振り向いて青春

 もう午後11時。 寄宿舎の中ではみんな寝てしまっていて静かなもんだ。 その中でぼくは題目を唱え始めた。
「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経、、、。」 声にならない声で題目を唱える。
 静かな静かな部屋の中で畳の上に正座して題目を唱えている。 いろんなことが思い出されてくる。
足の痛みはまだまだ感じているし翌日の遠足のことも頭を過っていく。 そして正美ちゃんのことも。
 思えばぼくが大阪府立盲学校の生徒と文通するようになったのは普通課3年の時だった。 ぼくの手紙に答えて返事をくれたのは西山静香だった。
その静香が紹介してくれたのが山上勝司だったのだ。 ぼくらは意気投合した。
それで理療課1年の三学期、ぼくは初めて単身大阪へ遊びに行った。 初めての一人旅だった。
 夜行バス ムーンライトに乗る。 天神バスターミナルから出ている特急バスだ。
都市高速 九州自動車道を通って北九州市に回る。 そしてまた九州自動車道に乗って関門海峡を渡る。
その後は中国自動車道を通って大阪 梅田へ直行する。 途中でトイレ休憩を挟むんだ。
 もちろん社内にもトイレは敷設してある。 そのためか車体はかなり高めになっている。
席に座るといろんな思いが駆け巡ってきた。 梅田には山上君と友達の太田君が迎えに来てくれてるという。
どんな話で盛り上がるんだろうか? どっか遊びに行けるかな?
 バスは走り始めた。 ぼくは前の座席のポケットに入っているヘッドフォンを取り出して耳に当てた。
チャンネルを変えればいろんな音楽や映画、落語まで聞くことが出来る。 それを聞きながら時間を潰すことにした。

 北九州市内を回ったバスはまた九州自動車道に乗る。 もう午前0時を過ぎた頃だ。
中国自動車道を快走したバスは山口 広島 岡山 標語を過ぎて大阪府内に入る。
西宮に着いた頃には午前5時を過ぎている。 そして終点 梅田に滑り込むんだ。
 ぼくが太田君たちを待っていると案内所でムーンライト号の到着を確認している声が聞こえてきた。 それが太田君だった。
それから地下鉄御堂筋線で堺市へ向かう。 山上君は団地に住んでいた。
 ここに静香も来て四人組は初めて顔を合わせたんだ。 血液型も星座も性格も全く違う四人が仲良くなったのである。
 太田君はギターを弾いていた。 山上君は長渕剛のファンだった。
合わないように見えてみんなどっかで趣味が共通する。 話は弾んだ。
 そして夏休み、今度は山上君がぼくの家に遊びに来た。 そして祖父も一緒に有名な鍾乳洞 平尾台へ行った。
それから山上君が帰るのに合わせて二度目の大阪へ。 よく行ったもんだなあ。
 次の春休みもまたまたぼくは大阪へ行った。 ここで静香と別れたんだ。
その帰り道、バスの中で最初に聞いたのが長渕剛の『夢破れて』だった。 ちょいと雰囲気合い過ぎだよ。

 ちょうどこの頃、ぼくは寄宿舎の寮生会で会長をしていた。 あれやこれやと難問が振りかかってきた年だった。
3月と言えば寮生の移動の月。 一年間、誰と同じ部屋になるかを決めるんだ。
「あいつとは一緒にするなよ。」なんて言われることも有る。 「こいつと一緒になりたい。」って言われることも有る。
 大阪から帰ってきたその足で寄宿舎へ向かう。 疲れてるし腹も減ってるし大変だったな。
寮生会の選挙はいつも12月。 任期は1月から12月。
副会長は女の子。 執行部は男女半々にした。
前年は同級生が多い執行部だった。 ちなみにぼくは書記。
2年続けて執行部に居たわけだ。 この時、校則だって初めて読むことが出来た。

 【不必要な文通や贈り物をしてはいけない。】なんていう校則が有る。 何処までが必要だと判断されるんだろう?
ぼくもペンフレンドはたくさん居る。 何人かにはバースデープレゼントも贈ってきた。
(何をすれば不必要だって認められるんだろう?) その疑問は今も解けないままだ。
 春休みが終わって新学期が始まった。 いよいよ最高学年。
臨床実習も四か月目。 小さな問題は相変わらず起き続けていた。
 そこへ降ってきたのが[19条問題]だ。 これがまた厄介な問題だったんだ。
『按摩 マッサージ 指圧師 鍼師 及び 灸師等に関する法律』 第19条を削除するという話が出てきたのだ。 この条項は簡単に言えば「全盲のマッサージ師が生活に困らないように晴眼者の育成をする養成施設を増やしたり受講生を増やしたりするのを制限できますよ。」って条項だ。
つまりはこれによって全盲のマッサージ師が生活できなくなるような事態を防ごうというわけね。 盲学校のほとんどの生徒は削除に反対していた。
 でもぼくは正面から反対したんだ。 「法律に守ってもらおうなんて考えは甘過ぎる。 しっかりと技術を磨いていけばいいじゃないか。 おんぶに抱っこは危険だと思う。」と。
その後のホームルームは大変だったね。 「お前みたいなやつは要らないからさっさと出て行け‼」とまで言ってくる人が居たんだから。
まあ、ぼくは痛くも痒くもなかったけどね。 卒業すれば二度と会わない人たちだって割り切っていたから。
 それから数年が過ぎて今に至っている。 現在、この条項は削除されている。
そのおかげで鍼灸大学とか専門学校からどんどん晴眼者の鍼灸師が送り出されている。 でもぼくは何とも思わない。
 技術的に適う人は居ないと思っているから。

 思いはどんどん深まっていく。 いつの間にかぼくは何も考えていないような静かな空間の中に居た。
そして朝が来た。 気付いたら鳥の鳴き声が聞こえる。
「もう朝なのか。」 そう思ったぼくは立ち上がって歩いてみた。 不思議だった。
昨夜まで確かに有ってずっと悩まし続けていた足の痛みが嘘のように消えているのである。 信じられなかったが事実である。
 切断寸前とまで言われた筋炎が一瞬にして快癒してしまったのだ。 驚いた。
(これは本物だな。 やるしかないぞ。) そう思ったぼくは気持ちを男子部長に伝えた。
 その日の夜、彼は寄宿舎に電話を掛けてくれた。 その最後にぼくは言った。
「御本尊をください。」 「あんた、正気で言うとるのか? 大変なことなんやで。」
「分かってます。 覚悟してます。」 その返事に彼は動いた。
翌日は10日。 休日とあって支部長 大山武彦に面接した。 そして14日に御本尊を戴くための書類が作られていった。
 この頃、立山君は音楽隊の特訓中。 なんでも10月21日に大文化祭をやるんだそうで。
だから夜10時にならないと寄宿舎には帰ってきません。 彼も部長から話を聞いて相当に驚いたそうな、、、。
 前日、13日は土曜日。 いやいや緊張して寝れません。
そこで一晩題目を唱え続けることを決意しました。 何だか嬉しいんです。
 この10月13日は日蓮大聖人が亡くなられた日。 その前日、12日は大御本尊がこの世に出現した日。
そしてさらに立山君が入信した日でもあるんですね。 だから二人でよく話しました。
「俺たちって大聖人に結んでいただいた仲なんだな。」って。
 さてさて14日の日曜日。 大阪はすごくいい天気です。
男子部長をはじめ地区部長の犬山武彦も駆け付けてくれました。 これから三人で御本尊を戴きに寺に向かうわけです。