シザー・フレンズ・バタフライ


 放課後は文化祭実行委員の集まりがあった。会議室に各クラスの実行委員が収集され、主に役割分担についての会議が始まる。マンモス校なだけあって、各クラス一名ずつとはいえ実行委員全体の数は多い。前の方の席に長瀬の姿も見えた。
 生徒会長が指揮を取り、文化祭実行委員長と副委員長が決まっていった。委員長が決まった後は委員長が前に出て進行を任せられていた。
 パンフレット作りや食品や飲料の販売、搬入など各部門数名ずつ役割が決まっていく。由麻は校内全体の飾り付けを担当する装飾部門の一人になった。
 装飾部門は仕事量が多い割に、全員で三人しかいない。会議が終了した後、装飾部門の他の二人に声をかけたが、渋い反応を返された。

「あ~……ごめんね、江藤さん。これからクラスの方の仕事あるからさ」
「後は適当にグループLINEで話そ~。あ、江藤さん、時間余ってるなら門の前の飾り作り始めといてよ。倉庫にダンボールあるらしいよ」

 おそらく向こうも望まず実行委員に選ばれた子たちで、装飾部門の仕事に対してそこまで乗り気ではないようだ。二人がさっさと自分のクラスに戻っていってしまったので、由麻は仕方なく一人で倉庫へ向かった。
 どこのクラスも文化祭の出し物の準備を始めているらしく、放課後にも拘らず廊下は各クラスの生徒たちで賑わっている。

(仕事を押し付けられてしまったような……。でも、一人の方が気が楽だし、黙って作業できるのは有り難いかな)

 喋ったこともない相手と変に気を使い合いながら会話をするのは苦痛だ。こちらの方が都合が良かったかもしれない。
 由麻は邪魔にならないようダンボールを運び出し、あまり使われていないエスカレーターの前の広いスペースで作業した。床に新聞紙をひき、その上にダンボールを置く。スマホで装飾の柄を検索して柄を決め、絵の具を用意して塗り潰していく。
 集中していた分あっという間に時間が立ち、気付けば完全下校時刻のアナウンスが流れていた。あれだけ廊下に残っていた生徒たちももう疎らだ。由麻はダンボールを乾かすためそのまま放置して下校した。

 装飾部門の二人と作ったグループLINEは、その日の夜になっても動きがなかった。由麻は門の装飾の進捗を確認してもらうため、寝る前に今日進んだ分の写真を送った。
 返ってきたのは、『いいね!』という内容のスタンプだけだ。
 しばらくして、もう一人からも連絡が来た。

『江藤さん、ありがとう! あとほんとごめんなんだけど、ウチ自分のクラスの劇の主役になっちゃってて、明日も放課後装飾の方行けないかも』

 『分かった』と返信しようとしていると、最初に反応をくれた子からまたメッセージが送られてきた。

『実は私も……。明日はクラスの方の買い出しがあるんだよね。江藤さん、明日もお願いしていい? 来週以降はちゃんと手伝うから、ごめん!』

 由麻は少しもやっとしたが、結局了承の返信を送ってスマホを閉じた。
 クラスの委員長が気を使って仕事を減らしてくれているため、由麻はクラスの出し物の方はそこまでやることがない。しかし、彼女たちの場合は違うのだろう。仕方がない。そう自分を納得させて、目を瞑って眠りについた。


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 結局週明けになっても、装飾部門の他の二人が実行委員の仕事を手伝うことはなかった。
 装飾は、極論を言えばなくてもいいものだ。あとはどこまで拘るかの問題である。一番重要である門の飾りを先週完成させられたおかげでそれほどの焦りはない。
 由麻は今日も一人で淡々と装飾の作成を続けている。倉庫の上に置かれている飾り用のペーパーフラワーを取ろうとした時、上からダンボールが落ちてきてぶつかった。

「痛……」

 顔を擦ってしまったようで頬の辺りから血が出た。まずは落ちたダンボールを拾おうと屈んだ時、ダンボールに人影が映る。
 顔を上げると、――そこには宇佐が立っていた。
 宇佐とはあの夜から一度も会っていなかった。由麻の方から避けてしまっている状態であるため、少し気まずい。

「久しぶり」

 宇佐が由麻を見下ろして無表情のまま言う。

「文化祭準備、忙しかった?」
「……うん。実行委員になっちゃって」
「だから来なかったの?」
「え?」
「音楽室。待ってたのに」

 二週間に一度、音楽室で会おうという約束。そういえば昨日だった。準備が忙しかったのもあるが、宇佐のことを考えないようにしていたこともあり、忘れてしまっていた。
 宇佐が屈んで由麻と視線を合わせる。彼は何故か拗ねたような顔をしていた。

「……ごめん。待ってたなら、電話くれたらよかったのに」

 小さな声で謝罪した。

「それに、宇佐さんなら私が来ないことくらい予測で分かったんじゃないの」
「由麻のことは分からない」

 落ちたダンボールを由麻の代わりに拾った宇佐が、それを上の棚に戻しながら言う。
 宇佐は、予測では来なくても、もしかしたら来るかもしれないと思って由麻を待っていたのだ。
 申し訳なく思いながら立ち上がる。すると、隣から注意された。

「言った方がいいよ。ちゃんと仕事やれって」

 装飾部門の他の二人の話だとすぐに分かった。

「由麻だけが頑張る必要ないでしょ」
「でも、私はクラスの方の仕事少ないし……。できる人がやるべきでしょ、こういうのは」
「両立できないなら文化祭実行委員なんかそもそも引き受けるべきじゃないんだよ」

 宇佐の声が少し低くなった。まるで怒っているような声音だ。

(……私のことで怒ってくれてる?)

 違う。自惚れるな。もうこの恋心は忘れると決めたんだ。そうじゃないと――いちいち期待して心が揺れて、どんどん苦しくなってしまう。
 必死に気持ちを抑えようとしていたその時、由麻の頬に宇佐が触れた。

「怪我してる。保健室行こ」
「……っ」

 宇佐への恋心が溢れた。同時に宇佐と香夜が抱き合っている姿がまた頭に浮かんで、酷く胸が痛くなる。その痛みに耐えられず、ぽろぽろと目から涙が溢れた。
 宇佐が目を見開く。由麻は必死に頭で言い訳を考えた。しかし咄嗟には何も思い付かず、目を制服の袖で拭きながら俯く。何か、何か言わないと。何でもないと言わなければ。この恋心だけは悟られちゃいけない。
 ――……〝友達〟なんだから。


「……辛かった? 俺と一緒にいるの」

 宇佐が、由麻の頬に重ねていた手を下げる。

「ごめん。由麻のことはよく外すから、恥ずかしい俺の勘違いだったら悪いなと思って、何も言えてなかった」

 顔を上げた。視界が滲んで宇佐の表情がよく見えない。

「俺、あんたのことは好きにならないよ」

 宇佐は由麻に向かってはっきり言った。
 由麻は、ラプラスの悪魔を舐めていたのだ。

(何が、〝隠し通す〟? 把握されていないわけがない。宇佐さんには、何でも分かっちゃうのに)

「俺の未来は決まってる。俺はあの人以外好きにならない。この先も由麻の気持ちに応えられない。期待させてたらごめん」

 宇佐はずっと前から由麻の気持ちを知っていたらしい。

「由麻が自分から〝友達〟って言ってくれたから、その言葉に甘えてた。由麻が俺といて苦しいなら、この関係はもうやめる」
「……私、頑張るから。これから頑張ろうと思ってた。ちゃんと宇佐さんへの気持ちを忘れて、本物の友達になろうとしてたところだったの。そのためにちゃんと気持ちを整理して、それから宇佐さんと会おうって――」
「由麻が辛いならもう会わない。元々俺が言い出した話だったし、無神経だったね。付き合わせてごめん」
「宇佐さんと話せない方が辛い!」

 由麻が声を荒らげたことに驚いたのか、立ち去ろうとしていた宇佐の動きが止まった。

「苦しくてもいいから友達でいたい」
「……何でそんなに、俺なんかのこと好きなの」
「宇佐さんのおかげで変われたから」

 即答した。
 活字なんて好きじゃなかった。趣味だってなかった。そんな由麻に宇佐は、小説と触れる機会を与えてくれた。

「俺は、何もしてないよ」
「そうだよ。一方的な恥ずかしい片思いだよ。私の方から見てただけの、ストーカーだよ。宇佐さんが読んでた本読み始めてからおかしくなっちゃった。本なんか好きでもなかったのに宇佐さんを追うみたいに読んで、いつの間にか自分でも気になった本を手に取るようになって……いつか宇佐さんと本の話できたらって憧れてたの。だから、友達になれて凄く嬉しかった」
「…………」
「私、絶対にこれ以上望まないから。宇佐さんに何か求めることなんてしないし、宇佐さんと香夜さんの邪魔をすることだって絶対しない。今はまだ難しいかもしれないけど、時間をかけて宇佐さんと本当の友達になれるようにする。だから――」
「俺は由麻のことを絶対に好きにならないし、徹底的に友達として接する。それでもいい?」

 宇佐が、由麻の言葉を遮るように言った。
 俯きがちだった顔を再び上げる。

「今、由麻が本当に俺の友達になる未来が視えたから。これからも会うことにする」
「……いいの?」
「由麻は凄いね。好きな相手に何も望まないなんて、そう簡単にできることじゃない。大抵人は、相手から与えられるものに対して恋をするものだよ」

 ペーパーフラワーを両手に抱えた宇佐は、倉庫の外へと歩き出す。由麻は慌ててそれを追った。

「そのペーパーフラワー、私がこれから使うんだけど……」
「持っていってあげてるんだよ。俺暇だし、一緒に作業しよう。どうせ他の二人、今日も来ないよ」

 そういえば、特進クラスの二年生は希望を出さない限り文化祭の出し物はなしなのだった。勉学に励む真面目な生徒が多いクラスなので、今年も出し物はしないのだろう。
 由麻と宇佐は人気のない廊下で黙々と装飾を作っていった。
 何だか心が軽くなって、以前よりもずっと宇佐といるのが楽になった。隠し続けていた恋心を伝えられたこと、これから変わることを条件に許されたことが大きいのだろう。胸の痛みはもうなかった。


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 文化祭準備が始まって二週間が経った頃、ようやく装飾部門の他の二人が実行委員の仕事にも顔を出すようになった。
 しかし、そのうち一人は、集合場所に来るなり話があるなどと言って作業中の由麻を呼び出し、人気のない廊下まで連れ出した。

「江藤さん、髪黒染めした?」
「ああ……うん」
「何で? バイト先とかが厳しいの?」
「そういうわけでもないんだけど、茶髪にしてる理由がなくなったから」
「あはは、何それ、ウケる~」

 こんなところまで連れ出してきて一体何の話だろうと身構えていると、彼女は少し恥ずかしそうにモジモジしながら本題に移る。

「あのさ、江藤さんって長瀬くんと仲良い? 前に中庭で長瀬くんたちと一緒にいるの見たことあって……」

 何となく、何の用か察した。長瀬グループの女子たちは皆派手で近寄り難いオーラを放っている。それに比べて、由麻は平凡で話しかけやいのだろう。

「長瀬くん、彼女と別れたばっかりでしょ? よかったら、長瀬くんに私の連絡先教えといてほしいんだ」
「自分で伝えた方がいいんじゃないかな」
「だって、長瀬くんの近くっていつも怖い女の子たちが囲んでるし……。江藤さんはあの子たちとも喋ってたでしょ? お願い、江藤さんにしか頼めないの」

 長瀬グループの女子たちは眼光が鋭く、他を寄せ付けない。彼女たちが怖いという気持ちは分かるので、InstagramのIDが書かれた可愛らしいメモ用紙を受け取った。
 積極的にアプローチできるその姿勢は由麻にとって尊敬に値するものだ。由麻は中学時代からずっと片思いし続けているのに何も行動を起こさず、先日フラれたばかりだから。

「渡しておくよ。連絡来るかは、あまり期待しないでね」
「うんっ。江藤さん、ありがとー。てか由麻って呼んでいい?」

 女子の距離の詰め方に少し狼狽えた。こういう子こそ友達作りがうまいのだろうなと、そこも尊敬した。