意地悪しないことが尊敬される、社会であってもらいたい。00年度は、意地悪される、人間不信なひとはみっともなく生きる資格ないほど弱虫という考えが、大人に根強くあり、だから自分を責めました

だからそこまで意地悪や不正はたらくひとよりも
されるひとがみっともない存在と思いこみ
その思い込みは刑務所や死刑台(いったことはないけど世界一過酷な場所のたとえです)よりも1000無量大数倍過酷で
意地悪される人が意地悪不正をやってるひとより
劣る人でとりえもなく劣る人で生きてる資格すらないような思い込みからは,抜け出せない、一生抜け出せない気が今もしてる。



そこまで意地悪する人よりも
される人の方が、人間不信なひとや人間不信なるほどのいじわるされるひとのほうが生きる資格すらないのだろうか??て
いまでも、四半世紀たったいまもその縛られてしまう時ある

その
人間不信や、人間不信なるほど、そこまでいじわるされるひとが
みっともないみたいなおもいこみに縛られるのはまるで
死刑台(行ったことはないけど‥)にいるみたいに過酷