振り向いて青春

 産炭地 筑豊のとある町。 そこにぼくが生まれたのは昭和44年の真冬。
炭鉱マンだった父さんと高校生だった母さんが結ばれてぼくは生まれた。
 その後、父さんは鉄工所に転勤して有能な溶接工となった。
その頃の家は居間一つと台所と風呂と便所が有るだけの物置みたいな小さな家。
 実家の脇を貫ける砂利道から下へ下った所に在った。
ぼくが覚えているのは2軒目からで、この家はその当時、一応仲良しだった友達の隣の家だった。
 そう、幼稚園に通おうかって時だから4歳の時。
それまでのぼくは入退院を繰り返していたんだ。 先天性白内障と口蓋裂の手術を受けるためにね。
 手術を受けたのは九州大学付属病院。 取り敢えず右目は見えるようになったけど眼鏡は手放せなくなっていた。
その状態で市立の幼稚園に通った。 クラスは桃組。
担当は菰原ひろ子先生だ。 でも、、、。
 ぼくは耳もよく聞こえなかった。 それでだからか、毎日のように虐められていた。
ガキ大将だった中村君はいつもぼくを捕まえては虐めていた。 それでなかなか友達は増えなかった。
 半年が過ぎても虐めは収まらない。 話し合ってもなかなか収まらない。
それで母さんは辞めることを決断した。 卒園出来なかったんだ。
 あの当時、オルガン教室にも通っていたぼくは一瞬で全てを失ってしまった。 寂しかった。
幼稚園では毎日のように園長も一緒になってぼくと遊んでくれていた。 それすらも無くなってしまった。
 5歳の年は一人で留守番をしていた年だ。 雨の日も風の日も雪の日も。
母さんたちは共働きだったから夜まで帰ってこない。 夕暮れの寂しさを嫌というほど思い知ったのもこの頃だった。

 父さんたちが仕事に行ってしまうと独りぼっちの時間が始まる。 ばあちゃんたちもまだまだ現役で働いていた。
テレビを見ることも無く、ラジオさえ聞くことは無い。 音の無い部屋で独りぼっちだ。
そのせいか、今でも独りぼっちには何とも思わない。
 友達から貰った『あいうえおブック』を読みふけり、近所を散策して疲れたら昼寝をする。 そんな毎日。
そのまま1年が過ぎた。 そしたら、、、。
 「視力に障害が有るんだから盲学校に行きなさい。」 市役所にはそう言われた。 ショックだった。
幼稚園の向かい側に建っている小学校へ行けるものと思っていたから。 でも役所の通知は絶対だった。

 盲学校でのクラスメートは5人。 うちの一人はさらに留年してしまった。
そして一人は広島へ引っ越していった。 そこに新たな男の子が入ってきた。
 でも何となく寒いクラスだったな。 ぼく以外は都会っ子だったから。
気付かれないように仲間外れにされていた。 それはずっと後まで続くんだ。

 当時、福岡盲学校は福岡市の中心部に在った。 明治生まれの木造校舎だった。
でもそれが3年で壊されることになっていた。 県知事公舎を作る計画が決まったから。
 移転したのは筑紫野市牛島の田んぼの真ん中だったよね。 なぜあそこだったんだろう?
しかも後者は建設中。 半分しか出来上がってはいなかった。
図書館も音楽室も理科室も調理室もプールも体育館も無かった。
中学生になる頃にやっと完成したんだよね。 見切り発車もいい加減にしてもらいたいと思う。

 その福岡盲学校に通うのは大変なことだった。 筑豊から行くには片道で2時間は掛かったんだ。
だから生明学園という施設に預けられることになった。 これがまた地獄の始まり。
 当時のぼくは寝小便小僧で問題児だった。
8時に寝た後、10時に一度起こしてもらってトイレに行くことになってたんだ。 でもそれがうまくいかない。
なかなか起きないもんだから先輩たちはイライラし始めて殴ったり蹴ったりし始める。
それがプロレス技になり半殺しになる。 起きた時には痣だらけになってるんだ。
 家に帰った時には体中が痣だらけになってたもんだから母さんも頭が真っ白になったらしい。 でも担任に訴えることすらしなかった。
寝小便対策がいつの間にか集団リンチになっていたんだ。 小学生時代は本当の地獄を見た気がする。
でもね、虐めはそれだけじゃなかった。 ぼくは性のおもちゃにもされていたんだ。
 毎朝、目が覚めると素っ裸にされていた。 脱がされた物は部屋のあちこちに放り投げられていた。
そして顔にはベタベタした物が張り付いていた。 臭いし臭うし嫌だった。
洗っても次の朝にはまたくっ付いてる。 病気かと思った。
 その正体が分かったのは年に一度の慰安旅行の時だった。
真夜中、先輩がぼくの上に乗ってやってたんだ。 驚いた。
でもね、「口をしっかり濯げよ。」って言っただけ。 謝ることなんて無かった。
今だったら親も巻き込んで慰謝料をガッツリ払わせたのにね。

 学園時代、それはぼくにとって何だったんだろう? 黒歴史でしかないようにさえ感じる。
楽しいって思ったことは無い。 家から通えないんだからしょうがないなって割り切るしかないと思っていた。
そんな学園で失明したんだ。 悔しかった。
 小学部を卒業して中学生になった。 ぼくには夢が有った。
野球部に入ることと家から通学すること。
野球部には入れたよ。 でも体が小さくてレギュラーにはなれなかった。
通学はなかなか認めてもらえなかったな。 十分に通えたのに。
「試しにやってみろ。」って一週間だけ通学させてもらった。 でもその後で失明したんだ。
盲学校に入学して失明するとは思わなかった。

 小学部も5年になると自力で家に帰るようになる。 途中で本屋に寄ったりして時間を潰しながらね。
鉄道マニアだったからいろんな本を読んだし買ったもんだ。 楽しかったなあ。
でもその本をみんな手放したんだ。 悔しかったな。
 その頃、ぼくが住んでいたのは鉄工所の社宅だった。 六軒続きの長屋だったよ。
2ldkのアパートだった。 ぼくの部屋にはのび太が使ってるような机が置いてあった。
そしてなぜかオルガンも置いてあった。 けど弾いたことは無い。
弾こうとしたら「隣に病気のおばあちゃんが寝てるから音を出すな。」って母さんに叱られちゃってさ。
何のために買ったんだろう? オルガン教室に通ってたからかな?
それだって幼稚園と一緒に辞めたのに。