正しくない恋のはじまり

キーボードに触れたまま、指が動かない。
ほんの数秒。それだけなのに、妙に長く感じる。

「藤井さん?」

背後から声がして、その声の主も分かってしまって、振り返るのが怖くなった。

画面を見たまま動けないでいると、声の主が私の顔を覗き込んできた。

「その修正、進んでる?」

三浦さんの、温度のない笑顔と、柔らかい声。
近い距離で、逃げ場がない。

「……はい、いま」

答えながら、慌てて緩めていた手に力を入れた。

「そう?ちょっと手が止まってたように見えたけど」

彼女は髪を耳にかけながら軽く笑って、ぽん、と私の肩に手をかけた。

「最近、少し雑になってないかしら?」


───雑。

その一言が、思ったより深く刺さる。

「い、いえ。そんなことは」

言いかけて、言葉が止まってしまった。
“雑じゃない”と言い切れる自信が、ない。
肩にかけられている彼女の手に、心なしか力が込められたように感じた。

「大丈夫よ」

三浦さんはあっさりと言ってのけた。

「藤井さん、真面目だものね」