小中学生ときは、意地悪される子や人間不信な人は、みっともなく生きる資格ないほど弱虫という考えが、大人に根強くあり、だから自分を責めました

不謹慎をお詫びした上で書くとほんとうに、
不謹慎な表現を本当にお詫びした上で書くと本当に,
令和や昭和はどんな感じだったかわからないけど。



すくなくても、
97年度から00年代初頭は、
恐喝無理強いされるひと、蔑まれる人
あと人間不信なひとや人間不信で弱気な人が
意地悪するひとよりも生きる資格さえないくらいにそんくらいに、
みっともないて考え、
大人と中学の先生にありました。

子供よりも大人や,中学の先生にありました

だから人間不信になるよりその負い目背負うよりも96年までに空の上いくべきであったと今でも思う。
教育者や,世間や司法関係者や警察でさえも多分、
恐喝無理強いされるひとや馬鹿にされるひとは、みっともないて考えてて、恐喝無理強いするひとやひとのこと馬鹿にするひとのほうが人間不信対人不信ならないだけまだ偉いと考えてるに違いないと、そんなふうに疑ってしまう私の醜い感情も嫌になります


(先生の場合は全員ではないけど一部の先生から
人間不信みたいな気弱な人の方いきるしかくないと
家庭訪問で、言われてるから
その00年夏休み死を選ぶ手前でした)