正しくない恋のはじまり

代わりに、資料の修正指示のメールを開いた。
新しく来ているコメントに目を通す。

【日照シミュレーション:補足削除】

【搬入経路:記述簡略化】

【外構費:詳細非表示】

指示通りに、 ひとつずつ、消していく。
削っていく。整えていく。
キーボードを打つ音が、やけに耳に響いてきた。私だけがここにいるみたいに。


これでいい。
これで進む。
これで評価される。

全部、分かってる。

ここでふと指を止めた瞬間、胸の奥が落ち着かなくなった。


───これで、本当にいいの?

問いが浮かぶ。
でも…答えは、もう知っている。だから、疑問は立ち消えになった。


「藤井さん」

別の人に呼ばれて、はい、と顔を上げた。
営業の先輩が、慣れたように私のところへやって来ておもむろになにか書類を出してきた。

「この部分、ちょっとだけ直してもらえる?部長に頼まれてて」

差し出された資料を見ると、既視感があった。

ああ、同じだ───。
同じ形。同じ整え方。すべて同じ、“通るための作り方”。

「……分かりました」

受け取って、それをそのまま自分のデスクに重ねた。

自分がやったことが、増えていく。
自分が関わったものが、広がっていく。

逃げ場が、少しずつ消えていく。


私はもう一度、映し出されている画面を見た。

整えられた資料に、問題のない数字。それを評価される形。
その全部の上に、静かに重なる。


昨日の夜も思った言葉。

───“たぶん、もう、戻れない”。


深く息を吐いた。酸素を回す。
そして、キーボードにそっと手を置いた。
指は、驚くほどに迷わず動いてくれた。


朝のオフィスは、ずっと白いままだった。