そして入ってまず目についたのは、白い土壁と木造の建物だった。
通りから見えた朱塗りの建物とは違う、まるで少し大きめの普通の庶民の家だ。
洗濯物が干してあったり、どこから持ってきたのか分からないような木箱や割れた壺の欠片、よく分からない道具があちこちに転がっている。
役所と聞いて想像していた厳かな雰囲気とは、少し違った。
「……なんか、思ってたのと違う」
思わず小声で呟く。
すると隣を歩いていた晴明くんが、ちらりとこちらを見た。
「陰陽生の住むところだからね」
「住む?」
「うん。ここで寝泊まりしながら勉強するんだ」
言われて改めて辺りを見る。
庭のあちこちには、晴明くんと同じような狩衣姿の男の子達がうろうろしていた。
井戸の近くで水を汲んでいる者、数人で石蹴りをしている者、寝転がって昼寝をしている者までいる。
そのうちの一人が、ふとこちらを見た。
「あれ、晴明じゃん」
声をかけてきたのは、井戸の縁に腰かけていた少年だった。
年は晴明くんと同じくらいだろうか。狩衣の袖をまくり、足をぶらぶらさせている。
「おーい、晴明が帰ってきたぞ」
その一言で、庭にいた数人の陰陽生たちがこちらを振り向いた。
「ほんとだ」
「どこ行ってたんだよ」
「また山にでも籠ってたのか?」
口々に言いながら、ぞろぞろとこちらへ近づいてくる。
「後ろの奴って...もしかして転入生!?」
一人の少年が私を指差した。
「あれ、みんな知ってるんだ。驚かそうと思ってたのに」
「そりゃ、今朝先生が言ってたし、木札も立ってただろ?」
「あー、あれか」
晴明くんは少しだけ遠い目をした。
「読んでなかった」
「お前ほんとそういうとこあるよな……」
呆れたように言いながら、少年達は改めて私の方をじろじろ見た。
「名前は?俺は久我」
「芦屋道満......です」
その瞬間だった。
さっきまでざわざわしていた庭が、ぴたりと静まり返る。
「……は?」
久我と名乗った少年が、ぽかんと口を開けた。
「今なんて言った?」
「芦屋、道満です」
もう一度言うと、今度は別の少年が顔を引きつらせた。
「いやいやいや待て待て待て」
「芦屋って、あの芦屋の息子かよ!!」
「今日は厄日か!?」
(父、なぜこんなにも生徒達に嫌われているんだろう.....)
「……父って、何したんですか?」
その瞬間。
少年達が一斉に顔を見合わせた。
「いや......」
「それは........」
そして久我くんが、ものすごく面倒くさそうに言った。
「お前の父親、ここで一回、賀茂先生と大喧嘩してるんだよ」
「え」
「しかも呪術合戦」
「ええっ!?」
思わず声が裏返った。
横で晴明くんが、ぽつりと付け足す。
「陰陽寮の屋根、半分吹き飛んだらしいよ」
久我くんを筆頭に、あれやこれや父のやらかし話が飛んでくる。
「結界の実験で庭の木全部枯らしたとか」
「あと牛車ひっくり返したとか」
「それは事故だろ」
「いや半分呪術のせいだって聞いたぞ」
好き勝手言われ、私はだんだん顔が引きつってきた。
私は、こんな父の面子を守るために男装までして京に来たのか......。
そもそも潰れる面子なんて、最初からなかったじゃないか……!!
思わず遠い目になる。
すると、さっきまで騒いでいた少年達の中の一人が、ふと私を見て言った。
「……で?」
「で?」
「お前、術は使えるの?」
その一言で、周りの陰陽生たちが一斉にこちらを見た。
「芦屋の息子なんだろ」
「式神とか出せんの?」
「呪符書ける?」
次々に質問が飛んでくる。
私は一瞬、言葉に詰まった。
(……そういえば)
父は、私に陰陽術を教えたことが一度もない。
薬草を刻んだり、星を眺めたり、意味の分からない図を書いている姿はよく見た。
けれど、それを『教える』ということはなかった。
きっと、それは私が女だからって理由もあると思うけど―――。
「できないです」
一瞬の沈黙。
そして――
「よっしゃぁぁっぁ!」
庭にいた少年達の声がきれいに揃った。
「おめーら、補修仲間が増えたぞー!!」
「「「よっしゃ!!!」」」
「これで晴明に太刀打ちできるぞ!」
「道満、ようこそ補修仲間へ!!」
久我くんが澄み切った笑顔で私の手をブンブン振る。
「てことで、晴明に殴りかかれぇぇ!!」
久我くんが高々に声を上げると、数人の子達がタライやらの武器を持って晴明くんに向かって駆け出した。
しかし、晴明くんはそれをいとも簡単にかわす。
横から飛んできたタライをひょいと身を引いて避け、背後から突っ込んできた子の腕を軽く掴む。
そのまま、くるり。
「うわっ」
気がつけば、攻撃してきたはずの子が地面に転がっていた。
「いててて……」
「隙が多いよ」
晴明くんは呆れたように言うと、次に飛んできた木の桶をぱしっと片手で受け止めた。
投げた少年が目を丸くする。
「なんで取れるんだよ!?」
「見てれば分かるよ」
晴明くんは片手で桶を持ったまま、首を傾げる。
「分かんねぇよ!!」
「お前は武士にでもなれや!」
「それは嫌だなぁ」
庭は一瞬で大騒ぎになった。
「囲め囲め!」
「後ろだ後ろ!」
「今だ久我!」
すると久我くんが、待ってましたとばかりにバッと飛び出す。
「くらえっ!」
バシャァッ!!
思いきり水を投げた。
どうやら井戸から汲んできた水らしい。
……が。
晴明くんは、ひょいと半歩横にずれた。
結果。
「ぶはっ!!」
水をかぶったのは、晴明くんの後ろにいた別の子だった。
「なんで俺なんだよ!?」
「避けるな晴明ぃぃ!!」
庭中に笑い声が広がる。
その騒ぎの真ん中で、晴明くんは相変わらず涼しい顔をしていた。
「ほら、だから言ったのに」
「何をだよ!」
「無理だって」
「言ってねぇぞ!!」
わいわい騒ぐ少年達を見ながら、私はぽかんと立ち尽くしていた。
(……陰陽寮って、もっとこう……)
もっと静かで、神聖で、難しい顔をした大人ばかりの場所だと思っていた。
でも実際は。
桶が飛び、タライが転がり、水がぶちまけられ、少年達が全力で走り回っている。
ただの、元気すぎる男の子の集団だ。
通りから見えた朱塗りの建物とは違う、まるで少し大きめの普通の庶民の家だ。
洗濯物が干してあったり、どこから持ってきたのか分からないような木箱や割れた壺の欠片、よく分からない道具があちこちに転がっている。
役所と聞いて想像していた厳かな雰囲気とは、少し違った。
「……なんか、思ってたのと違う」
思わず小声で呟く。
すると隣を歩いていた晴明くんが、ちらりとこちらを見た。
「陰陽生の住むところだからね」
「住む?」
「うん。ここで寝泊まりしながら勉強するんだ」
言われて改めて辺りを見る。
庭のあちこちには、晴明くんと同じような狩衣姿の男の子達がうろうろしていた。
井戸の近くで水を汲んでいる者、数人で石蹴りをしている者、寝転がって昼寝をしている者までいる。
そのうちの一人が、ふとこちらを見た。
「あれ、晴明じゃん」
声をかけてきたのは、井戸の縁に腰かけていた少年だった。
年は晴明くんと同じくらいだろうか。狩衣の袖をまくり、足をぶらぶらさせている。
「おーい、晴明が帰ってきたぞ」
その一言で、庭にいた数人の陰陽生たちがこちらを振り向いた。
「ほんとだ」
「どこ行ってたんだよ」
「また山にでも籠ってたのか?」
口々に言いながら、ぞろぞろとこちらへ近づいてくる。
「後ろの奴って...もしかして転入生!?」
一人の少年が私を指差した。
「あれ、みんな知ってるんだ。驚かそうと思ってたのに」
「そりゃ、今朝先生が言ってたし、木札も立ってただろ?」
「あー、あれか」
晴明くんは少しだけ遠い目をした。
「読んでなかった」
「お前ほんとそういうとこあるよな……」
呆れたように言いながら、少年達は改めて私の方をじろじろ見た。
「名前は?俺は久我」
「芦屋道満......です」
その瞬間だった。
さっきまでざわざわしていた庭が、ぴたりと静まり返る。
「……は?」
久我と名乗った少年が、ぽかんと口を開けた。
「今なんて言った?」
「芦屋、道満です」
もう一度言うと、今度は別の少年が顔を引きつらせた。
「いやいやいや待て待て待て」
「芦屋って、あの芦屋の息子かよ!!」
「今日は厄日か!?」
(父、なぜこんなにも生徒達に嫌われているんだろう.....)
「……父って、何したんですか?」
その瞬間。
少年達が一斉に顔を見合わせた。
「いや......」
「それは........」
そして久我くんが、ものすごく面倒くさそうに言った。
「お前の父親、ここで一回、賀茂先生と大喧嘩してるんだよ」
「え」
「しかも呪術合戦」
「ええっ!?」
思わず声が裏返った。
横で晴明くんが、ぽつりと付け足す。
「陰陽寮の屋根、半分吹き飛んだらしいよ」
久我くんを筆頭に、あれやこれや父のやらかし話が飛んでくる。
「結界の実験で庭の木全部枯らしたとか」
「あと牛車ひっくり返したとか」
「それは事故だろ」
「いや半分呪術のせいだって聞いたぞ」
好き勝手言われ、私はだんだん顔が引きつってきた。
私は、こんな父の面子を守るために男装までして京に来たのか......。
そもそも潰れる面子なんて、最初からなかったじゃないか……!!
思わず遠い目になる。
すると、さっきまで騒いでいた少年達の中の一人が、ふと私を見て言った。
「……で?」
「で?」
「お前、術は使えるの?」
その一言で、周りの陰陽生たちが一斉にこちらを見た。
「芦屋の息子なんだろ」
「式神とか出せんの?」
「呪符書ける?」
次々に質問が飛んでくる。
私は一瞬、言葉に詰まった。
(……そういえば)
父は、私に陰陽術を教えたことが一度もない。
薬草を刻んだり、星を眺めたり、意味の分からない図を書いている姿はよく見た。
けれど、それを『教える』ということはなかった。
きっと、それは私が女だからって理由もあると思うけど―――。
「できないです」
一瞬の沈黙。
そして――
「よっしゃぁぁっぁ!」
庭にいた少年達の声がきれいに揃った。
「おめーら、補修仲間が増えたぞー!!」
「「「よっしゃ!!!」」」
「これで晴明に太刀打ちできるぞ!」
「道満、ようこそ補修仲間へ!!」
久我くんが澄み切った笑顔で私の手をブンブン振る。
「てことで、晴明に殴りかかれぇぇ!!」
久我くんが高々に声を上げると、数人の子達がタライやらの武器を持って晴明くんに向かって駆け出した。
しかし、晴明くんはそれをいとも簡単にかわす。
横から飛んできたタライをひょいと身を引いて避け、背後から突っ込んできた子の腕を軽く掴む。
そのまま、くるり。
「うわっ」
気がつけば、攻撃してきたはずの子が地面に転がっていた。
「いててて……」
「隙が多いよ」
晴明くんは呆れたように言うと、次に飛んできた木の桶をぱしっと片手で受け止めた。
投げた少年が目を丸くする。
「なんで取れるんだよ!?」
「見てれば分かるよ」
晴明くんは片手で桶を持ったまま、首を傾げる。
「分かんねぇよ!!」
「お前は武士にでもなれや!」
「それは嫌だなぁ」
庭は一瞬で大騒ぎになった。
「囲め囲め!」
「後ろだ後ろ!」
「今だ久我!」
すると久我くんが、待ってましたとばかりにバッと飛び出す。
「くらえっ!」
バシャァッ!!
思いきり水を投げた。
どうやら井戸から汲んできた水らしい。
……が。
晴明くんは、ひょいと半歩横にずれた。
結果。
「ぶはっ!!」
水をかぶったのは、晴明くんの後ろにいた別の子だった。
「なんで俺なんだよ!?」
「避けるな晴明ぃぃ!!」
庭中に笑い声が広がる。
その騒ぎの真ん中で、晴明くんは相変わらず涼しい顔をしていた。
「ほら、だから言ったのに」
「何をだよ!」
「無理だって」
「言ってねぇぞ!!」
わいわい騒ぐ少年達を見ながら、私はぽかんと立ち尽くしていた。
(……陰陽寮って、もっとこう……)
もっと静かで、神聖で、難しい顔をした大人ばかりの場所だと思っていた。
でも実際は。
桶が飛び、タライが転がり、水がぶちまけられ、少年達が全力で走り回っている。
ただの、元気すぎる男の子の集団だ。



