小中学生ときは、意地悪される子や人間不信な人は、みっともなく生きる資格ないほど弱虫という考えが、大人に根強くあり、だから自分を責めました

他の人も,同じように扱われてるならまだしも
一人だけ蔑むこといわれてると
他の人はともかく自分だけ意地悪されて仕方ない存在であろうか?と余計責めてしまうのです
特定の相手だけに蔑む馬鹿にするこというひとに
自分が意地悪されても仕方ないのだろうかて責める思い
夏休み終わり泣く思いを気づいて欲しい

一人だけクラスなどで
見下して馬鹿にすることしゃべられるとすごい不安感におそわれて
一人だけその見下される自分がそんな見下されて仕方ない存在だろうかと神経質なるんです、世間の全ての人敵かもと人間不信なり
ほんとう二学期もどんな意地悪まってるだろうて神経質なるんです。ひとのこと見下す言動するひとにこれだけわかってもらいたい
二学期もまたどんな意地悪まってるだろうと
神経質なるんです
00年8月終わり死を考えたほどでした,線路前で

新学期、二学期もまた
どんな見下されるかわからないと神経質なるんです
見下すようなこと喋るひとは夏休み終わり泣くことはないし
夏休み終わり怖くなったり泣くことはないけど。
だからどんな意地悪待ってるだろう、て夏休み終わり泣くおもいはわからないけど
00年8月最後らへん死を考えるほどその二人の同級生に
わたしひとりその蔑む言動されてたのがいまも
ひとってしんじれるのかな?ておもう


(いまも人間不信みたいなのの原因なってるの
は、
00年当時ふたりから明らかに蔑まれてたとき
あ,なんだ謝る必要なかったよな、とか
あなた怒らないから怒らないからお人よしだから,とか)
新学期もどんな意地悪待ってるかわからないと
夏休み終わり怖くなってしまう
それだけ気づいてもらいたい