第4部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

離れようとした、その瞬間。

ふと、ディランが足を止めた。
握られていた手に、わずかに力がこもる。

「……ディラン?」

返事はない。
ただ、呼吸だけが妙に静かだった。

代わりに聞こえたのは——

「ディラン」

低く、湿ったような声。

「……陛下」

振り向いた先に、王が立っていた。
光の届かない場所にいるような、影の濃い姿で。

「ここで何をしている。後ろにいるのは……ティアナ嬢か」

その視線が、ゆっくりと私に向く。
まるで、皮膚の下まで覗き込むような目だった。

「今は王妃教育の時間だろう」

じっとりとした、値踏みするような眼差し。
呼吸が浅くなる。

「申し訳ありません」

ディランが、私を庇うように一歩前へ出る。

「私が無理を言って、付き合わせました」

私も慌てて頭を下げた。

「……いや、いい」

声だけは穏やかだった。
けれど、その奥にあるものは、まるで別の温度をしていた。

「たまには、息抜きも必要だろう」

優しい言葉なのに、背筋がひやりとする。
その瞳の奥は、深い底なしの暗さを湛えていた。

「ディラン」

陛下の視線が、彼に固定される。
その瞬間、空気がわずかに重くなった気がした。

「……あまり、はめを外すでないぞ」

「いずれ、国王になる身なのだからな」

「……はい」

短く答えるディラン。
その声に、いつもの強さがなかった。

陛下は、それだけを残して静かに去っていった。
扉が閉まる音が、妙に長く耳に残る。

残された静寂の中で、私ははっきりと理解してしまった。

——違う。

あの視線は、ディランを見ていなかった。

人を見る目ではない。
温度も、感情も、何もなかった。

あれは——

私という“器”を見ている、ガイルの目と同じだった。