正しくない恋のはじまり

青砥さんは、何も言わない。
ただ、逸らした視線を私に戻していた。測るみたいに、首を傾けている。

持っているペンをくるりと回していた。

「……藤井さんこそ、無理してますよね」

静かに返されたその言葉に、心臓が、どくんと跳ねる。
思いもしなかった、彼からの私の見え方。

「……え」

思わず、困惑が滲んだ声が漏れてしまった。

なんで───どうして、そういうことを、いま言うの?
言い返せないまま、言葉を失う。

ほんのわずかに、間が空く。その間に、何かを考える時間もなくて。隙間にするりと聞こえた。

「……“普通”だとか、他人にあまり言わない方がいいですよ」

今度は、別の意味で言葉が出ない。

「普通?なんですか、“普通”って……」

聞き返しかけて、止まる。


───“普通”。
頭の中に、給湯室での会話がよぎる。
胸の奥が、ざわつく。思い当たることが、ある。

……まさか、聞かれていた?
ほんの一瞬、息が詰まる。


いや、そんなはずはない。
あのときは、私と同僚の二人以外に誰もいなかったはずだ。


それでも、完全には否定しきれない。
声の大きさがどうだったかとか、誰かが外で聞いていたかもしれないとか、なにも考えずに話していた。