正しくない恋のはじまり

さっきと同じ言葉なのに、意味はまるで違う。

青砥さんは小さくうなずいたあと、ほんの一瞬だけ声の温度を落とした。

「……大丈夫です。まだ、間に合います」

他の人には届かないくらいの小さな声が、確かに耳に残る。

思わず顔を上げそうになるのを、ぎりぎりで抑えるので精一杯だった。

「このままだと整合性が取れなくなるので、再チェックをお願いできますか?」

彼の次の言葉は、完全に仕事だった。
分かっていても、その切り替えに頭だけが追いつかない。

「……はい」

それしか言えないまま、青砥さんはそれ以上何も言わずに距離を取り、去り際に一瞬だけこちらへ視線を向けた。

その横顔は、すべて分かっている顔だった。



ふと視線を感じて違う方へ目を向けると、少し離れた席から三浦さんが頬杖をついてこちらを見ていた。
ただじっと、私たちのさっきのやり取りをなぞるように。

すぐに目を逸らしたのに、まだ見られている気がして落ち着かない。

会議も、さっきの会話も、全部見透かされているようで、どこかに怖さが残っていた。


───『まだ、間に合います』

青砥さんの声と、

───『余計なこと、考えない方が楽だよ』

少し前の三浦さんの声が、同時に脳裏によぎった。