正しくない恋のはじまり

彼はいつもの定位置、端っこの席に座っており、椅子にもたれてペンを指で回している。
視線は資料に落としたまま。

「数値を確認しないまま“許容範囲”と判断するのは、早いと思いますが」

あんなに三浦さんに一気に持っていかれた空気が、またぴたりと止まる。
というより、凍りついたようにも思えた。


三浦さんの視線が、ゆっくりと青砥さんに向いた。
ほんのわずかに、口元の笑みの種類が変わる。

「……あら、相変わらずですね」

小さく、そう言った。

青砥さんはここでやっと顔を上げる。
彼女に向けられている視線は、推し測るというよりも、鋭い。

「ええ、どうも」

彼の返事は、極めて短かった。
それ以上、何も言わない。

けれど───視線だけは、たしかにぶつかっていた。

この二人、おそらく初対面ではなさそうだ。


「…では、その差分は一度整理して、次回までに再確認しましょう」

咳払いした部長が、その話題をまとめに入る。

結局のところ、結論は曖昧なままだった。


それでも会議は進んでいく。
キーボードの音と、ページをめくる音が戻ってくる。

私は資料に目を落とす。

さっきまで見えていた違和感が、少し遠くなる。
……けれど、消えたわけじゃない。

ふと視線を上げる。


三浦さんは、すでに別の資料に目を通していた。
何事もなかったみたいに。さっきの私の発言なんて、最初からなかったみたいに。

一方の青砥さんは相変わらずペンを回している。
空気を変えたあとは、そこから何も言わない。
でも、全部分かっているみたいな顔で会議の行方を静観しているようだった。


その間にいる自分が、妙に不安定に感じた。