木曜日の夜、職員室の窓から飛び降りたときに走った、あの鈍い痛み。今日は火曜日。もう五日経つのに、まだ完全に治っていない。
「これは、その、階段で……ちょっと……」
言い訳が震える。翼くんは何も言わず、私の足と私の手を順番に見た。
カウンターの端に置いていた私の指先に、一秒だけ視線が止まる。
──爪の横に、針金を使ったときにできた、小さな傷がある。今朝、絆創膏をうっかり貼り忘れてしまった。
まずい……。そう思ったときには、もう遅かった。
翼くんは、それ以上は何も言わなかった。ただ、口の端がほんのわずかに上がった。
「そっか。気をつけてね」
やわらかい声で、そう言った。
うつむいたふりをして、私は本棚の背表紙を目で追う。
「気をつけて」──たった四文字が、なぜかずっと頭に残った。
家族以外で、誰かに「気をつけて」と言われたのは、いつぶりだろう。
優衣ちゃん以来、かもしれない。
「……はい」
なんとか答えて、視線を本棚へ逃がす。
翼くんは本棚から『シャーロック・ホームズの冒険』を手に取った。
「これ、借りてもいい?」
「はい。カウンターで手続きを」
私は機械的に手続きをする。
カウンターの上で本を渡すとき、翼くんの指先が、私の手の薬指を一瞬だけかすめた。
思わず、指先を引っ込めた。
「透明人間」の私にとって、誰かの温もりを感じる機会はほとんどない。
だからこそ、その一瞬は、電気が走るような感覚だった。
「ありがとう、七瀬さん」
翼くんは本を受け取ると、一度足を止めた。
ドアに手をかけたまま、顔だけをこちらに向けて、いたずらっぽく目を細める。
「――七瀬さん」
「はい?」
「……俺、絶対に怪盗ムーンの正体を見つけ出すから」
「え……」
「だって、面白いじゃない。この学校の謎を解くなんて」
翼くんは挑戦的な笑みを浮かべると、軽やかな足取りで図書室を出て行った。
私は、熱を持ったままの指先をそっと握りしめた。
あの転校生……絶対、何か気づいてる。



