正しくない恋のはじまり

朝のオフィスは、いつもより少しだけ騒がしかった。
各部署からそれぞれなにやら忙しそうな声が聞こえてくる。
キーボードの音と、電話の声と、指示を出す声。
それが全部が混ざって、いつも通りの空気を作っている。


なのに、私だけがどこか落ち着かなかった。
パソコンを立ち上げながら、ふと手が止まる。

───『家まで、送りましょうか?』

昨日の声が、頭の中に残っている。
あの距離。
あの言い方。

いつもと同じはずなのに、どこかだけ違っていた。


「……はぁ」

小さく息を吐いて、首を振る。こんな時に思い出しちゃだめだ。
仕事しないと。

そう思って資料を開いたちょうどそのタイミングで、営業の先輩に声をかけられた。

「あ、藤井さん。ちょっとちょっと」

「はい」

手招きされたので、席を立って近づく。
先輩は、やや声のトーンを落として尋ねてきた。

「この案件さ、経営企画通すフローになってるの知ってる?」

「え?」

思わず聞き返す。

「いや、これ部長案件だからさ。外部も一枚噛んでるんだよね」

“外部”。
その言葉に、わずかに引っかかる。