意地悪される側、人間不信なったの、深い自死願望や深い負い目感じる。00年度は、意地悪される、人間不信なひとはみっともなく生きる資格ないほど弱虫という考えが、大人に根強くあり、だから自分を責めました

2000年度は、
少なくてもあたしの周囲だと、
見下す意地悪するひとよりも、
見下す意地悪される側や、
人間不信なひとや気弱なひとは
みっともないてかんがえが、
大人のほとんど
と、
一部の先生にも根強かったです。

だからその時から私はしばらく
意地悪や不正をするひとのが一方的に全て
人間として尊敬されるくらい偉いひとなんだろうか?
意地悪されるひとや人間不信な人がみっともないのなら
意地悪や不正するひとはひとつもわるくなく
むしろ意地悪する人のが1000%えらいのだろうか?ておもいました


そのような
意地悪する側が一方的に全て一方的にえらいのだろうか、ておもいこみに
縛られてて、四半世紀経ってもそのように思ってしまう