ようやく泣き止んだ僕は、あさひくんから離れる。
そして、僕はみんなに向き直った。
「みんな、僕はまだ…ううん、これからもずっとノヴァのスイでいてもいいかな?」
僕の問いに、全員が顔を見合わせた。
「「「「「もちろん」」」」」
全員の声が被った。
安心した僕は、ふっと笑みをこぼした。
そんな僕の頭を來がなでる。
「よかったなぁ、スイ。それで?深月のこと連れてきたの俺なんやけどな〜。なんかないん?」
そう首を傾げられても…。
僕にできることなんかあるのかな?
そう考えていると、僕と來を漣が思い切り引き離した。
「ちょっと、漣…!力強——」
「黙って」
あからさまに不機嫌な声に、僕は声を出せなくなった。
てか、僕がなんか言ったらさらに機嫌悪くなるし。
それから、漣は來をにらんで言った。
「おい來、お前楓乃に一生近づくな」
「はぁ〜?無理だわ。お前と違って、俺は楓乃と同じ中学やったし仲もええからな」
「はっ、それとこれとは関係ないだろ。フラれてるくせに。俺と同レベルだろ。フラれてんんだからな」
なぜ2回言うんだ、まったく。
來は固まってるし。
そして僕がため息をついた途端、一輝が楽しそうに目の前へと走ってきた。
「え、待って、そういう関係だったわけ?マジで漣がスイを好きってわけ?」
うわー…、一輝って恋愛話好きだし、これ離してもらえないタイプかも…。
案の定すぐに腕をガッチリ掴まれる。
その後ろでは、灯真の混乱してる声が聞こえた。
「え?え?どういうこと?いや、確かにスイは顔かわいいけどさ…。えぇ?漣お前、マジで好きなわけ?」
おい、顔がかわいいっていうな!
こっちはそれが嫌なんだって!!
そう心の中で怒鳴りながら、灯真をキッと睨む。
その視線にすら気がつがず、まだ混乱している様子だ。
すると、漣は僕を引き寄せて耳元で言った。
「なんで俺に來に告られたこと言わなかったの?」
「えっと…それは、言うべきだったの?」
「当たり前」
少しムスッとした様子で言う漣。
えぇ…言うべきだったのか。
「んじゃ、今言ったってことで」
「はぁ…、いいわけねぇだろ」
そう言ってため息をついた後、僕の頬にキスを落とした。
ちゅっと音が鳴って、僕は一瞬固まってから顔を赤くしていく。
「なっ…!」
「言わなかった過去の楓乃に怒っときな。俺に怒るのはおかしい」
そう言ってニッと笑った。
一輝は横でニヤニヤしてるし。
思わずあさひくんを見ると、ニコッと笑みを返された。
「なに見せつけてくれるねん。あ〜あ、漣だけずるいわ〜」
そう言って笑う來も、絶対にからかってるし。
僕は半ば諦めて、ため息をつくのでした。
その裏で、日常が戻ってきてホッとしている自分もいた。
そして思った。
——今なら、両親にも向き合えると。
***
その日の夜、僕は結局機嫌の悪い漣に離してもらえず漣の家に泊まることになった。
呑気に僕に近づいてきて、漣はベッドの上でギュッと僕を抱きしめた。
「ん、珍しいじゃん。楓乃が抱きしめ返すなんて」
そう言われて、初めて気がついた。
いつの間にか手に力が入っていることに。
僕はゆっくりと顔をあげた。
「あのさ、漣。お願いがあるんだ。…聞いてくれる?」
そう控えめに聞くと、漣はふっと微笑んだ。
「もちろん。楓乃のお願いなら、なんでも聞くよ」
「…ありがとう。あのね、僕お母さんとお父さんともう一度話し合ってみたいんだ。それでね、漣についてきてほしい」
漣は僕の言葉に、驚いた表情をして固まった。
両親に漣を紹介したいと思った。
僕を受け入れてくれた人、大切な人で、ずっと一緒に同じ道を歩んだ仲間だから。
そんな漣を紹介したいんだ。
「俺で…いいの?」
漣の声は珍しく震えていた。
本当は、僕に突き放されるのが怖いのかもしれない。
漣はそういう経験をしてきた人だから。
僕はふっと微笑んで言った。
「漣がいいんだよ。今では僕の1番大切な人だから。漣じゃないとダメ」
僕がそう言うと、漣は僕の方に頭をのっけた。
それから、また震えた声で——。
「ありがとう」
そう言った。
僕が優しく背中をさすると、僕の肩が少し濡れた。
漣も僕も似たもの同士だ。
傷つくのがどうしようもなく怖いのに、いつも余裕でいたくて“本当の自分”は誰にも見せられなくなる。
だからこそ、僕たちは分かり合えたのかもしれない。
***
今日は僕の人生で、1番勇気のいる日かもしれない。
今日は久しぶりの学校登校、それから両親と向き合って話をする日。
僕は変わりたいと思った。
だから、逃げてばかりじゃダメなんだ。
実は2年生に上がってからは、1ヶ月に1回の別室登校にしてもらっていた。
だからクラスメイトの顔なんて見たことない。
理事長は…前に言ったかもしれないけど、漣のお父さんだ。
漣がどうしてもっていうので頼んでくれたから、特別枠の生徒として通わせてもらっている。
条件は定期テストで上位5位以内にはいること。
いつも3位か2位だから、周りからは「調子にのっている不登校枠生徒」なんて言われてる。
つまり、評判が悪い。
さらにスイの本名が櫻川楓乃だとバレたことから、少なくとも数人は僕の存在を知っているだろう。
教室に行けばどんな目で見られるのかはわかってる。
だけど、逃げたくない。
僕は教室の前まで足を運び、朝のホームルームが始まっているのにも関わらず勢いよくドアを開けた。
「おはようございます、先生。僕の席はどこですか?」
僕は教卓にいる先生に挨拶をした。
それと同時に、突き刺さる生徒の視線。
僕の格好はどこからどう見ても男子生徒だし、遅刻なのにこんなにも堂々と入ってくるものだから興味が湧いたのかもしれない。
僕は視線を伏せようとした時、知っている顔を見つけた。
彼と目が合い、僕に向かって微笑んだ。
「久しぶり、スイくん。君の席、ここ」
まさかこんなところにいると思わなかった。
ヴィータの桜雅くん。
僕は少し経ってからハッとして、彼の隣の席に向かった。
カバンを下ろし、桜雅くんに微笑む。
「まさかいるとは思わなかったよ。隣の席なんだね。よろしく」
「まあね。よろしく」
僕が机の横にカバンをかけると、まだ驚いた様子の先生が僕に声をかけた。
「櫻川、よかったら自己紹介をお願いできるか?」
僕は一度ゆっくりと頷き、前に歩いていった。
教卓のところまで歩いて足を止めて、クラスメイトを見回した。
まだ僕のことを物珍しそうに見てくる。
僕は少し嫌な雰囲気を破った。
「初めまして、櫻川楓乃です。芸能活動してて来れる日は少ないと思いますが、ぜひ仲良くしてください。ちなみに、体は女ですがXジェンダーです。よろしく」
まずは一歩。
“スイ”じゃない僕にも、強さがあってそれを証明していく。
僕は頭を下げて、拍手を浴びながら席に座った。
***
4限目までグループワークが2回ほどあったが、僕に話しかけてくれる生徒は桜雅くん以外にいなかった。
桜雅くんも他の友達と組んだら?と言おうと思ったが、どうやら彼もクラスに馴染めていないみたいだ。
僕にとっては、それは結構助かったんだけどね。
そんなこんなでお昼休みになり、僕は安定のぼっち。
桜雅くんがお昼一緒に食べないかって誘ってくれたんだけど、その後委員会の集まりが入ってなしになっちゃった。
まあ、教室で食べればいいか。
僕にはまだ、他の子に話しかける勇気がない。
そう思いながら朝作ったお弁当を広げていると、不意に声をかけられた。
「あ、あの、櫻川さん!」
いつの間にか、目の前にふたりの女子生徒が立っていた。
今僕に話しかけた生徒は桃色の髪を高い位置でふたつに結んでいて、濃い紫の瞳を僕に向けて緊張しきった表情をしていた。
隣の生徒は肩くらいの長さの黒髪はハーフポニーにしていて、灰色の目をしている落ち着いた様子の子だった。
僕はふたりに微笑んだ。
「僕になにか用?」
そう言うとふたりは顔を見合わせ、ピンク髪の女の子が言った。
「あの、よければ私たちと友達にならない…?」
そう控え気味に言われた言葉に、僕は一度瞬きをした。
驚いた。
まさかこのタイミングでそんなことを言われるとは。
「うん、いいよ」
僕が頷くと、ふたりは表情を明るくさせた。
「一緒にお弁当食べていい!?」
「うん、いいよ」
そう言うと、ふたりともすぐにお弁当箱を持ってきた。
それから近くの机をふたつ寄せて座った。
「あ、自己紹介してないよね。私は咲間心花!みはちゃんって呼ばれてるよ!よろしくね」
ピンク髪の女の子は、心花ちゃんか。
次に黒髪の女の子が口を開いた。
「僕、汐月暖真」
声を聞いた瞬間、僕は勘違いをしていたんだと気がついた。
この子、男の子だ。
見た目が完全に女の子だから、全くわからなかった。
「うん、よろしくね。心花ちゃん、暖真」
すると、暖真は少しだけ口角を上げた。
「よろしく。よかった、スイくんが来てくれて」
「っ…!もしかして暖真、僕のファンなの?」
「あ、えっと…うん」
癖かなにかで僕を“スイくん”と言ってしまったみたいだ。
でもこの口ぶり、僕の炎上の前から知ってるみたいな感じだ。
不思議に思った僕は、彼に聞いた。
「僕のこと、どうしてスイだってわかったの?」
「あ、えっと…僕は中学から持ち上がりで、この私立にいるんです。中学の頃から不登校で、高校1年の時も不登校だったんですよ。その頃にスイくんを知って、少し勇気を出して別室登校にしたんです。その時にスイくんを保健室で見かけました。ちょうどその時期はライブもあって、ライブに行ったときに学校にいた人だってわかったんです」
高校1年の前期は、ほとんど毎日別室登校をしていた。
だから、僕を見たって言うのはその時のことだと思う。
後半は全く学校に行っていないから。
その頃にノヴァのファーストライブが決まって、そのライブに来たんだろう。
そう考えている間にも、暖真は話を続ける。
「僕、スイくんに救われたんです。Xジェンダーって、みんなの言う“普通”じゃないから自分が嫌だった。でも、普通じゃなくても自分らしく生きていいんだって思えました。スイくんは僕の光です。本当に、ありがとうございます」
そう言って笑い、涙を目に浮かべた。
僕とは反対のXジェンダー。
男の子だけど、心が女の子より。
そんな暖真は、すごくかわいく見えた。
「うん。どういたしまして。そう言ってもらえて、すごく嬉しい」
僕の言葉で溢れた涙をぬぐって言った。
「あの、今SNSでスイくんはファンを騙してるとか言われてるけど、そんなこと全然ないって思ってます。むしろさらに親近感湧いたし。スイくんが女の子だから、それがなに?って話だし。その、とにかくスイくんはスイくんで、スイくんのかわりは誰もいないから…。だから…いなくならないでください…」
こんなふうに思ってくれているファンが目の前にいる。
それだけで、僕の心は癒された。
僕は優しく暖真の手をとって握った。
「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しい。本当に嬉しい。大丈夫、僕はいなくならないよ」
僕の言葉に、暖真は耐えきれなくなったように声を殺して泣き出した。
教室に人がいないのは幸いだった。
それから、心花ちゃんが暖真の背中をさすりながら言った。
「はるってば、スイくんのこと大好きなんだよね。だから、スイくんがいなくなったらどうしようって泣きついてきて…!」
そう言って笑うものの、目の奥は優しさであふれていた。
「今日、楓乃ちゃんに会えてよかった。はるとお話ししてくれてありがとう」
僕はその言葉にゆっくりと頷いた。
僕も会えてよかった。
まだノヴァにいたいって理由が増えたなぁと考えながら笑った。
***
放課後、ホームルームが終わってすぐに立ち上がった僕に心花が声をかけてきた。
もちろん、後ろには暖真がいる。
「かのっち〜!一緒にかえ——」
と、その声を遮るように校内放送が流れた。
『放送失礼します。高等部3年1組櫻川楓乃さん、理事長室にお越しください。繰り返します——』
「あれま〜、呼び出し?なにやらかしちゃったの、楓乃ちゃん!」
そうニヤニヤ笑うから、僕は肩をすくめた。
やらかしたわけないじゃないか。
「なわけないでしょ」
「だったらなにさぁ」
「うーん、僕の友達のお父さんが理事長なんだよね。だから、何度か会ったことがあるんだ。それでじゃないかな?」
そう言うと、心花は目を輝かせた。
距離をグッと縮めて言った。
「えっ!?それって、あのイケメンの夏神漣先輩!?」
「漣のこと、知ってるの?」
意外だった。
漣卒業生だとしても心花ちゃんと接点はない気がするし、顔がいいとしてもそんなにパッと出てくるほど有名なのか。
すると、心花ちゃんはうんうんと頷きながら言った。
「そりゃね!私たちが入学してる頃には卒業しちゃってたけど、学校運営関係で学園に来てたし!」
そんなふうに興奮気味で話す心花の横で、暖真はハッとしたように顔をあげた。
「思い出した。そうだよ。ファーストライブで、どこかで見たことがある顔だって思ってたんだ。レンくんだ…!」
あはは…いつかはバレるかなって思ってたけど早いなぁ。
僕は暖真に苦笑いを浮かべた。
「今度紹介してください!!!」
そう言ってくる暖真に、僕は一歩後ずさった。
それに気がついてか、心花が暖真を離してくれた。
「はーい、ダメダメ〜!ほら、かのっちはよいきな〜。こいつはあたしが足止めする!」
そう言ってニット笑って見せた。
面倒ごと押し付けるようでごめんだけど、ここは失礼しよう。
僕はふたりに手を振った。
「ありがとう心花。じゃあ、またね。あ、そうだ、ふたりとも次の公式配信は絶対見てね」
「もちろん見る!!重大発表って書いてありましたからぁぁ!!」
あれま、完全にオタクモード入っちゃってるよ。
まわりも不思議な目で見てくるし。
僕はもう一度苦笑いして教室を出ていった。
そうして足早に理事長室に向かい、ドアの前で立ち止まった。
少し乱れてしまった呼吸を元に戻し、深呼吸をしてからノックをした。
コンコンコンッ。
「失礼します」
ガチャッと音を立ててドアを開き、中に入った後はゆっくりとドアを閉めた。
そうして顔をあげると、目の前にいる人影に気がつく。
僕は目を丸くして言った。
「れ、漣!?どうしてここに?」
まさかいると思ってなかったから、驚いて声が裏返ってしまう。
そんな僕のことは気にせずに、いつものダル絡みをしてくる。
「ねえ聞いて〜楓乃。親父にさ、楓乃のこと人質に取られたんだけど〜」
「えぇ?」
どういうことかと不思議に思う。
なんだよ、人質って。
そう思っていると、奥のイスに座っている理事長が口を開いた。
「漣、そのへんにしといてくれないか。話ができないだろう」
優しくかけられた声は、どうも最初に会った時の印象とは違った。
理事長はもっと威厳のある低い声でしゃべっていた気がする。
そう思うと、どこかまるくなったのかもしれない。
「は〜い」
漣が僕から離れると、視界に理事長の姿が映った。
灰色の髪に深いブルーの瞳、どことなく顔だって漣に似ている。
でも、すごい似てるってわけでもないから、漣はお母さん似なのかも。
「突然飛び出してすまなかったね」
「いえ…!全然大丈夫です」
理事長の言葉に、僕は首を横に振った。
すると、理事長は僕に少しだけ微笑んだ。
「君には感謝を伝えたくてね」
「感謝…?」
僕は首を傾げた。
「ああ、そうだ。最近漣の様子が変わったんだ。今まで漣は本家に帰ってこないし、飛び出した後はどこを彷徨っているのかなにをしてるのかなんてわからない。ようやく見つけたと思って連れ戻しても、すぐに姿を消すんだ。そんな息子だった」
漣らしいな。
漣のことは3年前から見てきたから、よく知ってる。
お父さんを嫌ってることも、連れ戻されるたびに笑って戻ってくるのも。
いつものことだった。
「でも、漣は変わった。ここ数週間の話だ。何度か帰ってくるようになって、私と話がしたいのだと言い出したよ。その時話すことは自分の活動のことと…櫻川さん、君のことだ」
「え…?ぼ、僕のことですか…?」
意外だった。
漣が実家に帰っていることも意外だったが、僕の話をしているなんて。
「すぐにわかったよ。櫻川さんが、漣を変えたんだってね。本当にありがとう。私は漣に後継を押し付けてばかりで、漣の“父親”として接することができなくなっていたようだ。そのことに気づかされたよ」
僕は漣をチラッと見た。
すると、「ん?」とでも言うような顔で微笑んできた。
「漣はね、帰ってきてから言ったんだ。“俺の大切な人が、俺を頼ってくれない。俺が弱いせいだ。だから、俺も嫌なことから逃げちゃいけないって思った。楓乃に頼ってもらえるような、ふさわしい男になりたいから”とな」
「…親父、それいわねぇって」
ギロッと睨んだ漣に微笑み返す理事長。
そんなふうに思ってたんだ。
僕も知らないところで漣を傷つけてしまっていた。
それに申し訳なさを感じる反面、僕に対してそんなふうに考えてくれていたことが嬉しい。
「まあ漣、せいぜい頑張りたまえよ。なんなら、櫻川さんと結婚してくれてもいいぞ」
「え!?」
突然の発言に、僕は驚きの声をあげた。
いやいや、なに言ってんのこの人!?
すると、その発言にのった漣がニヤニヤしながら僕の肩を組んだ。
「だって楓乃。どうする?結婚しちゃう?」
「いやいや…!!そもそも僕たち付き合ってないよね!?」
僕の言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべる理事長。
僕はその表情に嫌な予感がした。
もしかしてこいつ、僕と付き合ってることにしてるんじゃ!?
「え〜?そうだっけ。でも、どうせ俺のものになるっしょ」
「はぁ!?なるわけ——」
僕が反論しようとすると、グッと距離を近づけて額を合わせた。
ふわっと笑う顔がどうしようもなくかっこよくて、僕はなにも言えなくなった。
これが顔面で黙らせられるということか。
「ぐぬ…」
「かわいーね、楓乃ちゃん」
わざとらしくそう言う漣をキッと睨むが効果なし。
僕をいじれて満足したのか、漣は理事長に向き合って言った。
「そーだ親父、跡継ぎが決まるまでは俺が継いでやるよ」
「…申し訳ないが、私は本家以外の子を後継ぎにするつもりはないし、再婚する気は——」
「そーじゃねぇよ」
漣は僕を一瞬見てニヤッと笑った。
「俺と楓乃のが結婚して、子供ができればいいんだろ」
僕はその言葉に、漣の胸ぐらを軽くつかんだ。
それからあせった声で言う。
「だから…!!なんで僕が漣と結婚する前提なんだよ!!」
僕の言葉に漣はペロッとしたを出した。
悪びれもしない。
こいつ、絶対からかってるだけでしょ!?
「仲良くしてくれよ」
理事長まで…笑ってるし!
やっぱり漣は扱いづらい。
でも、こんな日々が楽しい——なんてね。
***
「あっ!スイくーん」
校舎を出てすぐにあさひくんの姿が見えた。
まだ周りに人がいるから、僕はあせって駆け寄った。
「ちょっとあさひくん!周りに人いるから…」
「あ、ごめーん」
あはは、と僕が苦笑いした。
その10分後あたりで漣も合流した。
漣はあの後少しだけ理事長と今後のことについて話していたみたい。
「深月も一緒なの」
少し不機嫌そうに言った漣。
そういえば僕、漣にあさひくんにもきてもらうこと言ってなかったな。
でも、このふたり別に不仲じゃなかったと思うけど…。
「ごめんな〜漣。スイくんに誘われたもんやから」
「まあ…いいけど」
少し申し訳なさそうに眉を下げるあさひくんに、漣も許したみたいだ。
「よし、じゃあ行こうか」
そう言って僕たちは歩き出した。
——あの僕にとって怖かった居場所へ。
***
ピンポーン。
僕たちは実家の前まで来て、僕がインターホンを鳴らす。
その途端ドタドタと家の中から足音が聞こえた。
次の瞬間、勢いよく玄関のドアが開けられた。
お母さんが出てきたのかと思ったが、違ったようだ。
「お姉ちゃん!」
黒いダボっとしたパーカーの腕には白いリボンが結ばれていて、黒い短パンを履いている聖菜だった。
そんな聖菜に僕は言った。
「聖菜、勝手にドア開けちゃダメだよ?母さんと父さんは?」
聖菜はまだ小学4年生だ。
きっと誰がきたかも確認せずドアを開けたのだろう。
すると、聖菜は少しだけ眉を下げて言った。
「は〜い。お母さんとお父さんはリビングにいるよ。入って〜」
特に悪びれもしない様子に、思わずため息が出ちゃう。
でも、不思議と微笑んでしまう。
僕は聖菜に言われた通り、家の中に入った。
玄関で靴を脱ぎ終わった時、リビングの方から母さんが少し慌てた様子できた。
「聖菜、勝手にドアを開けたのね…!ごめんなさい、すぐに行けなくて。さあ、入って」
いつもとなんら変わらない様子の母さん。
この前言い合ったことが嘘みたいだ。
僕は母さんの言葉に頷いて、手を洗ってからリビングに行った。
父さんはというと、いつものように席に座っていた。
僕はふたりに座るよう促し、最後に定位置に僕が座った。
話を切り出したのは僕だった。
「母さん、父さん。ふたりのことを紹介するね。こっちは僕と一緒に活動をしてる、大学3年生の夏神漣」
「初めまして、夏神漣です。3年前に一緒にユニットを組んで活動をした後、グループで一緒に楓乃の活動をしてきました」
その言葉に、母さんの動きが一瞬固まる。
「夏神…ってあの、有名な会社の…?」
いくらうちが情報に疎(うと)いといっても、それだけ有名な夏神家のことは知っていたみたいだ。
母さんの言葉に、漣が頷いた。
「はい、そうです。僕は夏神家本家の一人息子で、後継の有力候補です」
漣の一人称が“僕”になることってほとんどないから、なんだか変な感じだ。
まあ、僕の両親だから態度を改めてるだけなんだろうけど。
「そうなのね…!うちの楓乃が大変お世話になっています」
「いえ、こちらこそ」
頭を下げる母さんに、漣も同様に頭を下げる。
その後ふたりが顔をあげたタイミングで、次にあさひくんを紹介する。
「それで、こっちが久羽深月さん。3年前までの活動名はAsahiだよ」
「初めまして〜。久羽深月です。漣と同じ大学通ってます!」
僕は試したかったのかもしれない。
“彼”の存在に気がつくのか。
そして、それは僕の望み通りになった。
「Asahi…?あさひってあの、楓乃が好きだった歌い手さん?」
覚えてくれていたことにホッとする。
母さんは一度だけ一緒にブラヴールのライブに行ったことがあって、覚えてるんじゃないかと思ってたから。
僕がコクッと頷いた後、あさひくんが言った。
「そうなんですってね〜。あさひ、めっちゃびっくりしたんです。今もファンでいてくれてることに嬉しさしかありません」
そう言って笑った。
それを聞くと、やっぱり嬉しくなる。
「それで…今はなにをしてるんですか?」
なんの好奇心からなのか、母さんがそう聞いた。
「今はピアニストをしてます。活動をやめたのは、ピアニストになるためだったんです。今度はショパン国際ピアノコンクールに出るんです」
この時、初めて父さんが少し反応した。
そういえば、父さんはピアノが好きなんだった。
家にいる時に何度かピアノを弾いているのを見たことがある。
母さんが中学生の頃までピアノを習っていたから、うちには電子ピアノが置いてあるんだ。
その時使ってたやつだからって。
「あさひくん、父さんがピアノが好きなんだ。もしかしたら、父さんがあさひくんのこと知ってるかも」
その言葉ににっこり頷いたあさひくんは、父さんに言った。
「スイく…じゃなくて、楓乃に聞いたのですが、お父様はピアノがお好きなんですよね?もしかして、僕のこと知ってます?」
「……ああ、はい。テレビにもよく出てますよね?」
「わぁ…!知ってくれてるんやな。嬉しいわ〜」
相当嬉しかったのか、いつもの関西弁が出ていた。
僕はそのことにクスッと笑った。
不思議だ。
あんなに帰ってきたくなかったこの家が、漣とあさひくんがいるだけで居心地がいい。
「それで…どうしてそんな人がうちに?」
「僕がお願いしたんだ。一緒に来てほしいって。僕に勇気をくれたかけがえのない存在だって教えたくて」
もう、両親の前で“僕”を使うことに抵抗もない。
僕は変わったんだ。
一度だけ深呼吸をして、まっすぐに見つめて言った。
「僕は3年前、中学3年生の時に漣とユニットを組み始めたんだ。その後意外にも有名になれて、グループ活動をすることをふたりで考えたんだ。そうして集めた他の4人と漣、そして僕で『ノヴァ』ってグループで活動をしてる」
自分のことを伝えたいと思ったのは初めてで、最初こそ緊張していたがそれももうない。
今はただ、僕を知ってほしい。
「この間は全国ホールツアーを全てソールドアウトでまわりきったんだ。そのくらいファンの数も多くて、自分で言うのも変だけど僕がメンバーの中では1番人気なんだ」
今まで総選挙企画なんかをやってるけど、僕はやっぱり人気みたいで優勝した。
メンバーも当然と言っていたし、そんなに目に見えて多かったのかな。
「高校はどうしていたんだ。しっかり通っていたのか?」
僕が少し間を置いてしまったせいだろうか。
父さんがそう聞いてきた。
「あの学園は漣のお父さんが理事長をしてるんだ。だから、漣が僕のために特別制度をお願いしてくれたんだ。活動があるから、できる日に別室登校で授業を受ければいいって。それと、定期テストで5位以内に入ること。基本的に3位くらいを保ってたし、問題なかったよ。まあ、そんな学力があっても、僕は大学に進学するつもりはないけどね」
大学に行かないことは対してなにも思っていないはずだ。
むしろ学費がかかるので、行かなくていいとも言われていた。
ただ、獣医師を目指すなら大学に行かなければいけない。
それだけだった。
「わかった」
父さんはただ一言、そう言って黙ってしまった。
僕は話を続けていいのだと思い、また口を開く。
「でもね、僕にはひとつだけ問題があったんだ。僕がXジェンダーで、性別を隠していたこと。女として見られるのが嫌いだったんだ。だから、今の今までメンバーにも隠してた。でも、今回それで炎上しちゃって…。同じ中学だった子が、SNSに僕の卒アル写真をモザイクだったけどあげちゃって。それで『みんな騙されてる。本当は女です』って暴露されちゃって」
僕はヘラッと笑った。
最近気がついたことだけど、そのSNSにあげた子覚えがあるんだ。
だからかな、こんなに胸が苦しいのは。
でも、でもね。
そんなの関係ないんだ。
「でも、僕はまだここにいたい。メンバーと一緒に夢を追いかけていたい。“スイ”として活動した時間は、嘘偽りない自分の時間だった。ありのままでいられたんだ。そんな僕をあさひくんが好きだと言ってくれた。僕はずっと疑問だった。どうして女に生まれたら、女として生きなきゃいけないんだろうって。ありのまま生きたら、なぜ非難されるんだろうって。だから、僕はこの活動を続けてその常識を壊したい。ファンに離れられても、また実力を見せてファンになってもらう。それが今の僕の考えだ」
幼い頃、ここで父さんにはよく叱られてたんだ。
だから嫌いだった。
ここに座ることが。
でも、今はひとりじゃなくて、漣もあさひくんだっているんだ。
「その覚悟があるんだな」
「あるから、僕はこうやって言いにきたんだ」
少しの間見つめあった後、父さんはもう一度口を開いた。
「お前の覚悟はわかった。なら、好きにしなさい。どんな人生を歩もうと、そのことに対して必ず責任を持つことだ。それができるなら、父さんも止めはしない」
父さんの口癖は「責任を持ちなさい」だった。
僕はホッとした。
母さんはまだ僕の決断を受け入れられてないみたいだ。
すぐに受け入れられるわけもないんだけど。
「母さん、まだ受け入れられないのはわかってる。でも、僕のこととをもっと知ってほしい。僕が活動してるチャンネルのURL、送っておくね。毎週土曜日に公式配信してて、そこで重大発表があるんだ。見てほしい。また連絡するから」
「え、ええ…」
そして、僕はみんなに向き直った。
「みんな、僕はまだ…ううん、これからもずっとノヴァのスイでいてもいいかな?」
僕の問いに、全員が顔を見合わせた。
「「「「「もちろん」」」」」
全員の声が被った。
安心した僕は、ふっと笑みをこぼした。
そんな僕の頭を來がなでる。
「よかったなぁ、スイ。それで?深月のこと連れてきたの俺なんやけどな〜。なんかないん?」
そう首を傾げられても…。
僕にできることなんかあるのかな?
そう考えていると、僕と來を漣が思い切り引き離した。
「ちょっと、漣…!力強——」
「黙って」
あからさまに不機嫌な声に、僕は声を出せなくなった。
てか、僕がなんか言ったらさらに機嫌悪くなるし。
それから、漣は來をにらんで言った。
「おい來、お前楓乃に一生近づくな」
「はぁ〜?無理だわ。お前と違って、俺は楓乃と同じ中学やったし仲もええからな」
「はっ、それとこれとは関係ないだろ。フラれてるくせに。俺と同レベルだろ。フラれてんんだからな」
なぜ2回言うんだ、まったく。
來は固まってるし。
そして僕がため息をついた途端、一輝が楽しそうに目の前へと走ってきた。
「え、待って、そういう関係だったわけ?マジで漣がスイを好きってわけ?」
うわー…、一輝って恋愛話好きだし、これ離してもらえないタイプかも…。
案の定すぐに腕をガッチリ掴まれる。
その後ろでは、灯真の混乱してる声が聞こえた。
「え?え?どういうこと?いや、確かにスイは顔かわいいけどさ…。えぇ?漣お前、マジで好きなわけ?」
おい、顔がかわいいっていうな!
こっちはそれが嫌なんだって!!
そう心の中で怒鳴りながら、灯真をキッと睨む。
その視線にすら気がつがず、まだ混乱している様子だ。
すると、漣は僕を引き寄せて耳元で言った。
「なんで俺に來に告られたこと言わなかったの?」
「えっと…それは、言うべきだったの?」
「当たり前」
少しムスッとした様子で言う漣。
えぇ…言うべきだったのか。
「んじゃ、今言ったってことで」
「はぁ…、いいわけねぇだろ」
そう言ってため息をついた後、僕の頬にキスを落とした。
ちゅっと音が鳴って、僕は一瞬固まってから顔を赤くしていく。
「なっ…!」
「言わなかった過去の楓乃に怒っときな。俺に怒るのはおかしい」
そう言ってニッと笑った。
一輝は横でニヤニヤしてるし。
思わずあさひくんを見ると、ニコッと笑みを返された。
「なに見せつけてくれるねん。あ〜あ、漣だけずるいわ〜」
そう言って笑う來も、絶対にからかってるし。
僕は半ば諦めて、ため息をつくのでした。
その裏で、日常が戻ってきてホッとしている自分もいた。
そして思った。
——今なら、両親にも向き合えると。
***
その日の夜、僕は結局機嫌の悪い漣に離してもらえず漣の家に泊まることになった。
呑気に僕に近づいてきて、漣はベッドの上でギュッと僕を抱きしめた。
「ん、珍しいじゃん。楓乃が抱きしめ返すなんて」
そう言われて、初めて気がついた。
いつの間にか手に力が入っていることに。
僕はゆっくりと顔をあげた。
「あのさ、漣。お願いがあるんだ。…聞いてくれる?」
そう控えめに聞くと、漣はふっと微笑んだ。
「もちろん。楓乃のお願いなら、なんでも聞くよ」
「…ありがとう。あのね、僕お母さんとお父さんともう一度話し合ってみたいんだ。それでね、漣についてきてほしい」
漣は僕の言葉に、驚いた表情をして固まった。
両親に漣を紹介したいと思った。
僕を受け入れてくれた人、大切な人で、ずっと一緒に同じ道を歩んだ仲間だから。
そんな漣を紹介したいんだ。
「俺で…いいの?」
漣の声は珍しく震えていた。
本当は、僕に突き放されるのが怖いのかもしれない。
漣はそういう経験をしてきた人だから。
僕はふっと微笑んで言った。
「漣がいいんだよ。今では僕の1番大切な人だから。漣じゃないとダメ」
僕がそう言うと、漣は僕の方に頭をのっけた。
それから、また震えた声で——。
「ありがとう」
そう言った。
僕が優しく背中をさすると、僕の肩が少し濡れた。
漣も僕も似たもの同士だ。
傷つくのがどうしようもなく怖いのに、いつも余裕でいたくて“本当の自分”は誰にも見せられなくなる。
だからこそ、僕たちは分かり合えたのかもしれない。
***
今日は僕の人生で、1番勇気のいる日かもしれない。
今日は久しぶりの学校登校、それから両親と向き合って話をする日。
僕は変わりたいと思った。
だから、逃げてばかりじゃダメなんだ。
実は2年生に上がってからは、1ヶ月に1回の別室登校にしてもらっていた。
だからクラスメイトの顔なんて見たことない。
理事長は…前に言ったかもしれないけど、漣のお父さんだ。
漣がどうしてもっていうので頼んでくれたから、特別枠の生徒として通わせてもらっている。
条件は定期テストで上位5位以内にはいること。
いつも3位か2位だから、周りからは「調子にのっている不登校枠生徒」なんて言われてる。
つまり、評判が悪い。
さらにスイの本名が櫻川楓乃だとバレたことから、少なくとも数人は僕の存在を知っているだろう。
教室に行けばどんな目で見られるのかはわかってる。
だけど、逃げたくない。
僕は教室の前まで足を運び、朝のホームルームが始まっているのにも関わらず勢いよくドアを開けた。
「おはようございます、先生。僕の席はどこですか?」
僕は教卓にいる先生に挨拶をした。
それと同時に、突き刺さる生徒の視線。
僕の格好はどこからどう見ても男子生徒だし、遅刻なのにこんなにも堂々と入ってくるものだから興味が湧いたのかもしれない。
僕は視線を伏せようとした時、知っている顔を見つけた。
彼と目が合い、僕に向かって微笑んだ。
「久しぶり、スイくん。君の席、ここ」
まさかこんなところにいると思わなかった。
ヴィータの桜雅くん。
僕は少し経ってからハッとして、彼の隣の席に向かった。
カバンを下ろし、桜雅くんに微笑む。
「まさかいるとは思わなかったよ。隣の席なんだね。よろしく」
「まあね。よろしく」
僕が机の横にカバンをかけると、まだ驚いた様子の先生が僕に声をかけた。
「櫻川、よかったら自己紹介をお願いできるか?」
僕は一度ゆっくりと頷き、前に歩いていった。
教卓のところまで歩いて足を止めて、クラスメイトを見回した。
まだ僕のことを物珍しそうに見てくる。
僕は少し嫌な雰囲気を破った。
「初めまして、櫻川楓乃です。芸能活動してて来れる日は少ないと思いますが、ぜひ仲良くしてください。ちなみに、体は女ですがXジェンダーです。よろしく」
まずは一歩。
“スイ”じゃない僕にも、強さがあってそれを証明していく。
僕は頭を下げて、拍手を浴びながら席に座った。
***
4限目までグループワークが2回ほどあったが、僕に話しかけてくれる生徒は桜雅くん以外にいなかった。
桜雅くんも他の友達と組んだら?と言おうと思ったが、どうやら彼もクラスに馴染めていないみたいだ。
僕にとっては、それは結構助かったんだけどね。
そんなこんなでお昼休みになり、僕は安定のぼっち。
桜雅くんがお昼一緒に食べないかって誘ってくれたんだけど、その後委員会の集まりが入ってなしになっちゃった。
まあ、教室で食べればいいか。
僕にはまだ、他の子に話しかける勇気がない。
そう思いながら朝作ったお弁当を広げていると、不意に声をかけられた。
「あ、あの、櫻川さん!」
いつの間にか、目の前にふたりの女子生徒が立っていた。
今僕に話しかけた生徒は桃色の髪を高い位置でふたつに結んでいて、濃い紫の瞳を僕に向けて緊張しきった表情をしていた。
隣の生徒は肩くらいの長さの黒髪はハーフポニーにしていて、灰色の目をしている落ち着いた様子の子だった。
僕はふたりに微笑んだ。
「僕になにか用?」
そう言うとふたりは顔を見合わせ、ピンク髪の女の子が言った。
「あの、よければ私たちと友達にならない…?」
そう控え気味に言われた言葉に、僕は一度瞬きをした。
驚いた。
まさかこのタイミングでそんなことを言われるとは。
「うん、いいよ」
僕が頷くと、ふたりは表情を明るくさせた。
「一緒にお弁当食べていい!?」
「うん、いいよ」
そう言うと、ふたりともすぐにお弁当箱を持ってきた。
それから近くの机をふたつ寄せて座った。
「あ、自己紹介してないよね。私は咲間心花!みはちゃんって呼ばれてるよ!よろしくね」
ピンク髪の女の子は、心花ちゃんか。
次に黒髪の女の子が口を開いた。
「僕、汐月暖真」
声を聞いた瞬間、僕は勘違いをしていたんだと気がついた。
この子、男の子だ。
見た目が完全に女の子だから、全くわからなかった。
「うん、よろしくね。心花ちゃん、暖真」
すると、暖真は少しだけ口角を上げた。
「よろしく。よかった、スイくんが来てくれて」
「っ…!もしかして暖真、僕のファンなの?」
「あ、えっと…うん」
癖かなにかで僕を“スイくん”と言ってしまったみたいだ。
でもこの口ぶり、僕の炎上の前から知ってるみたいな感じだ。
不思議に思った僕は、彼に聞いた。
「僕のこと、どうしてスイだってわかったの?」
「あ、えっと…僕は中学から持ち上がりで、この私立にいるんです。中学の頃から不登校で、高校1年の時も不登校だったんですよ。その頃にスイくんを知って、少し勇気を出して別室登校にしたんです。その時にスイくんを保健室で見かけました。ちょうどその時期はライブもあって、ライブに行ったときに学校にいた人だってわかったんです」
高校1年の前期は、ほとんど毎日別室登校をしていた。
だから、僕を見たって言うのはその時のことだと思う。
後半は全く学校に行っていないから。
その頃にノヴァのファーストライブが決まって、そのライブに来たんだろう。
そう考えている間にも、暖真は話を続ける。
「僕、スイくんに救われたんです。Xジェンダーって、みんなの言う“普通”じゃないから自分が嫌だった。でも、普通じゃなくても自分らしく生きていいんだって思えました。スイくんは僕の光です。本当に、ありがとうございます」
そう言って笑い、涙を目に浮かべた。
僕とは反対のXジェンダー。
男の子だけど、心が女の子より。
そんな暖真は、すごくかわいく見えた。
「うん。どういたしまして。そう言ってもらえて、すごく嬉しい」
僕の言葉で溢れた涙をぬぐって言った。
「あの、今SNSでスイくんはファンを騙してるとか言われてるけど、そんなこと全然ないって思ってます。むしろさらに親近感湧いたし。スイくんが女の子だから、それがなに?って話だし。その、とにかくスイくんはスイくんで、スイくんのかわりは誰もいないから…。だから…いなくならないでください…」
こんなふうに思ってくれているファンが目の前にいる。
それだけで、僕の心は癒された。
僕は優しく暖真の手をとって握った。
「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しい。本当に嬉しい。大丈夫、僕はいなくならないよ」
僕の言葉に、暖真は耐えきれなくなったように声を殺して泣き出した。
教室に人がいないのは幸いだった。
それから、心花ちゃんが暖真の背中をさすりながら言った。
「はるってば、スイくんのこと大好きなんだよね。だから、スイくんがいなくなったらどうしようって泣きついてきて…!」
そう言って笑うものの、目の奥は優しさであふれていた。
「今日、楓乃ちゃんに会えてよかった。はるとお話ししてくれてありがとう」
僕はその言葉にゆっくりと頷いた。
僕も会えてよかった。
まだノヴァにいたいって理由が増えたなぁと考えながら笑った。
***
放課後、ホームルームが終わってすぐに立ち上がった僕に心花が声をかけてきた。
もちろん、後ろには暖真がいる。
「かのっち〜!一緒にかえ——」
と、その声を遮るように校内放送が流れた。
『放送失礼します。高等部3年1組櫻川楓乃さん、理事長室にお越しください。繰り返します——』
「あれま〜、呼び出し?なにやらかしちゃったの、楓乃ちゃん!」
そうニヤニヤ笑うから、僕は肩をすくめた。
やらかしたわけないじゃないか。
「なわけないでしょ」
「だったらなにさぁ」
「うーん、僕の友達のお父さんが理事長なんだよね。だから、何度か会ったことがあるんだ。それでじゃないかな?」
そう言うと、心花は目を輝かせた。
距離をグッと縮めて言った。
「えっ!?それって、あのイケメンの夏神漣先輩!?」
「漣のこと、知ってるの?」
意外だった。
漣卒業生だとしても心花ちゃんと接点はない気がするし、顔がいいとしてもそんなにパッと出てくるほど有名なのか。
すると、心花ちゃんはうんうんと頷きながら言った。
「そりゃね!私たちが入学してる頃には卒業しちゃってたけど、学校運営関係で学園に来てたし!」
そんなふうに興奮気味で話す心花の横で、暖真はハッとしたように顔をあげた。
「思い出した。そうだよ。ファーストライブで、どこかで見たことがある顔だって思ってたんだ。レンくんだ…!」
あはは…いつかはバレるかなって思ってたけど早いなぁ。
僕は暖真に苦笑いを浮かべた。
「今度紹介してください!!!」
そう言ってくる暖真に、僕は一歩後ずさった。
それに気がついてか、心花が暖真を離してくれた。
「はーい、ダメダメ〜!ほら、かのっちはよいきな〜。こいつはあたしが足止めする!」
そう言ってニット笑って見せた。
面倒ごと押し付けるようでごめんだけど、ここは失礼しよう。
僕はふたりに手を振った。
「ありがとう心花。じゃあ、またね。あ、そうだ、ふたりとも次の公式配信は絶対見てね」
「もちろん見る!!重大発表って書いてありましたからぁぁ!!」
あれま、完全にオタクモード入っちゃってるよ。
まわりも不思議な目で見てくるし。
僕はもう一度苦笑いして教室を出ていった。
そうして足早に理事長室に向かい、ドアの前で立ち止まった。
少し乱れてしまった呼吸を元に戻し、深呼吸をしてからノックをした。
コンコンコンッ。
「失礼します」
ガチャッと音を立ててドアを開き、中に入った後はゆっくりとドアを閉めた。
そうして顔をあげると、目の前にいる人影に気がつく。
僕は目を丸くして言った。
「れ、漣!?どうしてここに?」
まさかいると思ってなかったから、驚いて声が裏返ってしまう。
そんな僕のことは気にせずに、いつものダル絡みをしてくる。
「ねえ聞いて〜楓乃。親父にさ、楓乃のこと人質に取られたんだけど〜」
「えぇ?」
どういうことかと不思議に思う。
なんだよ、人質って。
そう思っていると、奥のイスに座っている理事長が口を開いた。
「漣、そのへんにしといてくれないか。話ができないだろう」
優しくかけられた声は、どうも最初に会った時の印象とは違った。
理事長はもっと威厳のある低い声でしゃべっていた気がする。
そう思うと、どこかまるくなったのかもしれない。
「は〜い」
漣が僕から離れると、視界に理事長の姿が映った。
灰色の髪に深いブルーの瞳、どことなく顔だって漣に似ている。
でも、すごい似てるってわけでもないから、漣はお母さん似なのかも。
「突然飛び出してすまなかったね」
「いえ…!全然大丈夫です」
理事長の言葉に、僕は首を横に振った。
すると、理事長は僕に少しだけ微笑んだ。
「君には感謝を伝えたくてね」
「感謝…?」
僕は首を傾げた。
「ああ、そうだ。最近漣の様子が変わったんだ。今まで漣は本家に帰ってこないし、飛び出した後はどこを彷徨っているのかなにをしてるのかなんてわからない。ようやく見つけたと思って連れ戻しても、すぐに姿を消すんだ。そんな息子だった」
漣らしいな。
漣のことは3年前から見てきたから、よく知ってる。
お父さんを嫌ってることも、連れ戻されるたびに笑って戻ってくるのも。
いつものことだった。
「でも、漣は変わった。ここ数週間の話だ。何度か帰ってくるようになって、私と話がしたいのだと言い出したよ。その時話すことは自分の活動のことと…櫻川さん、君のことだ」
「え…?ぼ、僕のことですか…?」
意外だった。
漣が実家に帰っていることも意外だったが、僕の話をしているなんて。
「すぐにわかったよ。櫻川さんが、漣を変えたんだってね。本当にありがとう。私は漣に後継を押し付けてばかりで、漣の“父親”として接することができなくなっていたようだ。そのことに気づかされたよ」
僕は漣をチラッと見た。
すると、「ん?」とでも言うような顔で微笑んできた。
「漣はね、帰ってきてから言ったんだ。“俺の大切な人が、俺を頼ってくれない。俺が弱いせいだ。だから、俺も嫌なことから逃げちゃいけないって思った。楓乃に頼ってもらえるような、ふさわしい男になりたいから”とな」
「…親父、それいわねぇって」
ギロッと睨んだ漣に微笑み返す理事長。
そんなふうに思ってたんだ。
僕も知らないところで漣を傷つけてしまっていた。
それに申し訳なさを感じる反面、僕に対してそんなふうに考えてくれていたことが嬉しい。
「まあ漣、せいぜい頑張りたまえよ。なんなら、櫻川さんと結婚してくれてもいいぞ」
「え!?」
突然の発言に、僕は驚きの声をあげた。
いやいや、なに言ってんのこの人!?
すると、その発言にのった漣がニヤニヤしながら僕の肩を組んだ。
「だって楓乃。どうする?結婚しちゃう?」
「いやいや…!!そもそも僕たち付き合ってないよね!?」
僕の言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべる理事長。
僕はその表情に嫌な予感がした。
もしかしてこいつ、僕と付き合ってることにしてるんじゃ!?
「え〜?そうだっけ。でも、どうせ俺のものになるっしょ」
「はぁ!?なるわけ——」
僕が反論しようとすると、グッと距離を近づけて額を合わせた。
ふわっと笑う顔がどうしようもなくかっこよくて、僕はなにも言えなくなった。
これが顔面で黙らせられるということか。
「ぐぬ…」
「かわいーね、楓乃ちゃん」
わざとらしくそう言う漣をキッと睨むが効果なし。
僕をいじれて満足したのか、漣は理事長に向き合って言った。
「そーだ親父、跡継ぎが決まるまでは俺が継いでやるよ」
「…申し訳ないが、私は本家以外の子を後継ぎにするつもりはないし、再婚する気は——」
「そーじゃねぇよ」
漣は僕を一瞬見てニヤッと笑った。
「俺と楓乃のが結婚して、子供ができればいいんだろ」
僕はその言葉に、漣の胸ぐらを軽くつかんだ。
それからあせった声で言う。
「だから…!!なんで僕が漣と結婚する前提なんだよ!!」
僕の言葉に漣はペロッとしたを出した。
悪びれもしない。
こいつ、絶対からかってるだけでしょ!?
「仲良くしてくれよ」
理事長まで…笑ってるし!
やっぱり漣は扱いづらい。
でも、こんな日々が楽しい——なんてね。
***
「あっ!スイくーん」
校舎を出てすぐにあさひくんの姿が見えた。
まだ周りに人がいるから、僕はあせって駆け寄った。
「ちょっとあさひくん!周りに人いるから…」
「あ、ごめーん」
あはは、と僕が苦笑いした。
その10分後あたりで漣も合流した。
漣はあの後少しだけ理事長と今後のことについて話していたみたい。
「深月も一緒なの」
少し不機嫌そうに言った漣。
そういえば僕、漣にあさひくんにもきてもらうこと言ってなかったな。
でも、このふたり別に不仲じゃなかったと思うけど…。
「ごめんな〜漣。スイくんに誘われたもんやから」
「まあ…いいけど」
少し申し訳なさそうに眉を下げるあさひくんに、漣も許したみたいだ。
「よし、じゃあ行こうか」
そう言って僕たちは歩き出した。
——あの僕にとって怖かった居場所へ。
***
ピンポーン。
僕たちは実家の前まで来て、僕がインターホンを鳴らす。
その途端ドタドタと家の中から足音が聞こえた。
次の瞬間、勢いよく玄関のドアが開けられた。
お母さんが出てきたのかと思ったが、違ったようだ。
「お姉ちゃん!」
黒いダボっとしたパーカーの腕には白いリボンが結ばれていて、黒い短パンを履いている聖菜だった。
そんな聖菜に僕は言った。
「聖菜、勝手にドア開けちゃダメだよ?母さんと父さんは?」
聖菜はまだ小学4年生だ。
きっと誰がきたかも確認せずドアを開けたのだろう。
すると、聖菜は少しだけ眉を下げて言った。
「は〜い。お母さんとお父さんはリビングにいるよ。入って〜」
特に悪びれもしない様子に、思わずため息が出ちゃう。
でも、不思議と微笑んでしまう。
僕は聖菜に言われた通り、家の中に入った。
玄関で靴を脱ぎ終わった時、リビングの方から母さんが少し慌てた様子できた。
「聖菜、勝手にドアを開けたのね…!ごめんなさい、すぐに行けなくて。さあ、入って」
いつもとなんら変わらない様子の母さん。
この前言い合ったことが嘘みたいだ。
僕は母さんの言葉に頷いて、手を洗ってからリビングに行った。
父さんはというと、いつものように席に座っていた。
僕はふたりに座るよう促し、最後に定位置に僕が座った。
話を切り出したのは僕だった。
「母さん、父さん。ふたりのことを紹介するね。こっちは僕と一緒に活動をしてる、大学3年生の夏神漣」
「初めまして、夏神漣です。3年前に一緒にユニットを組んで活動をした後、グループで一緒に楓乃の活動をしてきました」
その言葉に、母さんの動きが一瞬固まる。
「夏神…ってあの、有名な会社の…?」
いくらうちが情報に疎(うと)いといっても、それだけ有名な夏神家のことは知っていたみたいだ。
母さんの言葉に、漣が頷いた。
「はい、そうです。僕は夏神家本家の一人息子で、後継の有力候補です」
漣の一人称が“僕”になることってほとんどないから、なんだか変な感じだ。
まあ、僕の両親だから態度を改めてるだけなんだろうけど。
「そうなのね…!うちの楓乃が大変お世話になっています」
「いえ、こちらこそ」
頭を下げる母さんに、漣も同様に頭を下げる。
その後ふたりが顔をあげたタイミングで、次にあさひくんを紹介する。
「それで、こっちが久羽深月さん。3年前までの活動名はAsahiだよ」
「初めまして〜。久羽深月です。漣と同じ大学通ってます!」
僕は試したかったのかもしれない。
“彼”の存在に気がつくのか。
そして、それは僕の望み通りになった。
「Asahi…?あさひってあの、楓乃が好きだった歌い手さん?」
覚えてくれていたことにホッとする。
母さんは一度だけ一緒にブラヴールのライブに行ったことがあって、覚えてるんじゃないかと思ってたから。
僕がコクッと頷いた後、あさひくんが言った。
「そうなんですってね〜。あさひ、めっちゃびっくりしたんです。今もファンでいてくれてることに嬉しさしかありません」
そう言って笑った。
それを聞くと、やっぱり嬉しくなる。
「それで…今はなにをしてるんですか?」
なんの好奇心からなのか、母さんがそう聞いた。
「今はピアニストをしてます。活動をやめたのは、ピアニストになるためだったんです。今度はショパン国際ピアノコンクールに出るんです」
この時、初めて父さんが少し反応した。
そういえば、父さんはピアノが好きなんだった。
家にいる時に何度かピアノを弾いているのを見たことがある。
母さんが中学生の頃までピアノを習っていたから、うちには電子ピアノが置いてあるんだ。
その時使ってたやつだからって。
「あさひくん、父さんがピアノが好きなんだ。もしかしたら、父さんがあさひくんのこと知ってるかも」
その言葉ににっこり頷いたあさひくんは、父さんに言った。
「スイく…じゃなくて、楓乃に聞いたのですが、お父様はピアノがお好きなんですよね?もしかして、僕のこと知ってます?」
「……ああ、はい。テレビにもよく出てますよね?」
「わぁ…!知ってくれてるんやな。嬉しいわ〜」
相当嬉しかったのか、いつもの関西弁が出ていた。
僕はそのことにクスッと笑った。
不思議だ。
あんなに帰ってきたくなかったこの家が、漣とあさひくんがいるだけで居心地がいい。
「それで…どうしてそんな人がうちに?」
「僕がお願いしたんだ。一緒に来てほしいって。僕に勇気をくれたかけがえのない存在だって教えたくて」
もう、両親の前で“僕”を使うことに抵抗もない。
僕は変わったんだ。
一度だけ深呼吸をして、まっすぐに見つめて言った。
「僕は3年前、中学3年生の時に漣とユニットを組み始めたんだ。その後意外にも有名になれて、グループ活動をすることをふたりで考えたんだ。そうして集めた他の4人と漣、そして僕で『ノヴァ』ってグループで活動をしてる」
自分のことを伝えたいと思ったのは初めてで、最初こそ緊張していたがそれももうない。
今はただ、僕を知ってほしい。
「この間は全国ホールツアーを全てソールドアウトでまわりきったんだ。そのくらいファンの数も多くて、自分で言うのも変だけど僕がメンバーの中では1番人気なんだ」
今まで総選挙企画なんかをやってるけど、僕はやっぱり人気みたいで優勝した。
メンバーも当然と言っていたし、そんなに目に見えて多かったのかな。
「高校はどうしていたんだ。しっかり通っていたのか?」
僕が少し間を置いてしまったせいだろうか。
父さんがそう聞いてきた。
「あの学園は漣のお父さんが理事長をしてるんだ。だから、漣が僕のために特別制度をお願いしてくれたんだ。活動があるから、できる日に別室登校で授業を受ければいいって。それと、定期テストで5位以内に入ること。基本的に3位くらいを保ってたし、問題なかったよ。まあ、そんな学力があっても、僕は大学に進学するつもりはないけどね」
大学に行かないことは対してなにも思っていないはずだ。
むしろ学費がかかるので、行かなくていいとも言われていた。
ただ、獣医師を目指すなら大学に行かなければいけない。
それだけだった。
「わかった」
父さんはただ一言、そう言って黙ってしまった。
僕は話を続けていいのだと思い、また口を開く。
「でもね、僕にはひとつだけ問題があったんだ。僕がXジェンダーで、性別を隠していたこと。女として見られるのが嫌いだったんだ。だから、今の今までメンバーにも隠してた。でも、今回それで炎上しちゃって…。同じ中学だった子が、SNSに僕の卒アル写真をモザイクだったけどあげちゃって。それで『みんな騙されてる。本当は女です』って暴露されちゃって」
僕はヘラッと笑った。
最近気がついたことだけど、そのSNSにあげた子覚えがあるんだ。
だからかな、こんなに胸が苦しいのは。
でも、でもね。
そんなの関係ないんだ。
「でも、僕はまだここにいたい。メンバーと一緒に夢を追いかけていたい。“スイ”として活動した時間は、嘘偽りない自分の時間だった。ありのままでいられたんだ。そんな僕をあさひくんが好きだと言ってくれた。僕はずっと疑問だった。どうして女に生まれたら、女として生きなきゃいけないんだろうって。ありのまま生きたら、なぜ非難されるんだろうって。だから、僕はこの活動を続けてその常識を壊したい。ファンに離れられても、また実力を見せてファンになってもらう。それが今の僕の考えだ」
幼い頃、ここで父さんにはよく叱られてたんだ。
だから嫌いだった。
ここに座ることが。
でも、今はひとりじゃなくて、漣もあさひくんだっているんだ。
「その覚悟があるんだな」
「あるから、僕はこうやって言いにきたんだ」
少しの間見つめあった後、父さんはもう一度口を開いた。
「お前の覚悟はわかった。なら、好きにしなさい。どんな人生を歩もうと、そのことに対して必ず責任を持つことだ。それができるなら、父さんも止めはしない」
父さんの口癖は「責任を持ちなさい」だった。
僕はホッとした。
母さんはまだ僕の決断を受け入れられてないみたいだ。
すぐに受け入れられるわけもないんだけど。
「母さん、まだ受け入れられないのはわかってる。でも、僕のこととをもっと知ってほしい。僕が活動してるチャンネルのURL、送っておくね。毎週土曜日に公式配信してて、そこで重大発表があるんだ。見てほしい。また連絡するから」
「え、ええ…」



