第5部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

 一瞬、視線を伏せると、レイは迷宮の奥を見据えたまま続けた。

「この迷宮……出口は一つじゃない気がします。
 何個か、あるはずです」

根拠のない希望ではない。
状況を冷静に切り分けた言い方だった。

「きっと、大丈夫なはずです」

「レイさん……ありがとうございます」

胸の奥に溜まりかけていたものが、少しだけ下りる。

だが――

(それよりも)

足元の石畳。
空気の流れ。
音のないはずの空間に、何かが混じる。

「……何か、ありますね」

低く告げる。

「はい」

レイは短く応じ、武器に手を掛けた。

その先。
視界の奥に、嫌な気配が滲む。


「ここですかね」

部屋の前で足をとめる。

「そうですね」

レイも短く答えた。

部屋の空気は、外からでも分かるほど重い。
石壁の向こうから、じっとりとした“罠”の気配が滲み出ている。

「ですが、ここを突破しないと次には行けなさそうですね」

レイの言葉に、私も小さく頷いた。

深く息を吸い、警戒を最大まで引き上げる。
そして――部屋へ足を踏み入れた瞬間。

視界が、ぐにゃりと歪んだ。

床が傾いたわけではない。
空気が揺れたわけでもない。
ただ、自分の目と意識だけが、別方向へ引きずられたような奇妙な感覚。

胸の奥がひやりと冷たくなる。

(……なんだこれは)

思考が一瞬だけ白く途切れ、次の瞬間――
見覚えのある赤い絨毯が視界の端に滲んだ。

磨かれた手すり。
高い天井。
伯爵家の玄関ホール。


いや、違う。ここは迷宮だ。そんなはずはない。

揺れる視界の中で、迷宮の石壁と伯爵家の廊下が、まるで水面のように重なり合っていた。