正しくない恋のはじまり

青砥さんの指が、思いとどまるようにほんの一瞬だけ止まった。

私に触れているのに、そこから動かない。
合わせている視線が揺れている。


……迷っている。

ここで止まれる人だと、分かる。


「……やめた方がいい」

冷静さを残した、低い声だった。

「……今なら、まだ」

自分に言い聞かせるみたいに、線を引こうとしている。

この人は、ここで止まろうとしている。
ちゃんと止まれる人だ。

ここで引けば、何も起こらなかったことになる。
仕事も、距離も、関係も。全部、元に戻る。


……分かってる。
それでも。それでもいいと、思ってしまった。

それが正しいのに。
その正しさを、今は、今だけは選べなかった。どうしてか、その正しさが、遠く感じた。


気づいたときには、一歩踏み出していた。

距離が消える。
私から触れる。

ほんの一瞬。
確かめるみたいな、浅いキス。

すぐに離れた。

触れただけなのに、胸の奥が大きく揺れてはっきりと変わった。
もう、さっきまでとは、同じじゃないと分かる。

青砥さんの呼吸が、わずかに乱れた。

止めようとする気配。けれど、言葉が続かない。
何かを言おうとして、言葉になっていなかった。

止めようとしているのに、彼の指先は離れない。
その矛盾が、余計に熱を帯びる。