三ぷんだけの ほしのまほう

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第1章 まんなかの町の きょうしつ
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あさぎり ことはは、小学二年生。
まいあさ、ランドセルをせおって、
おなじみちをあるいていく。

かわのそばのさくらは、もうすっかりみどりになっていた。
風がふくと、葉っぱがサラサラとゆれた。
ことはは、その音をすきだと思っていたけれど、
だれにも言ったことがなかった。

きょうも、教室についた。
いすにすわると、となりのゆいちゃんが言った。
「ことは、消しゴムかしてー」
「うん」
ことはは、すぐにかした。
ゆいちゃんは「ありがとー」とにっこりして、
そのままつかいはじめた。
ことはは、自分のえんぴつをにぎった。
(かえしてほしいな)
そう思った。
でも、くちがひらかなかった。
ゆいちゃんはわるいこじゃない。
いつも元気で、みんなをわらわせてくれる。
きっとわすれているだけだ。

授業がはじまった。
先生が黒板にかんじを書く。
チョークのカリカリという音が教室にひびく。
ことはは、ノートを出した。
でも、消しゴムがない。
(あ……)
かきまちがえたところが、そのままのこった。
ことはは、ちいさくため息をついた。
となりを見ると、ゆいちゃんはちゃんと自分のノートをきれいに書いていた。
(言えばよかったな)
でも、もう授業はすすんでいる。

休みじかんになった。
ゆいちゃんが消しゴムをかえしてくれた。
「あ、ありがとう」
「ごめんね、わすれてたー!」
ゆいちゃんは元気にわらった。
ことはも、いっしょにわらった。
「まあ、いいや」
ことはは、そうつぶやいた。
いつものくちぐせだった。
でも、ほんとうはすこしだけ、むねのあたりが
もやもやしていた。
どうして言えないんだろう。
「かえしてくれる?」
たったそれだけなのに。
ことはは、窓のそとを見た。
青い空に、ちぎれた雲がひとつうかんでいた。
雲は、ゆっくりながれていった。
止まらないで。

ことはは、その雲がどこへいくのか、
ずっとおいかけるように見ていた。

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第2章 天文科学館の ひかり
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週末のあさ、おかあさんが言った。
「きょう、天文科学館いこうか」
ことはは、すこしだけ目がかがやいた。
天文科学館は、ことはのすきなばしょのひとつだった。
大きなドームのなかで、星が空いっぱいにひろがる。
あそこにいると、なぜかむねがしずかになる気がした。

おかあさんと、おとうさんいっしょにしばらく歩いていくと、
空たかく、とんがったとうがみえてきた。
青と白の、まるい時計とう。
「あのとけい、ほんものの時間なんだよ」
おとうさんがそう言ってた。
「この町は、日本のじかんの まんなかなんだよ」
先生も前に言っていた。
まんなか。
ことはは、その言葉がすきだった。
まんなかというのは、どこかあたたかいひびきがした。

科学館のなかに入ると、ひんやりした空気につつまれた。
てんじがいくつもあって、星のもけいが、くるくるまわっていた。
ことはは、星のずかんをもうよんでいたから、知っている名まえをみつけるたびにうれしくなった。
そして、プラネタリウムへ。
まるいドームのいすにすわると、
あかりがだんだんおちていった。
くらくなった。

そして、星がでた。

「わあ……」
ことはは、思わずこえをだした。
空いっぱい、星、星、星。
本物みたいに、きらきらしていた。
ナレーターの声がやさしくながれた。
星のなまえが、ひとつひとつしょうかいされていく。
ことはは、上をむいたまま、じっとしていた。

そのとき。

ひとつだけ、ほかよりつよく光っている星があった。
ちらちらじゃなくて、しっかりと、
まるでことはだけに見せているみたいに。
(あの星……)
ことはは、その星からめをはなせなかった。
プラネタリウムがおわって、外にでた。
明るい光がまぶしかった。
「たのしかった?」
おかあさんが聞いた。
「うん」
ことはは、うれしそうに答えた。
でも、ほんとうはもっとたくさん言いたかった。
あの星がすごくきれいだったこと。
なんかよくわからないけど、むねがふるえたこと。
また来たいこと。
「まあ、うん」
そのひとことで、おわっ手しまった。

かえりみち、ことはは、お空をながめた。
もうすっかりオレンジいろになっていた。
どこかに、あの星はまだいるのかな。
昼間は見えないだけで。
ことはは、そっとそう思った。

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第3章 スピカ
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その夜のことだった。
ことはは、もうふとんのなかにいた。
電気はけしてある。
カーテンのむこうが、すこしだけあおしろく光っていた。
お月さまかな、とことははおもった。
でも、なんか、ちがう気がした。
ことはは、そっとおきあがって、カーテンをすこしだけひいた。
光が、はいってきた。
まるい、ちいさな光。
ことはの手のひらより、すこしだけちいさいくらい。
それが、するするとへやのなかにはいってきた。
ことはは、こわいとはおもわなかった。
なぜかわからないけど、あたたかい気がした。
プラネタリウムのなかで、あの星をみたときみたいな。
光がとまった。
そして、こえがした。
「こんばんは」
ちいさくて、すんだこえだった。

ことははかたまっていた。
こえをだせないでいた。
「おどろかせてごめんね」
光のなかに、ちいさなかたちがあった。
ことばでいうのがむずかしいけれど……。
ひとのようなかたちをした、ほしのかけらみたいなもの。
「ワタシ、スピカ」
「スピカ……」
ことはの、しっている名まえだった。
夜空でとてもあかるくひかる、おとめ座の星。
「プラネタリウムで、みてたね」
ことはは、こくりとうなずいた。
「ことははね、いつも言えないでいるね」
ことはは、むねがずきっとした。
でも、やさしいこえだったから、いたくはなかった。
「……うん」
「だからね、まほうをおしえてあげる」
スピカはつづけた。
「三ぷんだけ、じかんをとめられるよ。ぜんぶをとめるわけじゃないよ。あたりのじかんがすこしだけゆっくりになる。そのあいだに、じぶんのきもちをさがせるよ」
「三ぷん……」
「そう。三ぷんだけ」
ことはは、スピカをじっとみた。
「つかいかたは?」
「むねのまえで、手をあわせる。そして、ゆっくりいきをすって、『とまれ』っておもうだけ」
「それだけ?」
「それだけ」
スピカはうれしそうに光った。
「むずかしいまほうじゃないよ。おおきな声もいらない。へんしんもしない。ただ、すこしだけ、じかんがやすむだけ」
ことはは、くちびるをうごかした。
「なんで、わたしに?」
スピカはすこしだまった。
「ほしはね、じかんをみてるの。ながーいじかん。ことはが、いちねんせいのときから、みてたよ。ことはがずっと、言えないままでいるの、みえてたから」
そう言って、スピカはふわっとうごいた。
「もう夜おそいから、ねなきゃね。まほうはあした、つかってみて」
「……うん」
「ワタシは夜しかはなせないけど、ことはのこと、ちゃんとみてるよ」
光はすこしずつちいさくなって、
カーテンのすきまから、そとへでていった。

ことはは、ふとんのなかにもどった。
むねがまだ、ふわふわしていた。
こわくない。こわくない。
なんか、あたたかい。

じかんをとめる。
三ぷんだけ。

ことはは、手をむねのまえで、そっとあわせてみた。
なにもおきなかった。

そうか。学校でやってみよう。

目をとじると、おもったよりはやく
ねむりがきた。

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第4章 はじめての 三ぷん
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つぎのあさ。
ことはは、いつもより五ふんはやくおきた。
まほうのことを、ずっとかんがえていたから。

ほんとうにできるんだろうか。
ゆめじゃないだろうか。
でも、スピカのこえは、ちゃんとおぼえていた。
むねのまえで、手をあわせる。
ゆっくりいきをすって、『とまれ』っておもう。
(やってみよう)

学校についた。
げたばこで上ばきにはきかえるとき、ことははむねのまえで、そっと手をあわせた。
ゆっくりいきをすった。

とまれ。

そのしゅんかん。
しん、とした。
ことははおどろいて、まわりをみた。
げたばこのそばに、一年生のおとこのこがいた。
うわばきをもったまま、ぴたっとうごかない。
ろうかのおくから、先生がやってきていた。
その先生も、あしをあげたまま、止まっている。

窓のそとでは、小さな虫がとんでいた。
その虫も、くうちゅうでとまっていた。

ことははこわくなって、また手をあわせそうになった。
でも、スピカが言っていた。
三ぷんだけ。こわくない。

ゆっくりあたりをみた。

しずかだった。
こんなにしずかな学校は、はじめてだった。
ふだんは、どこかでだれかがしゃべっていて、
なにかがうごいていて、なんかの音がしている。

でもいまは、なにもない。

ことはは、すこしあるいてみた。
じぶんだけがうごける。
げたばこのとなりに、だれかのかさが一本おちていた。
ことはは、それをかさたてにいれてあげた。

だれも見ていないのに。
でも、なんかよかった。
そのとき、じかんがうごきはじめた。
一年生のこがまたうごいて、うわばきをはきだした。
先生のあしがおりた。
虫が、またとびはじめた。
ことはは、むねがどきどきしていた。
「ほんとうに、とまった……」
小さくつぶやいた。

二じかんめ。
こくごのじゅぎょうだった。
先生が黒板にかんじを書いているとき、
チョークのこなが、パラパラとちった。
ことははそのこなをみた。
(とめてみよう)
手をそっとひざのうえであわせた。
ゆっくりいきをすった。
とまれ。

チョークのこなが、くうちゅうでとまった。
さらさらとちっているとちゅうで、
まるでガラスのかけらみたいに、ぷかぷかうかんでいる。

きれいだった。
だれも見ていないのに、ことはだけが見ていた。

ことはは、じっとそれをみた。
ちいさな、ちいさなこな。
いつもは一しゅんでおちて、ゆかにきえてしまうのに。

三ぷんのあいだ、ことはだけがそれをしっていた。

じかんがうごきだすと、こなはまたおちた。
ゆかに、しろいちいさなあとがついた。
ことはは、ノートに字をかきながら、すこしだけ、わらっていた。
口のなかで、こっそり。

(つかえた。ほんとうに、つかえた)

おひるやすみ。
ことははひとりで、ろうかのまどのそばにたった。
グラウンドでは、みんながドッジボールをしていた。
大きなこえがとびかって、ボールがとんで、
にぎやかだった。
ことはは、そこには入らない。
大きなこえが、ちょっとにがてだから。
でも、みているのはすきだった。
ゆいちゃんが、おおきくなげた。
ボールがきれいなまるをえがいて、とんでいく。
そのとき、ことはは思った。
(れんしゅうしてみよう)
きょうは消しゴムをかしていない。
でも、もしこんど、かえしてもらいそびれたら。
そのとき、三ぷんのあいだに、ちゃんとれんしゅうしてみよう。

手をあわせた。
とまれ。

グラウンドの声が、ぴたっとやんだ。
ことははひとりで、しずかなろうかにたった。
「かえしてくれる?」
小さくいってみた。
こえがふるえた。
もういちど。
「かえしてくれる?」
すこし、よくなった。
「かえして……くれる?」
もうすこし。
声は、まだちいさかった。
でも、ことはのくちから、ちゃんとでた。

三ぷんがおわった。
グラウンドの声が、またどっとかえってきた。

ことはは、まどのさんに、手をおいた。
むねがまだ、どきどきしていた。
でも、さっきとはちがうどきどきだった。

こわいんじゃなくて、
なんか……
うれしいような。

空は青くて、雲がながれていた。
ことはは、その雲を見ながら思った。
(こんど、ちゃんと言ってみよう)
まだ、じっさいには言えていない。
まほうのなかだけで、れんしゅうしただけだ。
でも、なんか、できそうな気がした。
すこしだけ。
ほんのすこしだけだけど。
三ぷんだけの ほしのまほう。

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第5章 つかいすぎ
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 つぎの日も、そのつぎの日も、ことはは、まほうをつかった。
はじめは、ひとにちに一かいだけ。
 でも、だんだん、ふえていった。

 ある日の図工のじかん。

 のりが、すこしだけたりなかった。
 となりのこが、のりをもっている。
「かして」
 そのひとことが、でてこない。
 ことはは、手をむねのまえであわせた。

 とまれ。

 教室が、しんとなった。
 はさみをもった手が、空中でとまる。
 わらい声も、とまる。
ことはは、となりのこを見た。
「かして」
小さく、言ってみる。
 もういちど。
「かして」
 声は、ちゃんと出た。

 三ぷんがすぎる。

 時間が、うごきだす。
はさみが、ちょきん、と音を立てた。
 わらい声が、もどってくる。
 ことはは、となりのこを見た。
でも。
 くちが、ひらかなかった。
 のりは、かりられなかった。

 またべつの日。
体育で、チームをきめることになった。
「青チームと赤チームにわかれてー」
先生の声がひびく。
ことはは、青がよかった。
 なんとなく、青がよかった。
でも、声が出ない。
手が、むねのまえにいく。

 とまれ。

 校庭の風が、ぴたりと止まった。
 ボールが、空中でとまっている。
 だれかのえりが、ひらひらしたまま、うごかない。
ことはは、青いカードをにぎった。
「青がいい」
 言えた。
「青がいい」
 もういちど。
「青がいい」
三回、言えた。

 三ぷんが、おわる。

 風がふいた。
 ボールが、どさっと落ちた。
「ことはは赤ねー」
だれかの声。
ことはの口が、きゅっととじた。
青いカードが、手の中でくしゃっとなった。
「……うん」
それだけ、言った。


 給食のとき。
 ことはのすきなデザートが、
 まちがえてちがう子のところにいった。
手が、また、むねのまえにいく。

 とまれ。

 スプーンが、とちゅうでとまる。
 牛乳が、コップのふちでゆれてとまる。
「それ、わたしのです」

 三ぷんのなかで、言えた。

 でも、時間がもどると、
「まあ、いいや」
わらってしまった。

 三ぷんのなかは、しずかだった。

 だれも見ていない。
 だれも聞いていない。
 ことはだけが、うごいている。
こわくない。
声も、ちゃんと出る。

 でも。

 ほんとうのじかんがもどると、
 むねが、ぎゅっとなる。
声が、どこかへかくれてしまう。

 ある日の帰り道。

 ことはは、ひとりで歩いた。

 三ぷんのなかでは、なんども言えている。

 青がいい。
 かして。
 それ、わたしの。

 でも、ほんとうのじかんでは、まだ、ひとつも言えていない。

 三ぷんのなかは、やさしい。

 ほんとうのじかんは、すこしだけ、こわい。

 ことはは、空を見あげた。

 雲が、ゆっくりながれていた。
止まらないで、ながれていく。
 ことはは、手をむねにあてた。
どきどきしていた。
このどきどきは、三ぷんのなかには、ない。

 ことはは、目をとじた。

まほうを、またつかいたい気もした。
 でも、すこしだけ、ちがう気持ちもあった。

 ほんとうのじかんのなかで、ちゃんと言えたら――

 そのとき、むねは、どうなるんだろう。

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第6章 スピカの こえ
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その夜。
カーテンのすきまから、光がはいってきた。
ことはは、めをさました。
「スピカ」
「うん、きたよ」
スピカはいつものようにへやのなかにふわっとはいってきた。
でも、きょうはすこしだけ、いつもとちがうきがした。
光が、すこし、おちついている。
「ことは、さいきん、まほう、たくさんつかってるね」
ことはは、くちをとじた。
「……うん」
「れんしゅうしてるの、みてたよ。ちゃんとがんばってるの、わかってる」
「……でも」
「でも、じっさいには言えてない。まほうのなかでだけ言えて、ほんとうのじかんでは、ぜんぜんだめ」
スピカはそう言ったあと、しばらくだまっていた。
へやがしずかだった。
とおくで、車のとおる音がした。
「ことは、ひとつだけ、きいていい?」
「うん」
「まほうをつかわないで、言えたこと、いままでに一かいでもあった?」

ことはは、かんがえた。

あった。
ちいさいころ、おかあさんに「おなかすいた」って言えた。
ともだちに「いっしょにかえろう」って言えたこともある。
小さなことなら、いえたことはある。

「……ある」
「それって、まほうをつかったから言えたの?」
「ちがう」
「そうだよ」
スピカがやわらかく言った。
「まほうはね、じかんをとめるけど、ことはのこえをつくるのは、まほうじゃない。
ことは自身だよ」
ことはは、むねのあたりがしんとした。
「でも、こわいんだもん」
「うん、こわいね」
「もし、いやな顔されたら」
「うん」
「もし、めんどくさいって思われたら」
「うん。ことははね、ひとのことをよくみてるね。ゆいちゃんがわるいこじゃないってわかってるし、おかあさんがいそがしいのもわかってる。だから、じぶんががまんしてしまう」
ことはは、なにも言えなかった。

「でもね」
スピカの光が、すこしあたたかくなった。
「じかんはね、すすむから ひかるんだよ」
「え?」
「ほしがひかるのはね、ずっとうごいているから。とまったほしは、ひかれない。じかんがうごいているから、いのちがある」
ことはは、スピカをみた。
「まほうはね、きょうでおわりにしようとおもう」
ことはは、むねがどきっとした。
「なんで」
「三ぷんのなかにいすぎると、ほんとうのじかんがこわくなるから。ことはに、ほんとうのじかんのなかで、いきてほしいから」
「でも、こわい」
「うん。こわいね」
スピカはもういちど、やさしく言った。
「こわいのは、ことはがちゃんとかんがえているしょうこだよ。なにも思わないこは、こわくないから」
ことはは、ふとんのへりをぎゅっとにぎった。
「ひとつだけ、おぼえておいて。じかんはとめられないけど、ことはのこえは、じかんのなかで、ちゃんとつたわる。三ぷんじゃなくても、ひとことでいい。ふるえてもいい。ちいさくてもいい」

「……うん」
ことはは、うつむいた。
「あしたの学校で、ひとつだけ、まほうをつかわないで、言ってみて」
「ひとつだけ?」
「ひとつだけでいい」
スピカの光がすこしゆれた。
「ことはのこえ、ちゃんとあるから。ワタシ、きいてたから、ずっと」
そう言って、スピカはまたやわらかく光った。
「おやすみ、ことは」
光は、カーテンのむこうへ、しずかにきえた。
ことはは、ひとりになった。
へやはくらかった。
でも、こわくなかった。
ことはは、手をむねのまえにおいた。
手をあわせなかった。
ただ、むねにおいた。
どきどきしているのが、わかった。
このどきどきが、ことはのじかん。

ことはは、目をとじた。
ながいあいだ、そのままじっとしていた。


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第7章 とめない きょう
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あさ、めがさめた。
ことはは、しばらくてんじょうをみていた。

きょうは、まほうをつかわない。

それだけを、おもった。

「ごはんよー」
おかあさんがよんだ。
ことはは、おきあがって、かおをあらって、食卓についた。
「きょう、なんかあるの?」
「え、なんで」
「かおが、ちょっとちがう気がして」
「……ちょっと、がんばることがある」
「そっか」
おかあさんはそれだけ言って、おみそしるをよそってくれた。

学校へいくみちで、ことはは空をみた。
青かった。
雲がなかった。
はっきりした青。

(きょうは、まほうをつかわない)

もういちど、そうおもった。
むねがどきどきしていた。

教室にはいった。
ゆいちゃんは、もうきていた。
ことはをみると、「おはよー」とわらった。
「おはよう」
ことはも、わらいかえした。 

あさのじかんが、すぎていった。
一じかんめ。算数。
二じかんめ。こくご。
三じかんめ。理科。
なにごともなかった。
(今日は消しゴムのことは起きないのかな)
ことはは、すこしおもった。

おひるやすみになった。
ゆいちゃんが、どこかへいこうとした。
そのとき、ことははゆいちゃんのふでばこをみた。
青いふでばこ。
ことははのとよくにたデザイン。
なかをあけてみると、消しゴムが、はいっていなかった。
ことはは、じぶんのふでばこをみた。
消しゴムが、二こはいっていた。
(あ)
そのとき、ゆいちゃんがきた。
「ことは、消しゴムかしてー、またなくしちゃった」
ことはは、こたえようとした。
むねがどきどきした。
手が、むねのまえにいこうとした。
でも、ことはは手をとめた。

まほうをつかわない。
きょうは、とめない。

ことはは、ゆいちゃんをみた。
ゆいちゃんは、にこにこしていた。
わるいこじゃない、ことはがしっているゆいちゃんだ。

ことはは、ひとこきゅうした。
くつのうらが、きゅっとなった。
ゆいちゃんのえりが、すこしゆれた。
ことはは、つばをのみこんだ。
「かしてあげるけど……」
こえがでた。
ふるえていたけど、でた。
ゆいちゃんが「うん?」とこちらをむいた。
「かしてあげるけど……かえしてくれる?」
きこえるかどうかわからないくらい、ちいさかった。
でも、ことはのくちから、ちゃんとでた。
ゆいちゃんは、ちょっとだけめをまるくした。
ことはは、むねがどきどきした。
こわかった。
いやな顔をされるかもしれない。
めんどくさいっておもわれるかもしれない。
でも、じかんはうごいていた。
とまっていなかった。
まわりのこえも、ろうかの音も、ぜんぶうごいていた。
ゆいちゃんが、わらった。
「そっか! ごめんね、いつもかりてたね。ちゃんとかえすね!」
「……うん」
ことはは、うなずいた。
消しゴムをわたした。
ゆいちゃんは「ありがとー」といって、かけていった。
ことはは、そのままたっていた。
むねのどきどきが、まだつづいていた。
こわかった。
でも、おわった。
せかいは、なにもかわらなかった。
教室はいつもの教室で、ひるの光がまどからさしていて、
どこかでだれかがわらっていた。
ことはは、窓のそとをみた。
空は、あおかった。
さっきとおなじ、はっきりした青。
(言えた)
小さくおもった。

まほうをつかわないで、言えた。
ふるえていたけど。
ちいさかったけど。
言えた。

ことはは、手のひらをみた。
手をあわせなかった。
ただ、手のひらをひらいて、みた。

この手で、言えた。

ひるやすみが、おわっていく。
チャイムがなった。
みんなが教室にもどってきた。

ゆいちゃんがもどってきた。
つくえのうえに、消しゴムをおいた。
「かえしたよー」
「ありがとう」
ことは、はそう言った。
こんどは、ふるえなかった。

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第8章 まんなかの じかん
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つぎの日も、そのつぎの日も、ことはは、まほうをつかわなかった。

手が、むねのまえにいこうとすることは、まだあった。
でも、ことはは、そのたびに、手をとめた。
かわりに、ひとこきゅうした。
それだけだった。
ことばはまだ、ふるえることがあった。
「かして」が言えないこともあった。
「いやだな」が、のみこめてしまうことも。
でも、言えたことも、すこしずつあった。
給食のときに「おかわりしたい」と言えた。
図工のときに「これ、どうするの?」ときけた。
帰り道に、いっしょにあるいているこに「あの雲、おもしろいかたち」と言えた。
ちいさいことばかりだった。
でも、ことはにとっては、ぜんぶ、はじめてだった。

ある日の夜。
ことはは、カーテンをそっとひいた。
空に、星があった。
たくさん。
スピカをさがした。
おとめ座のいちばんあかるいほし。

あった。

でも、きょうのスピカは、ふつうに光っていた。
ほかの星とおなじように。
とくべつにつよく光ったりしなかった。
(おわったんだな)
なんとなく、わかった。
さみしいかとおもった。
でも、そんなにさみしくなかった。
スピカがいなくなったわけじゃない。
あそこに、ちゃんといる。
ただ、まほうがおわっただけ。
じかんは、うごいている。
ことはのじかんも、うごいている。
ことはは、カーテンをとじた。
つくえにすわって、ノートをひらいた。
こくごのじゅぎょうで、作文をかくことになっていた。
お題は「すきなこと」。
ことはは、えんぴつをもった。
すきなこと。
星のずかん。
海。
夜のベランダ。
風がふいたときのサラサラという音。
ことはは、ひとつひとつかいた。
ゆっくりと、じぶんのことばで。
だれも止まっていない。
よるの虫のこえが、まどのそとからきこえた。
でんしゃの音が、とおくにきこえた。
おかあさんが台所でうごいている音が、きこえた。

じかんが、うごいていた。

ことはは、そのなかで、えんぴつをうごかした。

わたしは、ほしがすきです。
よるにベランダにでて、上をみると、
せかいがひろいきがします。
なんかよくわからないけど、むねがしずかになります。

書いていたら、もっとかきたいことがでてきた。

天文科学館のプラネタリウムもすきです。
くらいなかに星がでると、おもわずこえがでます。
はずかしいけど、ほんとうのことです。

ことはは、そこまでかいて、すこしわらった。

はずかしいけど、ほんとうのことです。

こんなことを、作文に書いたのははじめてだった。
いままでは、はずかしくないことばかりかいていた。

でも、きょうはかいてみた。
えんぴつがすすんだ。
じかんが、すすんだ。


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エピローグ また、あの空の したで
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なつやすみがはじまったころ。
ことははまた、天文科学館にきた。
こんどは、おかあさんとふたりで。

あさの空に、うすいきりがかかっていた。
とうの上が、すこしかすんで見えた。

でも、きりは、ゆっくりとうすくなっていく。
ひかりが、しずかにさしてきた。
青と白の、まるいとう。

ことはは、上をみた。時計の針がうごいていた。
ゆっくりと、ちゃんと。
科学館のなかに入って、プラネタリウムへ。
いすにすわると、あかりがおちた。
星が、でた。
「わあ……」
ことはは、また声がでた。
こんどは、はずかしくなかった。
星がひろがる。
ことははスピカをさがした。

あった。

きれいに光っていた。
でも、ふつうに。
ほかの星とおなじように。
とくべつに、ことはだけに光ったりしなかった。

それでよかった。

ナレーターの声がながれた。
星のせつめい。
じかんのはなし。
宇宙のひろさ。

ことはは、じっとそれをきいた。

プラネタリウムがおわって、外にでた。
夏の光がまぶしかった。
「たのしかった?」
おかあさんがきいた。
「うん。プラネタリウム、すごくきれいだった。スピカっていう星が、とくにきれいで。
また来たい」
おかあさんが、ことはをみた。
すこしおどろいたような顔で。
「そっか。またこようね」
「うん」
ふたりで歩いた。
あついひだった。
ことはのサンダルが、アスファルトにぺたぺたひびいた。

空は、青かった。

どこかたかいところで、スピカがひかっているかもしれない。
ひるだから、みえないけれど。

ことはは、空をみあげた。
じかんがながれていた。
とまっていなかった。
それでいい、とことははおもった。
じかんはすすむから、ひかる。
うごいているから、いのちがある。
ことはのじかんも、ちゃんとすすんでいる。
ことはは、おかあさんのとなりをあるきながら、もういちど、そっと空をみた。
どこかにスピカがいる空を。
夏のひかりが、まぶしかった。

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                                      おわり
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