正しくない恋のはじまり

「このままですと、テナントが入っている前提で利回りを組んでいるのに、費用だけ後ろに送る形になります」

静かに、淡々と。
感情がないからこそ、隙もない。

「それでも整合性は取れている、という判断ですか?」

答えられない問い。

ここで“はい”と言えば、嘘になる。
でも、“いいえ”と言えば、全部崩れる。

しんとした会議室に、重い沈黙が落ちた。


「こういうズレは、目につきますから」

彼は、わずかに笑った。
その形だけ整った笑みが、逆に冷たい。

「それから、あと一点だけ」

誰も止めない。止められない。
止めたら、もっと深く入られる気がするから。


「この想定賃料ですが」

資料の別の箇所を指す。

「周辺相場より、少し高めに設定されていますよね」

空気が、また少し変わった。
後ろに下がれる距離が、またひとつ縮まった。
私はボロが出ないよう、押し黙ってこの話の行方を見ているしかできなかった。

「テナントの確度、どの程度で見ていますか?」

青砥さんに尋ねられて、営業担当は一度、手元の資料に目を落とした。
けれど、そこに答えがあるわけじゃない。

「……現時点では、打診ベースです」

苦し紛れに出した答えは、定型文のようなものだった。
それでも、それを口にした瞬間、“前提”が音を立てて揺れる。