正しくない恋のはじまり

「……分かりました」

私が小さく首を縦に振ると、青砥さんの口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。

彼がトントンと、煙草の灰を落とす。
それと同時に、沈黙が落ちた。


けれど、その沈黙は不思議と苦しくない。
むしろ、少しだけ───心強い。

完全に一人じゃないと、思えるから。


「…失礼します」

先にそう言って、私は一歩下がった。

彼に背を向けて歩き出す。


さっき踏み入れた予定地に戻り、そっとそこへ靴を沈める。

足元の土が、少しだけ柔らかかった。
一歩踏み出すたびに、ほんのわずかに沈む。
その感覚が、今の状況と重なった。

しっかり立っているつもりでも、どこか不安定で。
でも、踏みしめれば前には進める。


ポケットの中のスマートフォンに、指先が触れる。


…あの、ファイル。
まだ誰にも見せていない、あの違和感の塊。

───『掘ってください』

青砥さん今さっきの声が、頭の奥で静かに響く。


私は歩きながら、小さく息を吐いた。

そして、誰にも聞こえないくらいの声で、つぶやいた。


「……やるしかない」