正しくない恋のはじまり

ドアが開いて、さっと光が差し込んできた。

そのまぶしさに、無理やり現実へ引き戻される。

廊下に出た瞬間、空気が変わった気がした。
さっきまでの密度が、嘘みたいにほどけていく。


事務所の話し声や、キーボードの音。
どれも、いつも通りの日常だった。

───なのに。

私だけが、そこへうまく戻れない。


そのままデスクへ戻る。
椅子に座ってパソコンを開いたものの、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。

「藤井さん、お疲れ様です」

呼びかけられて、顔を上げる。
近くの席の後輩だった。

「……あ、うん……お疲れ様」

ほんの少し、間が空く。
それだけで、自分の中のズレがはっきりする。

「……大丈夫ですか?顔色が」

「え?」

聞き返してから、気づく。
いま、自分がどんな顔をしているのか分からない。

「いえ、大丈夫ならいいんです」

軽く言われて、会話はそれで終わった。

後輩はすぐに自分の仕事へ戻っていく。
それを見送って、ようやく小さく息を吐いた。


このままじゃ、だめだ。

視線を落として、キーボードに手を置く。
資料も、図面も、積み上がった見積書も。
終わらせなければいけない仕事が、ちゃんとここにある。

「……集中しよう」

小さくつぶやく。

言葉にしてようやく、仕事の顔に戻れる気がした。