正しくない恋のはじまり


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ドアが閉まったあとも、しばらく動けなかった。


音が消えているのに、さっきまでの言葉だけが、まだ残っている。

机を叩く音。 低く押し殺した声。 突きつけられた選択。


それから───
最後に残った、あの一言。

全部が、少し遅れて身体に戻ってくる。
息を吐こうとして、うまくいかない。
浅いまま止まっていた呼吸が、どこで戻せばいいのか分からなかった。


視界の端で、青砥さんが動く。

資料を揃え、パソコンの画面を閉じる音。
それだけで、現実に引き戻された。


「……藤井さん、大丈夫ですか?」

こちらを伺うような、静かな声。
彼は片付けていた手を止め、こちらを見ていた。

張り詰めていたものが、ほどけかける。

「……はい」

反射みたいに答える。

でも、声が思っていたよりも弱かった。
自分でそれに気づいて、少しだけ息が詰まる。


青砥さんは、それ以上踏み込んでこない。

ただ、少しだけ間を置く。

「無理に整えなくていいです」

気遣っているようにも、事実を言っているだけのようにも聞こえる。

その曖昧さが、今は逆にありがたかった。