振り向いて青春

 按摩鍼灸の資格を取ってから音楽の勉強をしに行ったんだ。 「腹を満たした猿。」って呼ばれたよ。
予想通りに勉強はうまく進まなかった。 ピアノだってバイエルをやっただけで終わったしエレクトーンもグレードを取るまでには至らなかった。
 その中でぼくが熱中したのは合奏だったな。 軽音楽のバンドを組んでたんだ。
ぼくはベースを担当した。 ギターは5年ほど弾いてたから。
 傑作だったのはクラスメートがそれぞれ方便使いだったってこと。
富山、岩手、栃木、愛知、福岡、そして大阪。
朝から晩までいろんな方言が飛び交うんだ。 頭が混乱した。
 寄宿舎はもっとひどかったなあ。 いろんな地方のいろんな世代の人たちが集まってたんだから。
その中で特に仲良くなったのは岩手から来てたお兄様だった。 変なやつだったなあ。
 そいつが絡んできた時、(こいつ、何か宗教をやってるぞ。 近付かないほうがいいな。) 一瞬でそう思った。
懸命に逃げてたはずなんだけど気付いたら掴まっていた。
 そいつはgw明けに事件を起こした。 連休中のバイトがばれたんだって。
担任にしこたま怒られて外出禁止になったことを聞いた頃からぼくは何かを感じていた。
 寄宿舎の居室に入ると不思議な暖かい空気を感じるんだ。 (何だろう?)
それが入り口近くのロッカーから漂ってくるのは分かった。 でも正体が分からない。
 後で聞いて驚いた。 彼はアパートに安置しておいた日蓮正宗の御本尊を寄宿舎に持ってきていたんだ。
実は学会員だったんだよ。
 その頃のぼくは爆弾を抱えていた。 左足が妙に腫れ上がって痛みが治まらなかった。
2年くらい整形外科という整形外科を訪ね歩いてシップとか鎮痛剤を山ほど貰ったけど全部意味が無かった。
死ぬしかないかとまで思い詰めていたんだ。 そんなぼくを彼は助けてくれた。
 そんなぼくがエレクトーンを弾いているのは邦楽教室だ。 部屋の中には琴が並んでいて奥のほうにエレクトーンが置いてある。
自習時間にその部屋に入った時のことだった。 (誰か居るな。)
誰も居ないはずのその部屋に人の気配を感じる。 嘘だろうと思った。
 でもエレクトーンに近付くほど気配を強く感じる。 「そっか。 美紀ちゃんだ。 美紀ちゃんが来てるんだ。」
ぼくは直感した。

 横沢美紀。 音楽課でエレクトーンを勉強していた女の子だった。
でも彼女はぼくと会うことは無かった。 既に入院していたから。
 そのことを岩手のあの人、立石博紀君に伝えると彼はすごく驚いた。
「え? 美紀ちゃんが来てるのか? 誰か居るなとは思ってたんだ。」 彼は美紀ちゃんの親友だった。
 その後、その気配はどんどん強くなっていく。 いつもエレクトーンの傍に居ることも分かった。
当時の美紀ちゃんは末期の状態だったんだ。 そして夏休み中に死んでいった。

 その日、ぼくは福岡に帰っていて家出のんびりと寝転がっていた。
何かの夢を見ていたのだが、いきなりものすごい力で引っ張られていくのを感じた。
「美紀ちゃん やめてくれ! 俺はまだやらなあかんことがいっぱい有るんだ‼ やめてくれ!」
そう叫んでぼくは目を覚ました。 異様に体が痺れていた。
死んでいく美紀ちゃんに引っ張られていたんだね。
以後、創価学会に入会したぼくは美紀ちゃんの追善供養を今も欠かさない。 美紀ちゃんが縁になったんだと思っているから。
 二学期になり横沢君はぼくを捕まえては折伏を始めた。 「あなたの病気は宿業です。」
そこまで言ってくる彼の話に恐怖を感じた。 でも聞かないわけにはいかない。
なんてったってまだまだ蒸し暑い9月の大阪だ。 彼はアイスコーヒーを作って折伏を続けるのである。
蒸し暑い部屋で飲むアイスコーヒーは堪らなく美味しく感じる。 だから最後まで付き合った。
 それでも足の爆弾はますますひどくなるばかり。 先生たちも心配するほどになってしまった。
それにたまりかねて学校の裏に在る整形外科に飛び込んでみた。 「本当に痛いのか?」
診察をしてくれた先生はレントゲン写真を見ながら不審に思うばかり。 「レントゲンじゃあ何も出てないんだよなあ。」
 そこで思い切って先生は血液検査をすることを決断してくれた。 その一週間後、、、。
「ギリギリで間に合ってよかったよ。 君の足は悪性筋炎だ。 発見が遅れたら切断する所だったよ。」 先生はそれから薬を出してくれた。
 これまでにも診断を付けるチャンスはいくらでも有ったはず。 でもみんな腰痛とか坐骨神経痛だと言って深い検査はしなかった。
そのままで3年も苦しんでしまったのだ。 最後の決断にぼくは感謝した。

 この9月、ぼくは会いたかった女の子にやっと会ったんだ。 それが上田正美。
1年前にペンフレンドの男の子から紹介されてはいたんだけどなかなか会えなくてね。 放課後のことだった。
 昇降口を出て寄宿舎に向かっていると後ろからその子が歩いてきた。 ぼくの鼻歌を聞いていたらしい。
「あれあれ? 北村君じゃない?」 その声に振り向いたぼくは立ち止った。
 そしてロビーで正美を待たせてから慌てて手紙を書いた。 「ほんとにいいの?」
正美は手紙を読むと快諾した。 その日からぼくらの交際が始まったんだ。
 知らない間に噂が広まっていて知ってる人たちにはいろんなことを言われたっけ。 気にしなかったけどね。

 その寄宿舎では9月30日に寮祭を計画していた。 演劇や歌合戦をすることにしていたのだ。
ぼくも歌合戦のバックバンドに招集された。 もちろん担当はベースである。
 演歌からフォークソングまで様々なジャンルの歌がリクエストされてきた。 それぞれの歌を聞きながら音を拾っていく。
授業でもバンドをやっているのだからこれで二つ目だ。 いやいや、忙しくなりそう。
その後、11月には文化祭向けに浜田省吾のコピーバンドを組んでやったもんだけど、、ここでもまたベースを弾いたんだ。
 だからこの一年だけで30曲近い曲を弾いたことになる。 文化祭では音楽課としても出演しているから。
ジャズ 軽音楽 フォークソング 艶歌 アニソン、ほんとにいろんなジャンルに挑戦したもんだね。
 ところがどっこい、9月30日は夜中から台風が通り過ぎていて寮祭は中止になってしまった。 代わりに10月2日に歌合戦を中心に短縮した形で行われた。
この寮祭が中止になった日曜日、ぼくは出掛ける約束をしていた。 行き先は創価学会西成文化会館。
同時中継で男子部幹部会が行われるというのである。
 夕方6時過ぎ、男子部長だという末田信之が車で迎えに来てくれた。 取り敢えず約束してしまった以上は行かないわけにはいかない。
西成文化会館に付いて畳敷きの部屋に入る。 むさ苦しい部屋に男たちが集まって何やら拝んでいる。
(嫌な所に来ちまったなあ。 逃げられないぞ これじゃ、、、。) そう思いながら畳の上に座る。
 午後7時。 幹部会は始まった。 でもぼくは熱気に押されて寝てしまっていた。
20分ほどして会場に割れるような拍手が響いた。 (何やねん?)
ボーっとした顔で中継に耳を欹てると、、、。 誰かが話しているのが聞こえた。
 (確かに「池田先生が入場されます‼」って言ってたよな。) ぼんやりしているとぼくはまた寝てしまった。
それからどれくらい時間が経ったんだろう? またまた不意に目が覚めたんだ。

 「受くるは易く保つは難し。 さる間成仏は保つに有り。」
『此経難事御書』の一説を池田先生が引用された。 その時、ふとぼくは思った。
(俺はこの人を探していた。 確かに探していた。
高校時代以後、社会党とか共産党関係の団体で活動はしてきたけどこの人を探していたんだ。)
そう思ったらそれだけで満足してしまった。 もちろん入信するともしないとも決めないままで。
 当時はまだまだ御書なんて読んだことも聞いたことも無い。 それなのにこの一説が耳に入ってきた。
それがどういうことなのか? ぼくにはずっと謎だった。

 さてさて正美ちゃんはというと仲がいいのか悪いのか分からない状態。 取り敢えず付き合ってはいるんだけどね。
それから一週間が過ぎた9日の夜のこと。 この日はなぜか正美ちゃんの機嫌が悪い。
今にも別れそうな雰囲気だ。 (嫌なことになりそうだなあ。)
 そう思いながら居室に帰ってきたぼくは足の痛みがこれまでにないくらいにひどくなってきたことに気が付いた。
シップも鎮痛剤もマッサージも鍼も何も効かない。 絶望するしかない状態だ。
 そんな時、「騙されたと思って題目を唱えてみろ。 必ず叶うから。」って言われたことを思い出したんだ。
ぼくはキツネにつままれた想いで数珠を手に掛けた。