正しくない恋のはじまり

ひとりだったら、たぶん、ここで折れていた。
隣にいる彼の気配だけで、まだ折れずに頑張れる。

「……引けません」

小さく、息を吸う。
喉が乾いているのに、声だけははっきり出る。

「このまま進めた方が、もっと大きくなるからです。いま止めなかったら、誰が止めるんですか?」

言い切った瞬間、胸の奥に熱が広がる。

怖いのに。
その奥で、別の感覚が立ち上がる。

後悔は、なかった。


部屋の空気が、薄く張ったまま動かない。

沈黙を破ったのは、部長だった。

「……くだらない」

低く唸るように言って、椅子の背にもたれていた体をゆっくり起こす。

「現場を知らないやつほど、ルールだの手続きだのを振りかざす」

その視線は青砥さんに向いていた。

怒鳴ってはいない。
けれど、その声にはもう、最初にあった落ち着いた様子は残っていなかった。

「お前が来てからだ」

部長は青砥さんを指さした。

「お前が余計なことを掘り返して、話をややこしくしてる」

矢継ぎ早に、青砥さんへ言葉を浴びせていく。

「上からの指示だから仕方なく受け入れた。外から人を入れるのも、見直しをやるのも、全部会社の方針だからな。だが、実際に現場を回してるのはこっちだ。お前じゃない」

一度、机の上の資料に視線を落とす。

「積み上げてきたものを、数字だけ見てひっくり返せると思うなよ」

その言葉には、苛立ちだけじゃない、悔しさのようなものも混じっていた。

正しさだけでは動かないものがある。
その実感が、痛いほど乗っている。

だからこそ、きつい。