「実はね……西園寺くんのことで、お願いがあって」
「──ちょっと待ってください」
私は手を止めた。
「一回だけ、って言いましたよね? 先週」
「確かに、言ってたわ。けれど……」
「けれど、じゃなくて」
「お願い、結城さん。話を聞いて!」
真白さんが、ぐっと身を乗り出した。今度の目はまた、あの本気の目。
「来週末、蒼空くんのライブがあるの。今年最後の国内ツアーで、地元公演なの!」
「……はあ」
「なのに、西園寺くんの家から連絡があって、今度は西園寺家のお屋敷でティータイムをって……。また同じ日に入っちゃって!」
私は黙りこんだ。
頭のどこかで「断らなきゃ」という声がする。景斗さんを騙し続けることになる。これ以上続けるのは、絶対に良くない。
「お断り……」
そう言いかけた、その瞬間。
顔合わせのときの景斗さんの目が、頭をよぎった。この場にいるのに、もっと遠い何かを見ているような、あの目。
──なんで今、あの目のことを思い出しているんだろう。
「結城さん?」
はっと我に返ると、真白さんが不思議そうにこちらを見ていた。
自分でもよく分からなかった。景斗さんのことが気になっているのか、それとも単純に真白さんを見捨てられないだけなのか。
こうして迷っている時点で、もう答えは出ているのかもしれなかったけれど。
「……わかりました。ただし、今度こそ本当に最後ですよ」
「ありがとう!!」
真白さんの顔がぱっと輝く。
小さく息をついてから、私はブラシのケアを再開した。
断れなかった本当の理由は、真白さんのためだけじゃないかもしれない。
それを認めるのは、まだ早い気がした。



