正しくない恋のはじまり


彼の足音が完全に消えて、静かになった。

さっきまですぐそこにあった気配だけが、遅れて消えていくみたいに、空気が少しずつ冷えていく。

残されたのは、画面と、自分と、投げ出されたマウスだけ。


もう、やることは決まっている。
順番も、方法も、全部教えてもらった。

それなのに、動けない。
マウスは投げ出されたまま。
手は震えてはいないけれど、動かない。

さっきまでとは違う。迷っているんじゃない。


───足りない。

何かが、足りないまま、このまま進もうとしている感じ。


静かすぎて、自分の呼吸だけがやけに大きく聞こえる。
さっきの言葉が、頭の中に残っていた。

正しいこと。
順番。
戦い方。

理解はできた。
だけど、それだけで進めるほど単純なものじゃない。


「……もう、消えてよ」

さっきからうるさい心臓に、文句を言ってしまった。

これは仕事だ、と何度も言い聞かせているのに。
どうしてそこに、彼の顔が浮かぶんだろう。

あの人にだけは、間違えたくないと思ってしまうのか。


「……違う」

処理しきれていない自分が、腹立たしい。