男装歌い手は孤独な不良御曹司と甘々で危険な恋をする

僕は大きなため息をひとつついた。
目の前には見覚えのあるドア。
今日の朝目が覚めてスマホを確認すれば、母親からの着信が5件以上あった。
そして、僕が出ないことに(しび)れを切らしたのかメールが一件きていた。

『電話に出ないからメールにする
明日の午後、必ず家に戻ってきなさい
そうじゃなきゃ連れ戻すからね』

怒っていると本気でやるから、顔を出すしかなかった。
なにを言われるかわかっているから、帰りたくなかった。
でも、仕方がない。

僕は人差し指で、インターホンを押した。
ピンポーン。
その音が鳴って数秒後、母さんが出てきた。

「入りなさい」

まだ怒ってる。
気分屋の母さんのことだから、もう機嫌がよくなっていると期待したがそんなことはなかったな。
僕はなにも言わず、家にあがった。
靴をそろえてから洗面所で手を洗って、リビングにいった。
懐かしいな。
でも、いい気分ではなかった。
右を見てみれば、定位置に父さんと母さんが座っていた。
目の前では、聖菜がいつものように遊んでいた。

「早く座りなさい」

父さんの低い声に反応して、僕はゆっくりとふたりの前に座った。
沈黙の後、母さんが口を開いた。

「楓乃、どういうことなの?あなたは勉強に集中したいからって、一人暮らしを始めたんじゃなかったの?」

母さんにとって、僕がしっかりしていないのがよほど嫌だったのだろう。
僕はため息をついてから言った。

「はぁ…あのさ、別に僕は勉強したいからとは言ってない。やりたいことをやるからって言ったはずだよ?あと、髪のことなら平気だから。先生に許可とってる」

僕の入った高校は難関高と呼ばれる呼ばれる私立学校で、厳しく髪を染めるのは禁止されている。
僕は高校生になってすぐにノヴァの活動を始めた。
だから、その高校でやっていくには先生の助けが必要だった。
実は漣の父親が、僕の高校の校長だったんだ。
だから、掛け合ってくれた。

それで僕には特別なルールができた。
『制服を着崩さなければ、それ以外の身なりは黙認する。
事前の申告がある場合のみ、補導対象外とする。
学校には必ず週1回は登校すること。
定期テストでは上位5位以内をキープすること。』
この全ての条件をクリアすれば、僕の校則違反は黙認される。
だから、僕が髪を染めても平気ってわけ。
全て芸能活動をするうえでは必要なことだった。
けれど、両親はそんなこと知らない。
だから納得するわけがなく——。

「嘘をつくのはやめなさい!!いっつも嘘ばっかりなの自覚してる!?それだから、お母さんとお父さんは楓乃の言うことを信じられないの!!」

そう言われるのは、いつものことだ。
僕は相手の顔色ばかり見てしまうから、自分の意見をはっきり言えない。
だから、強く押されてしまえば頷くことしかできない。
昔はそうだった。
嘘なんか滅多(めった)につかないのに。

でも、今回だけは合わせられない。
今まで僕は嘘だということにして、しのいできたけど。

「嘘じゃないよ。母さんも父さんも、僕のことを知らなさすぎるだけだよ」

そう言ったことに驚いたのだろうか。
それはわからないけれど、ふたりとも目を大きく見開いていた。

「僕は歌い手になりたい。というか、もうなってる。ひとりで充分暮らしていける額くらいは、しっかり(かせ)いでるよ」

高校1年生までは、両親からの仕送りで生活をしたいた。
けれど、2年生になってからはノヴァが人気になって、生活費と学費を稼ぐことができた。
それからは、仕送りされたお金は1円も使っていない。

「どういうことなの…?あなたは、獣医師になるんでしょ?それと、あなたは女の子なの。いい加減“僕”っていうのはやめなさい!」

「そっちこそいい加減にしてよ!!」

僕は初めて声を荒げた。

「たしかに、小さい頃は獣医師になるのが夢だった!それが1番現実的だって思ったから。歌い手なんてできっこないって。でも、今は違う!!たくさんのファンがいて、5人の仲間がいるんだよ!」

芸能界でやっていくには、それなりの実力が必要だ。
それに、ファンに見つけてもらう必要がある。
音楽の才能がないから、歌い手にはなれないと諦めていた。
それよりも、獣医師を目指した方が現実的だって。

でも、今は違う。
僕にはもう手放せないものがたくさんあるから。
そして、父さんが口を開いた。

「そうは言うが、楓乃は本当にそこでやっていけるのか?その様子だと、女としては活動してないんだろ?お前はファンを騙してるんじゃないか?そんな状態でやっていけるのか?父さんは反対だ」

図星だった。
心のどこかで抱いていた疑問を、父さんに言い当てられてしまったのだ。
僕はファンを騙している。
僕が女であることがバレれば、きっとファンは「騙していた」といって僕から離れるだろう。
そのことを父さんはわかっている。

僕は揺れてしまった。
ノヴァにいたいと思う気持ちと、ファンをこれ以上騙したくないという気持ちと。
僕は勢いよく立ち上がった。

「わかってるよそんなの!!でも、好きで僕は女に生まれたわけじゃない!!僕はスイとしてノヴァにいたいんだ!」

そう言って、僕は家を出ていってしまった。

「楓乃!!」

母さんの声が聞こえたけど、無視をして走った。
どれだけ僕が男でいたいと願ったか。
知らないくせに。
そして、僕はふと立ち止まった。

「僕のこと…わかってよ」

僕の声は、とても震えていた。
まだメンバーにも明かせていない事実だ。
だったら、僕はメンバーも裏切っているのか。

そのまま僕はトボトボと家に帰って行った。
もう、母さんと父さんのところに戻る気もなくなった。
僕はどうあれば正解なんだ。
わからなかった。

『正解なんてない
僕の居場所はここだって
ずっとそう言える
君と僕だったら何度だって分かり合えるさ』

あの曲をふと思い出した。

——分かり合えたらいいのに。

僕は涙をこぼした。