───やばい。
そう思ったのに。
落ちたはずの資料は、音を立てなかった。
……え?
視界を奪われるより先に、“誰かがすぐ後ろにいた”ことに気づく。
状況が分からないまま、まだ扉の向こうで唇を重ねるふたりの漏れ出す声だけが耳に張りつく。
気づいたら、視界がふっと塞がれた。
「……見ない方がいい」
低い声が、すぐ後ろから落ちる。
同時に、私の目元を覆う手。
指先に、かすかに煙の匂いが残っている。
驚いて振り返ろうとしたのを、軽く止められる。
「そのまま」
耳元で、囁くように静かに言われる。
逃げ場を塞ぐわけじゃないのに、動けない。
さっきまで見ていた光景と、
今、触れている距離と。
全部が一気に重なる。
声が漏れそうになって、思わず口を押さえた。
私が落としたはずの資料は、どうやら寸のところで彼がキャッチしていたらしい。
「……行こう」
手が離れる代わりに、腕を軽く引かれる。
強くない。でも、逆らえない。
私はそのまま、非常階段の扉から離れた。
扉が閉まる音が、小さく響く。
あの中の空気ごと、切り離すみたいに。



