第4部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

そして午後。
刺繍の授業が始まった。

……正直、退屈だ。

(こんな細い針を、ちくちく刺して……
何が楽しいんだろう)

無心で布に針を通しながら、内心ため息をつく。

そのとき――

「まあ……」

甘く、けれど少し高い声が響いた。

顔を上げると、
ローゼが私の手元を覗き込んでいる。

「お上手ですね、ティアナ様。
即席の王妃教育とは思えないほど」

にこり、と完璧な微笑み。

……褒めているようで、
“本来は場違い”だと言っている。

「ありがとうございます」

こちらも笑顔で返す。

するとローゼは、
自分の刺繍枠を少し持ち上げた。

「ただ……こちらをご覧になって?」

そこにあったのは、
驚くほど精緻な刺繍。

薔薇の花弁一枚一枚に陰影がつき、
今にも香り立ちそうなほどだ。

「これは、昔から習っておりますの。
婚約者候補として」

――暗に言っている。

“あなたとは、積み重ねが違う”と。

周囲の令嬢たちも、
くすくすと小さく笑う。

空気が、ひやりと冷えた。

(……なるほど)

これが、彼女のやり方。

直接は責めない。
けれど確実に、差を見せつける。

私は一度、針を置き、
ローゼの刺繍をじっと見つめた。

そして、ゆっくりと微笑む。

「とても美しいですね」
私はそう言って、
視線を戻し、自分の刺繍に集中した。

……正直。

こんなことで張り合うなんて、
馬鹿馬鹿しすぎる。

誰が一番上手いかなんて、
今はどうでもいい。

王妃教育は競技会じゃないし、
ここで刺繍が完璧だからといって王妃になれる訳ではない。
私はなりたくないのだけど。

(それに……)

針を進めながら、静かに思う。

私がここに来た理由は、
誰かを蹴落とすためじゃない。

ディランの隣に立つ覚悟があるか、
それを確かめるためだ。

周囲の視線が、まだ時折こちらに向くのを感じる。

けれど、もう気にしない。

布に浮かび上がっていく模様を、
ただ丁寧に追っていく。

不思議と、
心はさっきよりも落ち着いた。