7月のある日、こうたのアパートの郵便箱に小さな真っ白な封筒が入っていました。
差出人は、こうたの母、洋子からでした。
早速、封を開けて手紙に目を通しました。
「こうた、元気ですか」
「高校の同窓生の優子さんの所属する交響楽団が、定期演奏会を開催することになったそうよ」
「よかったらあなたも定期演奏会を鑑賞してみない?」
「定期演奏会大人2人分の前売りチケットを同封しておくからね」
優子の所属する交響楽団の定期演奏会の広告チラシとチケットを見たこうたは、高校時代の懐かしさに捉われていました。
「優子さん、あなたにとても会いたがっているそうよ」
「必ず参加してね」
「母より」
2枚綴の便箋に楷書で上手な文字で書かれたペン字のお手本のような手紙でした。
こうたは、すぐに思いつきました。
演奏会のチケットは2枚ある。
もう一枚はすみれと一緒に鑑賞しようと。
早速携帯のメールですみれに定期演奏会に一緒に見に行かないかと誘ったのでした。
「すみれ、よかったら、交響楽団の演奏会があるのだけれど、今度の土曜日一緒に見に行かない?」
「すみれが過労で倒れた時の埋め合わせだ」
「日時と会場は、7月24日土曜日の午後1時から、南区の向陽台有明の都市学園大学ホール」
すみれからは、良い反応のメールが返された。
「わかったわ、今週の土曜日は予定は開けておくから」
「楽しみにしているわ」
当日の大学ホールでのすみれは、普段仕事でしか接することができなかったイメージから、プライベートのいつもとは違う性格や雰囲気がうかがえる様子なのでした。
こうたが、ホールのエントランスに待ち合わせの時間に現れると、
「あっ、先輩だ」
「センパーイ、待ってました」
早速いつもの、個性のある可愛いこえが感高くホールに響いていました。
すみれは、赤裸々でどこか素朴でほのぼのとしたどこにでもいる貞操の強い、淑女の様子でした。
夏向けの薄手の水色のワンピースに丸いツバの麦わら帽子、パステル色のピンク色のポシェット姿の、小さい子供に戻ったかのような風貌は、彼女が普通で、飾らない平凡さそのままなのでした。
それでもすみれのシルエットは、完全な大人の女性でした。
ともすると、そのアダルトな女性ぶりにこうたは、風格負けするかと思うくらいの、しぐさや気風に、時折、折れそうになるくらいの色気を感じ取っていました。
それはこうたが完全に女性として意識していることの表れでした。
「これが、チケット」
「どうやらアリーナ席の少し右の座席のようだ」
開演前のホール内は、今日の公演の観客の会話で雑然としているのでした。
LEDの明るい館内のライトは、鮮やかにホール全体を飾るかのように目立っていました。
開演10分前であることを知らせるアナウンスが館内に流れたあと、観客はみんな座席に座り、騒々しかったのが嘘だったように静まりかえっていました。
ライトは暗く消えて、開演を知らせていました。
ステージの上にはすでに演奏用の楽器類が並べられていて、開演と同時に出演者が舞台の両脇から現れました。
「すみれちゃんって、好きな楽器は何なの」
「クラリネットかなぁ」
「若い女の子向けで優しい音色が好きよ」
明るいポップな曲が印象的な序曲は、こうたとすみれへの招待にふさわしい始まりでした。
「あの大きな金色の楽器の名前わかるかい?」
「あれはチューバよ」
「低音を表現するのに欠かせない楽器よね」
「そうそう、よく知っているね」
時折、二人で会話をしながらすでに10曲目を終わって、10分間の休憩時間に入りました。
この休憩の後の初めの曲の中で、優子のフルートのソロ演奏が予定されているのでした。
でも、すみれには優子のことは内緒にしていたのでした。
高校時代の同窓生であることを仄めかすも、はっきりとは打ち明けずにいたのでした。
「高校時代の先輩の同窓生って、誰なの?」
「でも、それって少し複雑な思いがするわ」
「先輩の同窓生ってどんな方か知りたいけど、ちょっと意味深ね」
「でも先輩は私の憧れだから、それだけに同窓生のことは早く知りたい気もするけど…」
休憩の10分はあっという間に過ぎていきました。
再びライトは暗くなり、演奏が始まりました。
舞台の明るい銀色のライトが楽器に反射してきらりと光る様子は、その楽器が主役であることを
表す自然現象のように見えていました。
それは、どの観客からも違う場面を表現する、音楽のキャストを演出するのでした。
どの楽器も個性が深く、演奏家が演奏で揺らす楽器の角度に応じて、それぞれのドラマを自然に導出する演出家の役割も担っているのでした。
それは、自然を奏でる代弁者が表現する音楽劇そのもので、楽譜がシナリオの、誰も予期しない演奏会が作り出す小説のようです。
上演予定の25曲全てが演奏し終わり、会場内は早々と席を立って、エントランスホールへと帰る姿が目立ち始めました。
こうたはすみれは、ほとんどの観客がいなくなった後で、会場を後にしました。
「もしかしたら、高校の同級生って、あの演奏会の中にいたの?」
「彼女って、クラスメイトなの?」
「そう、同じ吹奏楽部で一緒だったんだ」
「でも彼女は僕より、同じ部活の女生徒が好きだったようで、僕は諦めていたんだ」
「それで、近いうちに同窓会が予定されていて」
「それで、これから控室まで、花束と手紙を持って、同級生に会いに行くから、すみれちゃんは少し待っていて」
「わかったわ」
「しっかり決め込むのよ」
ホールの案内係に従って、控室へ誘導されたこうたは、紅いカーネーションの花束に手紙を添えて、控室のドアをノックしました。
控室の表札には、「○○交響楽団 御一行様 第3班」と書かれていました。
「フルートの長野優子の高校時代の同級生の斎藤こうたでございます」
「ご挨拶に参りました」
「はい、伺っております。どうぞ、お入りください」
プライベートと異なる社交辞令での二人は、かなりの距離を思わせていました。
高校時代の慣れ親しんだ感覚は、すっかりすみれにおきかわっているようでした。
音楽としての優子は現実とは、かけ離れた遠い存在になっているのでした。
「演奏会開催おめでとうございます」
「こうたさんありがとう」
カーネーションの花束を手渡し、二人で握手していました。
プライベートでこの前ホテルで密会した時とは、裏腹に公式の優子は、フォーマルな黒のコスチュームに長い髪はドレスアップされたいかにも音楽のプロという姿でした。
しかし面影は、学生の時と変わらず、こうたは言葉の端端に現れる、優子独特の言い回しに懐かしさを思うのでした。
「私も結婚適齢期を過ぎているけど、そろそろ考えどきかもしれないわ」
「本当のこと、未婚なのは僕もそうなんです」
意味深な仄めかし方は、こうたにはよくわかっていました。
学生時代から変わらない、それとなく意思表示する彼女に、当時を思い出していました。
無邪気に揶揄(からか)いながら笑い、でも近づきすぎるのは禁物という優子とこうたの独特の友人の関係は同じままなのでした。
でも友情の絆は誰にも負けないくらい強い二人なのでした。
部屋の外で待っているすみれが少し気になっているこうたは、そろそろ同窓会の約束をしてまた今度会いましょうと約束を交わしたのでした。
「先輩、どうだった?」
「いやー、懐かしかったよ」
「高校以来だから、彼女もかなり大人になったなぁ」
「私と、彼女どっちが大人に思える?」
控室を後にしたこうたは、この問いに答えを出すべく、すみれと寄り添い、未来への扉へと向かって真っ直ぐに進むのでした。
差出人は、こうたの母、洋子からでした。
早速、封を開けて手紙に目を通しました。
「こうた、元気ですか」
「高校の同窓生の優子さんの所属する交響楽団が、定期演奏会を開催することになったそうよ」
「よかったらあなたも定期演奏会を鑑賞してみない?」
「定期演奏会大人2人分の前売りチケットを同封しておくからね」
優子の所属する交響楽団の定期演奏会の広告チラシとチケットを見たこうたは、高校時代の懐かしさに捉われていました。
「優子さん、あなたにとても会いたがっているそうよ」
「必ず参加してね」
「母より」
2枚綴の便箋に楷書で上手な文字で書かれたペン字のお手本のような手紙でした。
こうたは、すぐに思いつきました。
演奏会のチケットは2枚ある。
もう一枚はすみれと一緒に鑑賞しようと。
早速携帯のメールですみれに定期演奏会に一緒に見に行かないかと誘ったのでした。
「すみれ、よかったら、交響楽団の演奏会があるのだけれど、今度の土曜日一緒に見に行かない?」
「すみれが過労で倒れた時の埋め合わせだ」
「日時と会場は、7月24日土曜日の午後1時から、南区の向陽台有明の都市学園大学ホール」
すみれからは、良い反応のメールが返された。
「わかったわ、今週の土曜日は予定は開けておくから」
「楽しみにしているわ」
当日の大学ホールでのすみれは、普段仕事でしか接することができなかったイメージから、プライベートのいつもとは違う性格や雰囲気がうかがえる様子なのでした。
こうたが、ホールのエントランスに待ち合わせの時間に現れると、
「あっ、先輩だ」
「センパーイ、待ってました」
早速いつもの、個性のある可愛いこえが感高くホールに響いていました。
すみれは、赤裸々でどこか素朴でほのぼのとしたどこにでもいる貞操の強い、淑女の様子でした。
夏向けの薄手の水色のワンピースに丸いツバの麦わら帽子、パステル色のピンク色のポシェット姿の、小さい子供に戻ったかのような風貌は、彼女が普通で、飾らない平凡さそのままなのでした。
それでもすみれのシルエットは、完全な大人の女性でした。
ともすると、そのアダルトな女性ぶりにこうたは、風格負けするかと思うくらいの、しぐさや気風に、時折、折れそうになるくらいの色気を感じ取っていました。
それはこうたが完全に女性として意識していることの表れでした。
「これが、チケット」
「どうやらアリーナ席の少し右の座席のようだ」
開演前のホール内は、今日の公演の観客の会話で雑然としているのでした。
LEDの明るい館内のライトは、鮮やかにホール全体を飾るかのように目立っていました。
開演10分前であることを知らせるアナウンスが館内に流れたあと、観客はみんな座席に座り、騒々しかったのが嘘だったように静まりかえっていました。
ライトは暗く消えて、開演を知らせていました。
ステージの上にはすでに演奏用の楽器類が並べられていて、開演と同時に出演者が舞台の両脇から現れました。
「すみれちゃんって、好きな楽器は何なの」
「クラリネットかなぁ」
「若い女の子向けで優しい音色が好きよ」
明るいポップな曲が印象的な序曲は、こうたとすみれへの招待にふさわしい始まりでした。
「あの大きな金色の楽器の名前わかるかい?」
「あれはチューバよ」
「低音を表現するのに欠かせない楽器よね」
「そうそう、よく知っているね」
時折、二人で会話をしながらすでに10曲目を終わって、10分間の休憩時間に入りました。
この休憩の後の初めの曲の中で、優子のフルートのソロ演奏が予定されているのでした。
でも、すみれには優子のことは内緒にしていたのでした。
高校時代の同窓生であることを仄めかすも、はっきりとは打ち明けずにいたのでした。
「高校時代の先輩の同窓生って、誰なの?」
「でも、それって少し複雑な思いがするわ」
「先輩の同窓生ってどんな方か知りたいけど、ちょっと意味深ね」
「でも先輩は私の憧れだから、それだけに同窓生のことは早く知りたい気もするけど…」
休憩の10分はあっという間に過ぎていきました。
再びライトは暗くなり、演奏が始まりました。
舞台の明るい銀色のライトが楽器に反射してきらりと光る様子は、その楽器が主役であることを
表す自然現象のように見えていました。
それは、どの観客からも違う場面を表現する、音楽のキャストを演出するのでした。
どの楽器も個性が深く、演奏家が演奏で揺らす楽器の角度に応じて、それぞれのドラマを自然に導出する演出家の役割も担っているのでした。
それは、自然を奏でる代弁者が表現する音楽劇そのもので、楽譜がシナリオの、誰も予期しない演奏会が作り出す小説のようです。
上演予定の25曲全てが演奏し終わり、会場内は早々と席を立って、エントランスホールへと帰る姿が目立ち始めました。
こうたはすみれは、ほとんどの観客がいなくなった後で、会場を後にしました。
「もしかしたら、高校の同級生って、あの演奏会の中にいたの?」
「彼女って、クラスメイトなの?」
「そう、同じ吹奏楽部で一緒だったんだ」
「でも彼女は僕より、同じ部活の女生徒が好きだったようで、僕は諦めていたんだ」
「それで、近いうちに同窓会が予定されていて」
「それで、これから控室まで、花束と手紙を持って、同級生に会いに行くから、すみれちゃんは少し待っていて」
「わかったわ」
「しっかり決め込むのよ」
ホールの案内係に従って、控室へ誘導されたこうたは、紅いカーネーションの花束に手紙を添えて、控室のドアをノックしました。
控室の表札には、「○○交響楽団 御一行様 第3班」と書かれていました。
「フルートの長野優子の高校時代の同級生の斎藤こうたでございます」
「ご挨拶に参りました」
「はい、伺っております。どうぞ、お入りください」
プライベートと異なる社交辞令での二人は、かなりの距離を思わせていました。
高校時代の慣れ親しんだ感覚は、すっかりすみれにおきかわっているようでした。
音楽としての優子は現実とは、かけ離れた遠い存在になっているのでした。
「演奏会開催おめでとうございます」
「こうたさんありがとう」
カーネーションの花束を手渡し、二人で握手していました。
プライベートでこの前ホテルで密会した時とは、裏腹に公式の優子は、フォーマルな黒のコスチュームに長い髪はドレスアップされたいかにも音楽のプロという姿でした。
しかし面影は、学生の時と変わらず、こうたは言葉の端端に現れる、優子独特の言い回しに懐かしさを思うのでした。
「私も結婚適齢期を過ぎているけど、そろそろ考えどきかもしれないわ」
「本当のこと、未婚なのは僕もそうなんです」
意味深な仄めかし方は、こうたにはよくわかっていました。
学生時代から変わらない、それとなく意思表示する彼女に、当時を思い出していました。
無邪気に揶揄(からか)いながら笑い、でも近づきすぎるのは禁物という優子とこうたの独特の友人の関係は同じままなのでした。
でも友情の絆は誰にも負けないくらい強い二人なのでした。
部屋の外で待っているすみれが少し気になっているこうたは、そろそろ同窓会の約束をしてまた今度会いましょうと約束を交わしたのでした。
「先輩、どうだった?」
「いやー、懐かしかったよ」
「高校以来だから、彼女もかなり大人になったなぁ」
「私と、彼女どっちが大人に思える?」
控室を後にしたこうたは、この問いに答えを出すべく、すみれと寄り添い、未来への扉へと向かって真っ直ぐに進むのでした。



