赤いランプがついた瞬間、放送室の空気が少し変わった。
ほんの小さな変化のはずなのに、結衣にはそれがはっきりわかった。
マイクの向こう側に、急に校内の広さが立ち上がる。教室も、廊下も、特別教室も、まだ昼休みに入りきっていないざわめきごと、この細い機械の先へつながっている気がした。
結衣は原稿を見た。
最初の一文は、何度も頭の中で読んだ。
放送の始まりを告げるだけの、ごく短い言葉だ。難しい内容じゃない。文字だってちゃんと見えている。
なのに、いざ声にしようとすると、喉の奥が急に狭くなる。
「昼休みの校内放送を、はじ――」
そこで、音が止まった。
言葉になりかけたものが、途中で引っかかる。
胸の奥がぎゅっと縮んで、息の出し方が一瞬わからなくなる。
沈黙。
ほんの一秒か二秒のはずなのに、結衣にはひどく長かった。
その止まった時間が、そのまま校内中へ流れていく気がする。教室でお弁当を広げかけていた子も、廊下を歩いていた先生も、みんなこの不自然な切れ目を聞いてしまったような気がして、指先が冷たくなった。
やってしまった、と思う。
頭の中が真っ白になる。
前の結衣なら、たぶんここで固まっていた。沈黙が長くなるほど何も言えなくなって、そのまま誰かに代わってもらうしかなくなっていたかもしれない。
けれど今は、真っ白なままの頭の奥に、かすかに残っているものがあった。
ここで終わりたくない。
それだけは、はっきりしていた。
結衣はマイクの前で小さく息を吸う。
喉はまだ少し痛い。声はきっと震える。それでも、出さないよりはましだと思った。
「……失礼しました。続けます」
自分の声が、思ったより近くで聞こえた。
かすかに震えていた。きれいな声ではない。けれどその震えごと、ちゃんと放送に乗ったのだとわかった。
結衣は原稿を持ち直す。
指先はまだ冷たかったけれど、さっきまでみたいに文字が形だけに見えることはなくなっていた。
真帆も律も、何も言わない。
横を見る余裕はなかったけれど、その“何もしなさ”が、今はありがたかった。大丈夫、とも、落ち着いて、とも言われない。ただ結衣が続きを出すのを待っていてくれる。そのことが、逆に呼吸を整えやすくした。
もう一度、原稿の最初の行を目で追う。
「昼休みの校内放送を始めます」
今度は最後まで出た。
完璧ではなかった。
少しだけ硬くて、最初の失敗の名残も自分でわかる。
でも、それでよかった。
次の一文へ進む。
録音企画の説明。
今日流すメッセージについての短い案内。
読み進めるうちに、声は少しずつ自分のものに戻ってくる。
まだ怖い。
胸の奥の緊張は消えていない。
でも、さっきの沈黙を越えたことで、怖さの形が少しだけ変わった。
失敗した、ではなく。
ここから続けられる、に変わる。
結衣は次の進行文を読む。
マイクの向こうにある校内は見えない。けれど、自分の声がちゃんとどこかへ届いていることだけは、今は信じられた。
一度つかえたことより、そのあと自分で続きを選べたことのほうが、結衣にはずっと大きかった。
ほんの小さな変化のはずなのに、結衣にはそれがはっきりわかった。
マイクの向こう側に、急に校内の広さが立ち上がる。教室も、廊下も、特別教室も、まだ昼休みに入りきっていないざわめきごと、この細い機械の先へつながっている気がした。
結衣は原稿を見た。
最初の一文は、何度も頭の中で読んだ。
放送の始まりを告げるだけの、ごく短い言葉だ。難しい内容じゃない。文字だってちゃんと見えている。
なのに、いざ声にしようとすると、喉の奥が急に狭くなる。
「昼休みの校内放送を、はじ――」
そこで、音が止まった。
言葉になりかけたものが、途中で引っかかる。
胸の奥がぎゅっと縮んで、息の出し方が一瞬わからなくなる。
沈黙。
ほんの一秒か二秒のはずなのに、結衣にはひどく長かった。
その止まった時間が、そのまま校内中へ流れていく気がする。教室でお弁当を広げかけていた子も、廊下を歩いていた先生も、みんなこの不自然な切れ目を聞いてしまったような気がして、指先が冷たくなった。
やってしまった、と思う。
頭の中が真っ白になる。
前の結衣なら、たぶんここで固まっていた。沈黙が長くなるほど何も言えなくなって、そのまま誰かに代わってもらうしかなくなっていたかもしれない。
けれど今は、真っ白なままの頭の奥に、かすかに残っているものがあった。
ここで終わりたくない。
それだけは、はっきりしていた。
結衣はマイクの前で小さく息を吸う。
喉はまだ少し痛い。声はきっと震える。それでも、出さないよりはましだと思った。
「……失礼しました。続けます」
自分の声が、思ったより近くで聞こえた。
かすかに震えていた。きれいな声ではない。けれどその震えごと、ちゃんと放送に乗ったのだとわかった。
結衣は原稿を持ち直す。
指先はまだ冷たかったけれど、さっきまでみたいに文字が形だけに見えることはなくなっていた。
真帆も律も、何も言わない。
横を見る余裕はなかったけれど、その“何もしなさ”が、今はありがたかった。大丈夫、とも、落ち着いて、とも言われない。ただ結衣が続きを出すのを待っていてくれる。そのことが、逆に呼吸を整えやすくした。
もう一度、原稿の最初の行を目で追う。
「昼休みの校内放送を始めます」
今度は最後まで出た。
完璧ではなかった。
少しだけ硬くて、最初の失敗の名残も自分でわかる。
でも、それでよかった。
次の一文へ進む。
録音企画の説明。
今日流すメッセージについての短い案内。
読み進めるうちに、声は少しずつ自分のものに戻ってくる。
まだ怖い。
胸の奥の緊張は消えていない。
でも、さっきの沈黙を越えたことで、怖さの形が少しだけ変わった。
失敗した、ではなく。
ここから続けられる、に変わる。
結衣は次の進行文を読む。
マイクの向こうにある校内は見えない。けれど、自分の声がちゃんとどこかへ届いていることだけは、今は信じられた。
一度つかえたことより、そのあと自分で続きを選べたことのほうが、結衣にはずっと大きかった。
