正しくない恋のはじまり

やめて、と思う。
私はそんなに、ちゃんとしていない。

でも、言えない。

「仕事と、そうじゃないもの、しっかり分けられる人だと思ってた」

顔を背けた私に、まだ彼女の声が聞こえた。

この空気に耐えきれなくて、思わず視線が落ちてしまった。
彼女の言葉が、確認じゃなく“確信”に見える。


───“そうじゃないもの”を示す先は、言われていない。
でも、確実にそこにある。


言葉が出ない。

否定できない。

肯定もできない。


何も答えない私に痺れを切らした部長が、「もういい」と立ち上がった。

「確認だの整合性だの、どうでもいいんだよ。待ってられない。今日中に出せ。いいな?」

それは、私に向けられた、催促と決定。

迷いは、許されない。

「……はい」

力なく、そう返すしかなかった。


二人が離れていくのが、足音で分かる。

ひとりだけ残された空間で、交わされた会話を思い出していた。


息が、うまく吸えない。

さっきまで普通だった空気が、別のものに変わっている。
見抜かれている。

そう思っているのは、自分だけかもしれない。

それでも、そう思った時点で、もう同じではいられない。


───『今日中に出せ』

その言葉が、頭の中で反響する。

助けを求めることは、許されない。
最初からそんな逃げ場なんて、なかったみたいに。