正しくない恋のはじまり

ドアの隙間から、外の冷たい無機質な空気がこちら側へほんのわずか流れてくる。

その中に、甘い香りが混じっていた。
無機質なコンクリートの匂いに、似つかわしくない匂い。

どこかで嗅いだことがある。
けれど、すぐには思い出せない。
膨らんでいく違和感と、頭をかすめる嫌な予感。

「こんなところで…、だめ」

「いいから。どうせ誰も来ない」

重なるような声。
その声は、確実に聞き覚えがあった。

心臓が、どくんと一拍遅れて強く鳴る。


違和感が、すぐそこまで。なによりも先に来た。

気づいたら、手が動いていた。
扉に触れて、ほんの少しだけ、ゆっくりと押す。
それは、音もなくさっきより開いた。

今度ははっきりと冷たい空気が、流れ込んできた。
非常階段特有のコンクリートの匂い。
わずかな外気。

その中に、人影が、重なっていた。

階段の少し下にある踊り場の壁際。
狭い場所で、ふたつの身体が寄り合っている。

見慣れている背中。
部長だった。
───部長って、たしか結婚していたはずだ。
奥さんも、子どももいるって、誰かが言っていた。

会議室で何度も見てきたスーツのライン。
その腕の中に、誰かがいる。