言っている。



本当はぜんぶ、本心なのに。俺は、それを嘘だと装って囁いている。



だから、今回ターゲットだったあの伊橋が羨ましいよ。



あの男が頬を染めれば、七夏はそれを本気として受け取ってくれるんだから。




「…………」




クッキーを、さくり。



前から思っていたが、これは甘すぎて胸焼けしそう。だけどそれをおくびにも出さず、紅茶で押し流す。



やっぱりこのお菓子はハズレだったかな。食べきったらもう買わないようにしないと。



これは、きっと七夏も嫌う味だ。顔には出していなかったけど。




「……」




しゃら、と視界の隅でネックレスが揺れた。



静かな空間に響く、涼やかな金属のチェーンの音。



このネックレスは、七夏からの去年の誕生日プレゼントでもらったものだ。




『はい、怜悧。これ誕生日プレゼント』



『ん、ありがと。七夏からもらえるの、ずーっと楽しみにしてた』




あのときも、軽く流されてしまったけど。



今までターゲットからもらったアクセサリーや食べ物の部類はすべて売り払ってきたこと、七夏なら知ってるだろうに。




『あれ?それつけてくれてるんだ』



『当然じゃん。七夏からのものだから』




七夏だけ、特別なのに。



俺たちはいつだって、真実を怖がっている。




「……ふう。あー疲れた」




シャワーから出てきたらしい七夏が、髪を拭きながらラフな部屋着姿でリビングに戻ってきた。



お疲れ様、と声をかけながら、俺は七夏が好きな紅茶とお菓子を出してみる。



すると、わずかに七夏の瞳が安堵と煌めきを帯びた、気がした。




「ありがと、怜悧。んー、うま」



「伊橋はどうだった?」



「結構考えてる割には甘く見過ぎな男だったよ。まーでも目的は達成できたし、もう忘れる」




今回の目的は、伊橋が持っている情報を奪い取ること。



それから、西宮会が言っていた「海外マフィア」について詳細な情報を得ることだ。



前者は依頼、後者は俺たちが欲しかった情報だった。



ターゲットの伊橋は、主に海外との商談で利益を得ている組織の一員。



親の力で今の地位に就いた伊橋は、重要な役柄についていながら考えが少し足りない。



親の教えで多少は裏社会で生き抜く力がついているようだが、七夏の前ではただ女に誘惑されてボロを出す男だったというわけだ。




「今日はどこまでしたの?」




七夏の隣に座り、顔を覗き込む。



七夏はマフィンを食べながらさらりと答えてくれた。




「好きって言ったのと、腰を抱かれただけ。あと用意しといた偽造の口座情報を提示した」



「あーあ。また嘘ついたの?だめなんだー」



「怜悧だって人のこと言えないくせに」




俺は七夏の顔に手を伸ばし、前髪を耳にかける。



そのまま指の背で頬を撫でれば、少し肩の力が抜けた七夏がやっと俺に視線をくれた。




「なーに?怜悧、今日は甘えたな日?」



「まーね。俺の好きな人が他の男に腰抱かれたって言うから」



「仕事だから。それに、本命は怜悧だけだよ?」



「……わかってる。俺も」




わかってる、なんて。嘘だ。



俺は、七夏の本音なんて考えたくない。



昔からずっと嘘だらけの俺を七夏がどう思ってるかなんて、考えたくもない。



でも、一緒にいたい。俺の気持ちは知って欲しい。



あー、だめだ。やっぱり怖い。



……本当、七夏って毒みたい。






〈 春野 怜悧 side END 〉