面識のなかった同級生と名前のない関係になったら、隙間なく重なる相性で離れられなくなった【完結】

 ――それから、約五か月が経った。


「ねえ。芦田くんって、ほんとカッコいいよね」
「…………はあ」

 十二月の半ば。
 会社の近くにあるイタリアンのお店で、会社の忘年会が開催されていた。

 さっきからずっと、営業部の女の先輩が隣で頬杖をつきながら、甘ったるい声でこういうことを言ってくる。

 見た目は綺麗な人なんだけど、驚くほど惹かれない。

 この人は、俺が入社した時からずっとこんな感じだ。
 今日も彼女の座った位置を最初に確認し、さりげなく遠くの席を取ったはずなのに、いつのまにか真隣に座られていた。

「この前の案件、芦田くんが対応してくれて本当に助かった。ありがとね」
「……まあ、仕事なんで」
 営業とエンジニアということで、顧客からの開発依頼で同じチームとして動くこともよくあるのだ。

 テーブルが小さい店なので、なるべく肩をすくめているのだが、どうしても腕がたまに当たりそうになる。
 いや、わざと当てられそうになる、という表現の方が正しい。

 その左側がひどく居心地が悪く、無駄に力が入る。

 油断していたら、テーブルの上に置いていた俺の左手の甲に、彼女の甲をピタリと重ねられた。
 すぐにサッと離す。

「……僕、彼女いますよ」

 俺はグラスを見つめたまま、感情のない目で低く言う。
 しかし先輩は、「気にしないよ?」と悪びれもなくニッコリと微笑んだ。

(いや、気にして)

 俺は内心で毒づいていた。

 ◇

 一次会が終わると、俺はスッと気配を消すようにして帰路についた。

 ガチャガチャッ。
 鍵を開けて自分の家に入る。
 部屋の奥から「おかえりぃ」と落ち着いた声がした。
 その声と共に、すぐに玄関にパタパタと現れたのは。

 ――澪だ。

 すでにお風呂を済ませたようで、オフホワイトのゆったりとしたトレーナーにボーダーのスウェットという、完全にリラックスした格好になっていた。

「……疲れた」
 彼女の柔らかい顔を見たら、思わず素の心の声が漏れた。

「お疲れさま。会社の大人数の飲み会って、気遣うし疲れるよねー」
 のんびりとした共感の声をかけてくれる彼女の背中を押し、一緒にリビングへ戻る。

 彼女とは、俺のこの狭い部屋で、もう半同棲……いや、ほぼ同棲状態になっている。

 別々の家賃を払うのももったいないし、社会人になると同時に借りたという彼女の部屋はまもなく更新の時期を迎える。

 そのため、今は二人で住む部屋を本腰を入れて探している最中だ。

 今の俺のこの部屋は、俺も彼女も気に入っているが、二人でずっと住むとなるとどうしても手狭なのだ。

 薄手のコートを脱いで壁にかけ、身軽になった俺は手を洗いに洗面所へ向かった。

 ガラガラとうがいをしていると、彼女がトコトコと洗面所に入ってきて、俺のシャツの肩あたりをスンッと嗅いだ。

「……香水?」

「……あー。今日ずっと隣にいた人、香水きつかったから」
 先輩の顔を思い出し、うんざりして苦笑いする。
「……ふーん」
 澪は平坦な声でそう言いながら、部屋に戻る俺の後ろをピタリとついてきた。

「……誘われたりしてない?」
 珍しく探るような声で、重ねて聞いてくる。
「はい?」
 俺は振り返って間抜けな声を出した。

 澪がこういうことを気にしてくるのは滅多になくて、俺の中にちょっと意地悪い気持ちが顔を出す。

「……よくわかったね」
 わざと思わせぶりに言うと、彼女は「……へえー」と、必死に声のトーンは変えないように反応してきた。

 でも、俺にはわかった。
 ちょっと気になってるだろ、それ。

「まあ、全部かわしてるけどな」
 一応そう補足すると、俺自身もその染みついた匂いを早く落としたくて、早々に風呂場へと向かった。

 ◇

「…………っ」
「…………史人っ……」

 彼女が細い腕で必死に俺の首に掴まりながら、途切れ途切れの甘い声を漏らす。

 俺はだいぶ前から下の名前で呼んでいるのに、彼女がためらいなく名前を呼ぶのは『この時』だけだ。

 なぜか普段の方がやけに恥ずかしがって、ごくたまにしか呼ばない。

「……もっと呼んで」
 強めの圧で、でも思いきり優しく、彼女の耳元でねだる。

「…………っ」
「……呼んで」

「…………史人」

 潤んだ瞳で俺を見上げ、しっかりと応えてくれた彼女を、壊れるくらいきつく抱きしめた。


 春に彼女とこういう関係になってから八か月が過ぎ、季節はとうに冬を迎えていた。

 肌寒さから薄い毛布を出してはあるものの、二人で必死に確かめ合っているとすぐに暑くなる。
 気づいた頃には毛布は床に落ち、いつものシーツだけがベッドに取り残されて、二人の世界の輪郭を縁取っている。

 相性が良いのは最初からわかっていた。
 だが、飽きるどころか、毎日触れてもまだまだ欲しくてたまらない。

 まるでお互いが、お互いのためだけにつくられたような気がしてしまうくらい、俺たち二人は何もかもがぴったりだった。


 ◇

 甘い時間の後。
 俺は一人でベランダに出て、寝る前の一服をする。

 外はすっかり冷たい冬の空気だ。
 冬の夜は、しんと静まり返っていて落ち着く。

 眼下を流れる冷たそうな川の水面には、街の青白い灯りがゆらゆらと反射している。
 十二月の東京で雪が降ることなんて滅多にないが、微かに雪のような匂いがした。

 ――カラカラッ。
「……っ」
「……わ、びっくりした」

 背後で窓を開ける音がしたと思ったら、振り向くよりも先に、澪が背中からギュッと抱きついてきた。

 冷えた背中に、部屋にいた彼女の体温がじんわりと伝わってくる。

「…………って……」
 俺の背中で、彼女がボソボソっと何かを呟いたのが聞こえた。

「ん?」と聞き返すと、少しだけ声を張って澪が言った。

「……彼女いるって、言って」

 一瞬何のことかわからなかったが、さっきの香水の話を思い出した。
 先輩のことか。

 ストレートに不満げな声を出す澪は珍しく、俺は暗闇の中で内心ほくそ笑んでいた。

「……言ったけど?」
「え、そうなの?」
 背中に埋めていた彼女の顔が、バッと上がる。

 俺の意地悪げにニヤついた顔を見て、彼女は「……ふーん」と言いながらも、少し嬉しそうに照れていた。

「……あ。あれにしようかな、誕生日プレゼント」
「うん、なに?」

 俺の誕生日は、ローテンションな俺にはあまり似合わない、一月一日。元旦だ。
 もう間近に迫っており、澪に何がほしいかと聞かれていたのだが。
 さっきの先輩の顔が頭に浮かんで、「これにしよう」と思いついたものがあった。

 ◇

 年末年始は実家への帰省もスキップし、狭い部屋で澪とじゃれあってばかりいた。
 そうしたら、気づくと休みが終わっていた。

 とはいえ、春からの二人の新しい引っ越し先も無事に決まったり、誕生日プレゼントを選びに行ったりして、充実した連休ではあった。

 俺は、無事に二十四歳を迎えた。


 仕事始めの日。
 スッキリした頭でPCに向かっていると、「芦田くん、あけましておめでとう」と声をかけられる。

 隣を見上げるとあの女の先輩が立っていて、こちらに微笑みかけていた。

「今年もよろしくね」
「あ、よろしくお願いします」

 淡々と返し、すぐに画面に視線を戻す。

「さっそく、あの案件のことなんだけど……」
 はらりと落ちる髪を指ですくいながら、また無駄に距離を近くしてきた先輩。

 だが、キーボードを叩く俺の手元に目をやった瞬間、ハッと言葉を止めた。

「どうかしました?」
「……ううん、なんでもない」

 少し引き攣ったような笑顔を返された。

 俺の右手薬指にはめられた――新品のゴールドの指輪。
 彼女はそれに気づいたようだった。

 ◇

「リング」
「ええっ!? リング!?」

 あの夜のベランダで、俺がリクエストしたものを聞いて、澪はひっくり返るくらい驚いていた。

「そ。会社でちょっかいかけられるのダルいんだよ」
 俺はいつものごとく身体の左側を彼女にひっつけて、面倒くさそうにため息をつきながら、二本目の煙草に火をつけた。

 あの先輩は、やんわり断っても通じないし、仕事上関わりがあるから、角が立つような言い方もしづらい。

 それに、純粋にファッションとしてもリングに興味があった。

「安いやつでいいから、ちょうだい」
「うん! わかった」

 そして冬休みに入ってから、二人で一緒に選びに出かけて、澪がプレゼントしてくれた。

 ゴールドの細めのリング。
 彼女とも「これいいね」と意見が一致した、シンプルなデザイン。
 サイズもピタリとはまっている。

 この感触を、俺は結構気に入っているのだった。