第4部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

コンコンと控えめなノック。

「どうぞ」

小さな咳払いが聞こえ、振り返ると兄のマルクが立っている。

「お誕生日おめでとう、妹」

そう言って手渡されたのは、深紅の花びらが美しいバラ。

「ありがとうございます。やっと直接持ってきてくれましたね」

「う、うるさい」

「最近は勉強も真面目にやっているみたいですね」

「ああ、母上が厳しいからな」

ふふっと笑い、短い会話を交わす。

かつては自分のことを嫌っているのでは、と感じていた兄との関係も、こうして自然に話せる距離になりつつある。


「そういえば。お兄様」

バラを見つめながら口を開く。

「なんだ」

「ナナとは付き合っているんですか?」

「ぶはっ」

思いきりむせた兄が、手で口元を押さえる。
その様子が妙に可笑しくて、つい口が滑る。

「汚いですね」

「なんだ急に…」

兄は眉間に皺を寄せたまま、こちらを横目でにらむ。
けれど、その耳がほんのり赤いのを私は見逃さなかった。

「あんなに良い子いないですよ? お兄様のことを昔から知った上で、ずっとそばにいてくれているのに」

「お前には関係ない」

「ふーん。あまりボサボサしてると、とられますよ?」

「うるさい。お前こそ」

兄はわざとらしく咳払いをして、話題を変える。

「殿下はどうした? 婚約中なのか? 結婚する気なのか?」

「それは…どうでしょう」

言葉を濁すと、胸の奥が少しだけ重くなる。
殿下は優しい。けれど――。

「私…王妃にはなりたくないです」

ぽつりと漏らした本音に、兄は一瞬だけ目を丸くした。

「お前こそ、ボサボサしてると他の令嬢にとられるぞ。殿下は人気者だ」

「そうですね」

そう答えながらも、心はどこか遠くにあった。
ディランの笑顔を思い浮かべると、胸が温かくなるのに、王妃という言葉がつくと急に息苦しくなる。