正しくない恋のはじまり

逃げ遅れた、とどこかで思った。
スマホをポケットにしまいながら、青砥さんはほんのわずかに目を細める。

───やっぱり、気づかれてた。
最初から、全部。

「……立ち止まらない方がいいって、言いませんでした?」

青砥さんは静かな声でそう言いながらこちらへ歩いてきた。片手に鞄、もう片手の指先には、まだ火がついている煙草。

『あまり立ち止まらない方がいい』

あのときと、同じ言葉が彼の口からまたこぼれた。
心臓が、跳ねる。

「……すみません」

何に対して謝っているのか、自分でも分からないまま、そう答える。


青砥さんは、それ以上何も言わなかった。
ただ、煙草の火を落として、靴で軽く踏む。それを拾い上げて、携帯灰皿へ入れる。
その動きが、やけに無駄がない。


「……帰りますか」

それだけ言って、歩き出す。
まるで、何もなかったみたいに。

私はひとつ遅れてうなずいて、慌てて足を速めた。並んで歩く。


電話の内容のことはもちろん、私が聞いていたことなんて問い詰めてもこない。

この人は、やっぱりよく分からない。