「――ねえ」
「……ッ⁉︎」
まるで、その瞬間を待っていたかのようだった。
怜悧の手に肩を掴まれ、気が付けばソファの上に組み敷かれている。
視界いっぱいには怜悧の瞼が映り、唇には柔らかなものが触れていた。
「ん、ちょ、何……っ」
今まで「好きだ」「好きだ」と言い合っている割には、私たちは一度だってキスをしたことがなかった。
キスをしてしまえば、明確に何かを超えたら、そうしたら私たちは2度と戻れなくなるとわかっていたから。
真実を恐れてきた私たちは、一度だって、したことがなかったのに。
「まって……!」
「待たない」
喰われる。
吐息ごと。私にまつわるすべてを逃しはしないとでもいうように。
余すことなく、すべてを喰われているような感覚だった。
「んぅ、ぁ……っ」
「…………」
当たり前のように入り込んできた舌が、私の舌を絡めとる。
ちう、という可愛らしい音が響き、吸われた。
「待ってってば、なんで、怜悧……!」
やはり、毒。
唇を重ねて流れ込んできた怜悧の猛毒は、ぐらぐらと私の意識を揺さぶっている。
心の中に仕舞い込んで鍵をかけた、怜悧への密かな恋心が、今顔に出てこようと暴れている。
でも、どうして。
なんで、急にこんなこと……!
「……七夏は、俺のこと好き?」
やっと唇を離したかと思えば、私を組み敷いたまま、怜悧はそう聞いてきた。
「それとも、俺より弦の方が好き?」
「……弦くん?」
どうして今、その名前が出てくるのか。
そんな疑問の答えとして頭の中に出てきた一つの「予測」は、あまりにも私の願望が大きすぎるものだ。
だから静かに蓋をして、私は怜悧の言葉を待った。
「わかってるよ、作戦のために花奈と俺を2人にしたかったんでしょ。花奈もそれを望んでたのは、わかる」
怜悧の瞳は、まだ燃えている。
だけどその瞳を細め、顔を歪め、怜悧は苦しそうな表情をした。
「……でも、それでも、七夏が俺より弦を選んだのが、いらつく」
「!」
「ねえ七夏。嘘でも何でもいいから言ってよ、俺のこと好きって」
「……怜悧」
「…………おねがい」
本当に、こんな怜悧は初めて見た。
私をこんなふうに追い詰めて、苦しそうに願ってくるなんて。
……もしかして、怜悧は本当に……。
……いや、これを考えるのは今はやめよう。
ぐいぐいと私の中で主張を強める恋心を無視し、私は私を見下ろしてくる怜悧の頭を、そっと胸に引き寄せ抱き込んだ。
自分の首を晒しているのにも関わらず、怜悧は素直にそれに従う。
「…………好きだよ、怜悧」
ほんの少しだけ。
本音というか、繕わない声音を混ぜて、囁いた。
「弦くんはね、確かに話してて退屈しない相手ではあるけど、私には眩しすぎる」
「……」
「でも怜悧は、話して退屈しないだけじゃない。あなただけが私のすべてを知っているから、あなたといるときだけ、私は心から安心して過ごせる」
これは本当の本当だ。
私たちは、お互いだけがお互いのすべてを知っている。
出生も、願望も、幼少期も知っている。こんな生活になった経緯も。
だから怜悧の前では、私は「七夏」でいられる。
「好き」に繕いを混ぜたり、笑顔を作ることはあっても、「七夏」だけは消えずにいられる。
だからこそ、私は怜悧のことが――……。
「……七夏」
満足したのかそっと体を離した怜悧は、依然として私を押し倒した状態のまま、言葉を続ける。
「俺、やっぱり花奈とは恋人にならない。何が何でも」
「へ?」
「言ったでしょ、俺と七夏で青春っぽい恋するって。作戦のためでも、俺と花奈がくっつくために七夏と弦が2人になるのが許せない」
私らしくない、怜悧の言葉を間に受けるなんて。
でもどうしても、その言葉に胸を躍らせてしまう。
花奈が怜悧のことを好いているのを知りながら、怜悧が花奈と付き合う気がないのを知って私は嬉しくなっている。
そうだ、私はこういう人間だった。
「……そっか」
でも確かに、作戦のために恋敵に塩を送るだなんて、「普通の高校生」らしくない。
せっかく表社会で普通っぽい高校生活をしているんだから、ちょっとくらい「普通」に近づいてもいいはずだ。
『仮に俺たちがめっちゃ青春っぽい恋愛するとして。サンカクカンケーとかになっても、俺たちならなんか大丈夫な気がする!」
そうだ、例えそれで私と花奈がぶつかってしまったのだとしても。
『ケンカしてもぜってー仲直りできる!から、あんま心配はしてねえな!』
花奈と仲直りすればいい。
そうするなら、きっと、それでいい。
「怜悧が望むなら、そうすればいいよ」
だから、私は怜悧に向け、優しく、素のままで笑顔を向けた。
「私を、落として」
逃れることのできない、恋の毒沼に。
引き摺り込んで、貪って。
疑う余地のないくらい、反抗する気が失せるくらい。
そうして、私をこの裏社会の疑念の中から掬い出して、その言葉を信じさせてほしい。
そんなことを考えながら挑発すると、怜悧は嗤い、そして再び唇を重ねてきた。
「……好きだよ、七夏」
まだ、その言葉を信じるのは、怖い。



