正しくない恋のはじまり

「藤井さん。あなた、分かってるよね。今ここでそれを問題にしたら、この案件だけで済まない」

一歩、近づく。

「部署全体の評価も落ちるし、ここまで動いてきた現場も止まる。たぶん、あなたが思ってるよりずっと大きい話になる。それでも、まだ止めるって言うの?」

責めるような言い方じゃない。
むしろ、諭すみたいだった。

だから余計に苦しい。

ここで揺らいだら、全部飲み込まれる。

わずかに視線を落とした合間に、するりと三浦さんが続けてきた。

「あなた、このあと社内でどんなこと言われるのかしら。どんなふうに見られながら仕事をしていくの、分かってるのかな。居場所、なくなるかもしれないんだよ」

これは一種の“脅迫”だ。
諭すという仮面をかぶっただけの、“脅迫”。


視界の端で、青砥さんの手がわずかに動くのが見えた。
けれど、何も言わない。

助け舟を出さない。
私に答えさせるつもりなのだと分かる。

───逃げないでください。

そう言われたわけでもないのに、その気配が背中を押してくれた。


「……止めます」

声は震えていた。
自分の声が、自分のものじゃないみたいに遠い。

それでも、言葉だけは止まらなかった。

「今なら、まだ処理の流れを追えます。でもこのまま進んだら、あとで誰が何をどう通したのか、もっと見えなくなる」

部長が彼女の横で鼻で笑うのが見えた。

「分かったような口をきくな」

ぴしゃりと落ちる声。
部長の視線は、いまだに青砥さんに向いている。